金曜日, 4月 28, 2006
4月28日
数年前、アメリカでふたりの若者が、MoveOnというインターネットを通して会員を募ることを始めました。これは、ネットで会員から集めた寄付金を使って政治的テレビコマーシャルを製作・放映することで市民の声を直接広めようという企画です。これが現在では330万人もの会員を擁するパワーフルな団体に成長しました。これまで、ブッシュ政権の政策をことごとく批判する広告を流してきました。昨日、送られてきたMoveOnは、今年11月に行われる中間選挙(いわゆるアメリカの総選挙)に向けてブッシュ政権を支えている共和党議員、それも影響力が大きい上院議員をひとりひとり集中的に批判する広告を出そうという案内でした。アメリカはメディアが強大な影響力をもつ国です。メディア、とくにテレビを握ったものが勝利する典型的なところと言っていいでしょう。そして大企業が政治家と組んでメディア支配をずっと続けてきました。そうやって政権に不利な情報は国民に知らせないのです。また反政府的な情報や意見は主要メディアで取り上げられることはまずありません。ですからMoveOnの企画は画期的でした。今回MoveOnでつくった共和党議員批判コマーシャルを試験的に共和党が制する選挙区で流したところ、あっという間に支持率が急降下し、逆に同選挙区の民主党議員の支持率が上がるという逆転現象が起きたのです。その結果に勇気づけられて、昨日の呼びかけはMoveOn会員に11月の中間選挙まで毎月15ドル寄付してくれないかというお願いでした。https://political.moveon.org/donate/tilnov.html?id=7418-2119821-4e7ykpVHgSeLenyd5eiMjQ&t=6の右側のVIDEOをクリックすればテレビ広告が見られます。アメリカ政局の鍵を握っているのは上院議会です。いまはブッシュ政権を支える共和党上院議員が圧倒的多数ですが、このうち16名を民主党議員に置き換えれば逆転するそうなのです。11月まで毎月15ドル、しめて120ドルでアメリカの政治が変わってくれるのなら安いものではありませんか。というわけで、さっそく昨夜寄付に賛同しました。ところが一夜明けた今朝のMoveOnニュースは、この24時間で124万ドルもの寄付が集まったと報告してきました。すごいですね。同じようなことが日本でもできないでしょうか。
木曜日, 4月 27, 2006
4月27日
このところ天候が気まぐれで農作業の予測がつかず苦労しています。2〜3日天気がつづかないと畑の土が乾かないので耕せません。そろそろ野菜の種まきの準備をしなければいけないのですが。昨日やっと苗床に籾蒔きをしました。籾は水が冷たいのか芽だしがいまいちです。ところが苗床を保温するビニールシートが途中で足らなくなりそうになったので、あわてて近くのコメリというホームセンターに行ったら無いのです。そこで、町まで出かけて農協ともうひとつのホームセンターに行ってら、もう扱っていないと言われてしまい、困りました。ホームセンター(カインズという)の若い店員は、苗床用シートを説明してもなかなか理解してくれませんでした。しかたなく、田んぼに戻って残り少ないシートでなんとかうまく苗床を被せることができました。それにしても、苗床シートが手に入らなくなったとは、ショックです。でも、それもそうですね。今時苗代を見かけることなど皆無ですから。となりのおじさんももう3年前にやめてしまいました。田植えはどこでも機械植えが当たり前になってしまいました。苗をわざわざ育てる農家も少なくなり、農協から購入する人がほとんどです。日本人が食べ物の中でもっともこだわる米をつくる行為が、どんどん管理化され人手を離れていきます。田植機に使う苗は、ほんとうにかぼそく、よくこんなひょろひょろで育つなあと思うくらいです。それにくらべると苗床で育てる稲の苗は頑丈で、見ただけで大丈夫という感じです。そういえば苗床シートを買ったのはもう5年くらい前かもしれません。さて、来年のために今のうちからシートを手配しておかなくては。でも、苗代作りという神聖な作業(それにとても楽しいのに)をこんなに簡単に捨ててしまっていいのでしょうか。
日曜日, 4月 23, 2006
4月23日
竹の子が毎日つぎつぎと土から出始めました。もう子どもたちはうんざり顔です。野良犬のクロがどうやら縁の下で赤ちゃんを生んだようで、数日前からミャーミャー声が聞こえます。どこからか白い野良犬が我が家のまわりに最近出現していたので、こうなることは薄々予感がしていたのですが、さてさてどうしたものでしょう?
