「ローフード」はまだまだ聞き慣れない方がほとんどのようですが、私たちは実際にこれまで1年間体験して来て、これは素晴らしいとみなさんに勧めている新しい「食」スタイルです。
沖縄の伊藤さんは日本ではまだまだ入手しにくいオーガニックのローフード食材専門店「LLMP」を立ち上げ、ローフードの普及に活躍しています。そして、彼女が明日沖縄で「ローフード体験会・きくちゆみ講演会」を主催します。興味がある方はぜひご参加ください。きっとびっくりする体験になることでしょう。
ハワイ島コナからの便りです。ここからイルカのいる海岸にあるカフェに毎朝歩いていくのが楽しみ。 * Blog URL: http://feeds.feedburner.com/moritagen
土曜日, 3月 20, 2010
水曜日, 3月 10, 2010
「土佐漆喰塗り」体験募集!
我が家の築100年の納屋を改造中ですが、その内壁の土佐漆喰塗り体験のお誘いです。いつか自分で家を建てたり、改装する夢を持つ方は、実現への一歩としてぜひご参加ください。ここでの練習が役に立つと思います。参加費は無料なので、築200年の古民家を再生している我が家を一度は見たい、という方もこのチャンスにどうぞ。
<土佐漆喰塗り体験会>
日時:3月17日(水)から21日(日)、朝9時から日没までのお好きな時間
場所:ハーモニクスライフセンター(鴨川市仲1047) tel:04-7097-1011
参加費:無料(宿泊やお食事をされる方は実費)
*汚れても良い着替えをもってきてください。
*参加申込み者に交通案内をファックスで送ります。なるべく最寄りのバス停(長狭学園まで来て下さい)
*お申し込みはメールまたは電話で。
*3月18日は鴨川駅まで車でお迎えを出します。集合は正午。おいしいランチを一緒に食べてから、我が家に向かいましょう。
*3月17日、19、20、21日でも駅までお迎えが必要な場合はできる限り対応しますので、ご連絡ください。
(詳しくはきくちゆみのブログへ。)
棟梁は「樹の住まい舎」の佐藤さん
<土佐漆喰塗り体験会>
日時:3月17日(水)から21日(日)、朝9時から日没までのお好きな時間
場所:ハーモニクスライフセンター(鴨川市仲1047) tel:04-7097-1011
参加費:無料(宿泊やお食事をされる方は実費)
*汚れても良い着替えをもってきてください。
*参加申込み者に交通案内をファックスで送ります。なるべく最寄りのバス停(長狭学園まで来て下さい)
*お申し込みはメールまたは電話で。
*3月18日は鴨川駅まで車でお迎えを出します。集合は正午。おいしいランチを一緒に食べてから、我が家に向かいましょう。
*3月17日、19、20、21日でも駅までお迎えが必要な場合はできる限り対応しますので、ご連絡ください。
(詳しくはきくちゆみのブログへ。)
日曜日, 3月 07, 2010
2010年ワークショップのご案内
<ハーモニクスヒーリングとローフード・デトックスワークショップ参加者募集>
2010年のワークショップのご案内です。今年も4月から11月まで全8回、ハーモニクスヒーリングとローフード・デトックスワークショップを以下の通り開催します。
もう一ランク上の健康を手に入れたい方、自分や自分の家族の健康を自分でコントロールできるようになりたい方、自給的暮らしを目指している方、ローフードのおいしさを体験してみたい方にとっては、他では体験できないワークショップだと思います。
講師は、ハーモニクスライフセンターの森田玄ときくちゆみが担当します。
日程は以下の通りです。
第1回:4月23ー25日
第2回:5月21ー23日
第3回:6月25ー27日
第4回:7月23ー25日
第5回:8月27ー29日
第6回:9月24ー26日
第7回:10月22ー24日
第8回:11月26ー28日
内容はハーモニクスヒーリングの理論と実践、操体法の理論と練習、綜統医学と温熱療法、LET(ライフエネルギーテスト)、食と環境の話、骨盤矯正(痩せたい人用)と下腹を引っ込める体操、リンパマッサージ、キャベツ酵素ジュースのつくり方、簡単ローフード料理教室(希望者)、10キロウォーク(部分参加も可)、夢(ミッション)ステートメントの作成、などを2泊3日でカバーします。ワークショップの食事は完全ベジタリアンでほぼ100%ローフードです。
先着順定員制ですので、希望者はメールrawinfo@harmonicslife.netでお早めにお申し込みください。折り返し仮受付とお振込のご案内をします。タイトルは「○月のワークショップ参加希望」でお願いします。
昨年の4月と5月のワークショップのことを「きくちゆみのブログ」にアップしたので、読んでおくと参考になります。
*2009年4月:http://kikuchiyumi.blogspot.com/2009/04/blog-post_26.html
*2009年5月:http://kikuchiyumi.blogspot.com/2009/05/blog-post_24.html