今日は、そろそろ苗床の準備と思っていたら、あいにく朝からの雨。無精百姓の私は今日1日たまっているほかの仕事をやることにしました。
共謀罪(正式には「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案(刑法の一部改正)」)という、かつての治安維持法を彷彿させる法案審議が始まろうとしています。だれでも犯罪行為を意図とする会話なり相談をすると、たとえそれが冗談や単なる空想でも、犯罪行為として逮捕されるという恐ろしい法律です。これが成立すると警察国家の体制が一挙に進むでしょう。しかし、法律というものは一部の過激な政治力でできるものではありません。それを支える世論があって初めて可能になるものでしょう。戦前の治安維持法にしても、その目的は影響力を持ち始めた共産党やその思想を取り締まるためでしたが、それは天皇の絶対統治体制をよしとする世論が圧倒的であった当時の事実があるからです。そう考えると、果たして今の世の中、国の治安や安全という問題に関して、どこまでの権力を国家に委ねても構わないと人びとは思っているのでしょうか。不安や恐怖が蔓延するいまの社会を背景に、このような法案自体が実際に国会で審議されること自体すでに人心はそこまで受け入れる用意があるのかもしれません。
陰陽論は宇宙のあらゆる事象に法則があることを教えています。それは、ものごとはすべからず陽から陰に進むということです。そして陰はかならず陽にとって替わられるという宿命があります。今の時代、世間を凌駕している力はもともと陽であったものが陰になったものです。人類の進化の歴史をみると、魚類が栄えていた時代にすでに原始両生類が発現しており、それらが陸に上がってきて両生類時代を築きます。しかし、すでにそこでもすでに原始爬虫類が出現していてやがて陸は爬虫類の天下になります。それも原始哺乳類の出現があってやがて哺乳類にとって替わられます。そして最後にホモエレクトスの出現があって人類の天下になりました。
その人類の歴史も、陽から陰に、さらにそれが新しい陽にとって替わられるということを繰り返してきています。どんな文明もそこに芽吹いた新しい力によって崩壊させられます。そのような視点でいまの世の中をみると、世界を牛耳っているパワーや体制はすでに陰の極みに達しているのかもしれません。すでに陽の力がどこかに現れていて、やがていまの体制にとって替わることになるのです。陰が極まると、つまり世界すべてがそれに染まってくると、自己腐敗や崩壊を起こすとされています。さて、私たちはいったいどこにいるのでしょう。
今日は、そろそろ苗床の準備と思っていたら、あいにく朝からの雨。無精百姓の私は今日1日たまっているほかの仕事をやることにしました。
共謀罪(正式には「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案(刑法の一部改正)」)という、かつての治安維持法を彷彿させる法案審議が始まろうとしています。だれでも犯罪行為を意図とする会話なり相談をすると、たとえそれが冗談や単なる空想でも、犯罪行為として逮捕されるという恐ろしい法律です。これが成立すると警察国家の体制が一挙に進むでしょう。しかし、法律というものは一部の過激な政治力でできるものではありません。それを支える世論があって初めて可能になるものでしょう。戦前の治安維持法にしても、その目的は影響力を持ち始めた共産党やその思想を取り締まるためでしたが、それは天皇の絶対統治体制をよしとする世論が圧倒的であった当時の事実があるからです。そう考えると、果たして今の世の中、国の治安や安全という問題に関して、どこまでの権力を国家に委ねても構わないと人びとは思っているのでしょうか。不安や恐怖が蔓延するいまの社会を背景に、このような法案自体が実際に国会で審議されること自体すでに人心はそこまで受け入れる用意があるのかもしれません。
陰陽論は宇宙のあらゆる事象に法則があることを教えています。それは、ものごとはすべからず陽から陰に進むということです。そして陰はかならず陽にとって替わられるという宿命があります。今の時代、世間を凌駕している力はもともと陽であったものが陰になったものです。人類の進化の歴史をみると、魚類が栄えていた時代にすでに原始両生類が発現しており、それらが陸に上がってきて両生類時代を築きます。しかし、すでにそこでもすでに原始爬虫類が出現していてやがて陸は爬虫類の天下になります。それも原始哺乳類の出現があってやがて哺乳類にとって替わられます。そして最後にホモエレクトスの出現があって人類の天下になりました。
その人類の歴史も、陽から陰に、さらにそれが新しい陽にとって替わられるということを繰り返してきています。どんな文明もそこに芽吹いた新しい力によって崩壊させられます。そのような視点でいまの世の中をみると、世界を牛耳っているパワーや体制はすでに陰の極みに達しているのかもしれません。すでに陽の力がどこかに現れていて、やがていまの体制にとって替わることになるのです。陰が極まると、つまり世界すべてがそれに染まってくると、自己腐敗や崩壊を起こすとされています。さて、私たちはいったいどこにいるのでしょう。
水曜日, 4月 12, 2006
4月12日
ひさしぶりの投稿です。春はあまりにもすべてが早く変化するので、からだもこころも追いついていくのが大変。昨夜の嵐は予想以上で台風並みでしたね。今朝こどもたちを幼稚園に送りにいった先々で河川が氾濫していて、郵便局前は洪水状態で近寄れませんでした。こんなことはかつてなかったことです。わざわざ自然の形態を破壊してあらゆる水路をコンクリート堤にしてしまったつけがこういうときに回ってくるのですね。降った雨がいっきにコンクリート水路を通って流れてきたのです。山は自然のプールです。その保水性があるからこそどんな大雨でも洪水が防がれてきたのです。せっかく自然が与えてくれているものをお金を(税金)かけて捨てる人間の愚かさにはつくづく呆れます。桜はほとんど散ってしまいましたが、桃が例年のごとく見事に鮮やかにはたけを飾ってくれています。そのとなりに梨の花が白く色添えしてくれました。大雨も田んぼには、特に100%天水頼りのわが棚田には、恵みの雨です。午後雨が上がったら早速代掻きをしましょう。ことしは、昨年収穫した「はえぬき」種と地元の方から新たに頂いた「ちば28号/ふさこがね」種を7日から水浸けしています。秋にはニュージーランド(当地では春)で稲作りの指導に行くことになっているので、今年はまさに二期作になるかもしれません。
世界政治の変化も大変なスピードで、これも追いついて行くのが大変。アメリカのブッシュ政権がイラン空爆に踏み切るか議論が沸騰しています。そのことで、私が好きなジャーナリスト、ウィリアム・リバーズ・ピットが、先の見えない不気味な不安感を今日のTruthoutに書いているので思わず訳してしまいました。
「どこまで彼らは狂っているか?」
ウィリアム・リバーズ・ピット 2006年4月11日
(原文)http://www.truthout.org/docs_2006/041106R.shtml
昨夜、ブッシュ政権のイラン攻撃計画の可能性についてボスと論争した。ニューヨーカー誌に載ったセーモア・ハーシュの記事に、彼はずいぶんとショックを受け落ち込んでいた。「やつらはやるつもりだ」と言う。
私はボスに言った。ブッシュ政権がやるとは思えない。そしてイラン攻撃がいかに馬鹿げているか、とくに核兵器使用なども含め、あらゆる理由を掲げて説明した。
イランには強力な軍隊がある。とくに音速の2倍以上で飛びイージス艦のレーダーをすり抜けるサンバーンミサイルを含むミサイル陣営があり、ペルシャ湾にいるアメリカ戦艦は簡単に標的にされるだろう。
イランと連結するイラク多数派のシーア派も呼応してただちに猛反撃するだろう。アメリカ国旗を掲げるものはすべて無差別に気違いのように攻撃してくるだろう。