また4月から研修生も募集しています。条件は自給暮らしを学びたい方で、きくちと森田の活動(平和や環境)に興味があり、車の運転ができる子ども好きの方です。こちらもメールでお問い合わせください。
土曜日, 3月 06, 2010
韓国強制併合100年
「以前から気にはなっていたのですが、玄さんは未だに東京裁判史観に洗脳されたままなのが残念です。過去の中国やアメリカとの戦争はもうかなり真相は解明されていますので、お時間のある時に図書館ででもお勉強なさって下さい。そしたら日本のやらせとか’卑劣な’とかは言えなくなると思います。戦後も日本が両国との情報戦に負け続けているのは残念です。特に朝日新聞の貢献には涙が出ます。」
このような”お叱り”の投稿をいただきました。”東京裁判史観”というものがどういうものか私にはピンときませんが、この方の言う”日本のやらせとか”卑劣”なとかは問題ないという考えには、それこそ興国・皇国思想による情報操作の影響が色濃く感じられます。
それに、”過去の中国やアメリカとの戦争はもうかなり真相は解明されて”いるというのも、たしかにそうですが、それらがはたして一般に広く知らされているのかということとは問題が異なります。
ところで、今年は日本の韓国強制併合100年にあたることを、『月刊マスコミ市民』(2010年3月号)の伊藤成彦氏の記事で知りました。こんなことを書くと、また”強制”ではなく”国際合意”だったなどとまたあらぬところからクレームが来るかもしれません。でも、1910年8月22日に大日本帝国政府が軍事的に制圧していた大韓政府に、「韓国併合条約」を強制したことは歴史的事実であることは明らかです。私たちは、このような隣国との歴史をほとんど教えられていません。(たしかに図書館に行けばあるのでしょうね)。参考に、そのときの経緯を伊東氏の文章から引用しましょう。
「併合条約の強制に先立って、日本は1894〜95年の日清戦争に勝って清の勢力を韓国から追放し、ロシアに接近した高宗皇帝の妃明成皇后を1895年10月に暗殺し、1904〜05年に日露戦争でロシアに勝ってロシアの影響力を駆逐し、1905年7月に桂・タフト日米秘密協定によって米国のフィリピン支配と日本の韓国支配を相互に承認し、8月には第二次日英同盟を結んで日本の韓国支配と英国のインド支配を相互に承認し、9月に日露講和条約によって韓国での日本の支配をロシアに承認させました。」
日清戦争の勝利をきっかけに、日本帝国がいかに列強欧米諸国と肩を並べて植民地獲得に奔走したのか読み取れます。
「こうして、米英ロとの談合によって日本の韓国における独占的支配権を認めさせた上で、伊藤博文は1905年11月に騎兵・砲兵・歩兵5万の軍隊を率いてソウルに乗り込み、高宗皇帝の反対にもかかわらず、第二次日韓協約(保護条約)を強制して、韓国政府から外交権を奪い、日本の統監がソウルに駐在して韓国の外交を管理しました。さらに1907年の第三次日韓協約によって韓国の内政一切も統監の監督下に置き、その上で1910年に併合条約を強制したのです。」
こうして韓国がこれから36年間日本の事実上の植民地にされたのですが、その間の自由を奪われた隣国韓国国民の苦しみは想像するに及びません。そのことについて私たちはどこまで知らされているのでしょう。もし、日本が反対に韓国の植民地になっていたらどうでしょう。日本語の使用が禁じられ、名前までも韓国名にされ、しかも自治権を奪われる生活を36年間も押し付けられることを想像してみて下さい。しかし、第二次大戦後の日本は、あきらかにこの歴史的事実に対して誠実な態度をとってきたとは言えません。
「日本の植民地支配は、日本の敗戦によって1945年8月に終わった筈でした。しかし、日本政府は韓国の統治権を韓国に渡したのではなく、米国に渡し、今度は米国の支配下で朝鮮半島の南北分断政策をすすめ、李承晩政権や朴正煕政権を支えて日本の植民地支配の責任を曖昧にしました。そのために、日本外務省は今なお、併合条約は「有効」だと主張して謝罪せず、「竹島(独島)」は日本領だと言い張っています。つまり、日本の敗戦から65年が経ちながら、日本政府は今なお「過去の清算」をきちんと済ませていないのです。」
ここで問題になっていることは、日本政府が1910年の併合条約が当時の国際法のもとでは有効だったと主張している点です。でもこれはどう考えても、常識論から言っても無理があるでしょう。当時と今とでは状況がまったく異なります。歴史的な過去の根拠に合法性があるといっても、それは現在でも通用すると主張するのはまったく傲慢な態度とされても仕方ありません。このような過去の国際条約の問題に関して、国連は1969年「条約法に関するウィーン条約」を制定し、「国の代表者に対する強制」「武力による威嚇又は武力の行使による国に対する強制」は「無効」と定めているのです。
当時の日本と韓国との関わりを客観的に公平に見て、併合条約が両国民の平和的合意の上で成立したと主張する人はいないでしょう。
韓国強制併合100年をむかえて、韓国と日本の市民団体が「日本の植民地支配の完全な清算を求める」行動を起こしており、先日東京で集会が開かれましたが日本のマスコミはまったく無視したようです。