イランと安全協定を結んでいるシリアも攻撃に参加するかもしれない。
イランと石油取引を最近はじめた中国も干渉してくるだろう。
イランの核開発をあるていど支持しているロシアも黙っていないだろう。
イギリスのブレア首相はイラン問題には関わりたがらないし、イタリアのベルスコーニも失職したようだ、スペインのアズナーはもういない。いまブッシュがそんなことをしたら孤立するだけだよ、と私はボスに言った。
通常兵器でさえそうなのだから、核使用などはとんでもない結果になる。地域を越えて拡大した大混乱は、なんとかタリバン関連の原理主義者たちの反乱を押さえ込んでいるパキスタンのムシャラフ政権の崩壊につながり、パキスタン自身の核兵器使用にもなる最悪のシナリオになる恐れがある。そうなればインドも自制心を失うだろう。
私の話しは説得力があったのだろう。ボスは気分をとり直して、その晩は別れた。10分後。ボスからメールで、NYタイムズに今日載ったポール・クルッグマンの記事が送られてきた。
それは「そう、彼はやるよ」という記事だった。そしてこう言っている;
『「でも彼はそこまでやらないだろう」とみなが思っていたからこそ、ブッシュはイラク戦争にアメリカを引き込むことができたのだ。しかも戦争の理由について何も説明なしに。アメリカ大統領が国民を騙して戦争を始めるなど多くのアメリカ人は信じたくない。常識あると自認する人は「彼はやるはずがない」と言う。しかし、イラク戦争がどうやって始まったかをその経緯を知れば、ブッシュ大統領がまた無計画で不必要な戦争を始める可能性を否定することは分別あることではない。それは考えが甘い。』
まいった。
戦争や死ということを考えると、「いったいこの人たちはどこまで狂っているのだろう」と自問せざるを得ないほどアメリカは相当ひどい状況にある。イランが核兵器を保有するにはまだ10年掛かるだろうというのが説得力ある通論だ。だから外交や経済での状況打開策はいくらでもある。イランを攻撃するもっともな理由などないが、悪い理由はいくつかある。
悪い理由の最大のものはもちろん、2006年中間選挙がせまっている中でイラン攻撃はワシントンの雰囲気を一掃することだ。今やブッシュ政権の人気は最低だ。このままいけば2007年1月には民主党のジョン・コンヤーズが議会司法委員会の議長になるかもしれない。しかも召喚状を持って。
いまのところイラク戦争のときのシナリオと違うのは、ブッシュ政権自身はイラン攻撃、とくに核兵器を用いての、は考えていないと強く否定していることだ。
ではどうしてこう腹の底に嫌な気持ちがあるんだろう。
イギリスのガーディアン紙の記事に、元CIA対テロ作戦部長の話しとして、ブッシュはイランへの軍事行動への踏ん切りがまだついていない、ブッシュ自身のこころとの戦いがある、それにまた大統領主席補佐官のカール・ローブが全面的に反対しているからだと書いてある。しかし、秘密作戦はすでに始まっていて、何人かは殺されているそうだ。
ブッシュのこころの戦いだって?何人かが殺されているって?この何でもありのめちゃくちゃ世界で、私はカール・ローブとは全面的に同意見だ。本当に怖いのはすべてがこの不確定さにあるからだ。理性ある人間ならそんな悲惨な行動には走らないだろう、しかし、我々がこの数年間に観てきたことは、この政権の運転ではその理性が後部座席に追いやられていることだ。
今朝、イラン女性が経営する近所の素晴らしいカフェでコーヒーを注文した。彼女に、国が攻撃されたらどうなるかとずばっと訊くと。そんなことは起きないと言った。「クルッグマンの記事は読んだわ。でも彼らがそんなことやるはずない。狂っていないかぎり」
そりゃそうだ。狂って辞めるまで行ってないのは残念だ。
(訳文責:森田 玄)
世界政治の変化も大変なスピードで、これも追いついて行くのが大変。アメリカのブッシュ政権がイラン空爆に踏み切るか議論が沸騰しています。そのことで、私が好きなジャーナリスト、ウィリアム・リバーズ・ピットが、先の見えない不気味な不安感を今日のTruthoutに書いているので思わず訳してしまいました。