世界平和は、個々の人間たち自ずからの内に平和を築くことでしか道は拓かれないと思います。日韓相互の過去の痛みを清算しないで、どうして平和がありえるでしょう。
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このような”お叱り”の投稿をいただきました。”東京裁判史観”というものがどういうものか私にはピンときませんが、この方の言う”日本のやらせとか”卑劣”なとかは問題ないという考えには、それこそ興国・皇国思想による情報操作の影響が色濃く感じられます。
それに、”過去の中国やアメリカとの戦争はもうかなり真相は解明されて”いるというのも、たしかにそうですが、それらがはたして一般に広く知らされているのかということとは問題が異なります。
ところで、今年は日本の韓国強制併合100年にあたることを、『月刊マスコミ市民』(2010年3月号)の伊藤成彦氏の記事で知りました。こんなことを書くと、また”強制”ではなく”国際合意”だったなどとまたあらぬところからクレームが来るかもしれません。でも、1910年8月22日に大日本帝国政府が軍事的に制圧していた大韓政府に、「韓国併合条約」を強制したことは歴史的事実であることは明らかです。私たちは、このような隣国との歴史をほとんど教えられていません。(たしかに図書館に行けばあるのでしょうね)。参考に、そのときの経緯を伊東氏の文章から引用しましょう。
「併合条約の強制に先立って、日本は1894〜95年の日清戦争に勝って清の勢力を韓国から追放し、ロシアに接近した高宗皇帝の妃明成皇后を1895年10月に暗殺し、1904〜05年に日露戦争でロシアに勝ってロシアの影響力を駆逐し、1905年7月に桂・タフト日米秘密協定によって米国のフィリピン支配と日本の韓国支配を相互に承認し、8月には第二次日英同盟を結んで日本の韓国支配と英国のインド支配を相互に承認し、9月に日露講和条約によって韓国での日本の支配をロシアに承認させました。」
日清戦争の勝利をきっかけに、日本帝国がいかに列強欧米諸国と肩を並べて植民地獲得に奔走したのか読み取れます。
「こうして、米英ロとの談合によって日本の韓国における独占的支配権を認めさせた上で、伊藤博文は1905年11月に騎兵・砲兵・歩兵5万の軍隊を率いてソウルに乗り込み、高宗皇帝の反対にもかかわらず、第二次日韓協約(保護条約)を強制して、韓国政府から外交権を奪い、日本の統監がソウルに駐在して韓国の外交を管理しました。さらに1907年の第三次日韓協約によって韓国の内政一切も統監の監督下に置き、その上で1910年に併合条約を強制したのです。」
こうして韓国がこれから36年間日本の事実上の植民地にされたのですが、その間の自由を奪われた隣国韓国国民の苦しみは想像するに及びません。そのことについて私たちはどこまで知らされているのでしょう。もし、日本が反対に韓国の植民地になっていたらどうでしょう。日本語の使用が禁じられ、名前までも韓国名にされ、しかも自治権を奪われる生活を36年間も押し付けられることを想像してみて下さい。しかし、第二次大戦後の日本は、あきらかにこの歴史的事実に対して誠実な態度をとってきたとは言えません。
「日本の植民地支配は、日本の敗戦によって1945年8月に終わった筈でした。しかし、日本政府は韓国の統治権を韓国に渡したのではなく、米国に渡し、今度は米国の支配下で朝鮮半島の南北分断政策をすすめ、李承晩政権や朴正煕政権を支えて日本の植民地支配の責任を曖昧にしました。そのために、日本外務省は今なお、併合条約は「有効」だと主張して謝罪せず、「竹島(独島)」は日本領だと言い張っています。つまり、日本の敗戦から65年が経ちながら、日本政府は今なお「過去の清算」をきちんと済ませていないのです。」
ここで問題になっていることは、日本政府が1910年の併合条約が当時の国際法のもとでは有効だったと主張している点です。でもこれはどう考えても、常識論から言っても無理があるでしょう。当時と今とでは状況がまったく異なります。歴史的な過去の根拠に合法性があるといっても、それは現在でも通用すると主張するのはまったく傲慢な態度とされても仕方ありません。このような過去の国際条約の問題に関して、国連は1969年「条約法に関するウィーン条約」を制定し、「国の代表者に対する強制」「武力による威嚇又は武力の行使による国に対する強制」は「無効」と定めているのです。
当時の日本と韓国との関わりを客観的に公平に見て、併合条約が両国民の平和的合意の上で成立したと主張する人はいないでしょう。
韓国強制併合100年をむかえて、韓国と日本の市民団体が「日本の植民地支配の完全な清算を求める」行動を起こしており、先日東京で集会が開かれましたが日本のマスコミはまったく無視したようです。
世界平和は、個々の人間たち自ずからの内に平和を築くことでしか道は拓かれないと思います。日韓相互の過去の痛みを清算しないで、どうして平和がありえるでしょう。