「どこまで彼らは狂っているか?」
ウィリアム・リバーズ・ピット 2006年4月11日
(原文)http://www.truthout.org/docs_2006/041106R.shtml
昨夜、ブッシュ政権のイラン攻撃計画の可能性についてボスと論争した。ニューヨーカー誌に載ったセーモア・ハーシュの記事に、彼はずいぶんとショックを受け落ち込んでいた。「やつらはやるつもりだ」と言う。
私はボスに言った。ブッシュ政権がやるとは思えない。そしてイラン攻撃がいかに馬鹿げているか、とくに核兵器使用なども含め、あらゆる理由を掲げて説明した。
イランには強力な軍隊がある。とくに音速の2倍以上で飛びイージス艦のレーダーをすり抜けるサンバーンミサイルを含むミサイル陣営があり、ペルシャ湾にいるアメリカ戦艦は簡単に標的にされるだろう。
イランと連結するイラク多数派のシーア派も呼応してただちに猛反撃するだろう。アメリカ国旗を掲げるものはすべて無差別に気違いのように攻撃してくるだろう。
イランと安全協定を結んでいるシリアも攻撃に参加するかもしれない。
イランと石油取引を最近はじめた中国も干渉してくるだろう。
イランの核開発をあるていど支持しているロシアも黙っていないだろう。
イギリスのブレア首相はイラン問題には関わりたがらないし、イタリアのベルスコーニも失職したようだ、スペインのアズナーはもういない。いまブッシュがそんなことをしたら孤立するだけだよ、と私はボスに言った。
通常兵器でさえそうなのだから、核使用などはとんでもない結果になる。地域を越えて拡大した大混乱は、なんとかタリバン関連の原理主義者たちの反乱を押さえ込んでいるパキスタンのムシャラフ政権の崩壊につながり、パキスタン自身の核兵器使用にもなる最悪のシナリオになる恐れがある。そうなればインドも自制心を失うだろう。
私の話しは説得力があったのだろう。ボスは気分をとり直して、その晩は別れた。10分後。ボスからメールで、NYタイムズに今日載ったポール・クルッグマンの記事が送られてきた。
それは「そう、彼はやるよ」という記事だった。そしてこう言っている;
『「でも彼はそこまでやらないだろう」とみなが思っていたからこそ、ブッシュはイラク戦争にアメリカを引き込むことができたのだ。しかも戦争の理由について何も説明なしに。アメリカ大統領が国民を騙して戦争を始めるなど多くのアメリカ人は信じたくない。常識あると自認する人は「彼はやるはずがない」と言う。しかし、イラク戦争がどうやって始まったかをその経緯を知れば、ブッシュ大統領がまた無計画で不必要な戦争を始める可能性を否定することは分別あることではない。それは考えが甘い。』
まいった。
戦争や死ということを考えると、「いったいこの人たちはどこまで狂っているのだろう」と自問せざるを得ないほどアメリカは相当ひどい状況にある。イランが核兵器を保有するにはまだ10年掛かるだろうというのが説得力ある通論だ。だから外交や経済での状況打開策はいくらでもある。イランを攻撃するもっともな理由などないが、悪い理由はいくつかある。
悪い理由の最大のものはもちろん、2006年中間選挙がせまっている中でイラン攻撃はワシントンの雰囲気を一掃することだ。今やブッシュ政権の人気は最低だ。このままいけば2007年1月には民主党のジョン・コンヤーズが議会司法委員会の議長になるかもしれない。しかも召喚状を持って。
いまのところイラク戦争のときのシナリオと違うのは、ブッシュ政権自身はイラン攻撃、とくに核兵器を用いての、は考えていないと強く否定していることだ。
ではどうしてこう腹の底に嫌な気持ちがあるんだろう。
イギリスのガーディアン紙の記事に、元CIA対テロ作戦部長の話しとして、ブッシュはイランへの軍事行動への踏ん切りがまだついていない、ブッシュ自身のこころとの戦いがある、それにまた大統領主席補佐官のカール・ローブが全面的に反対しているからだと書いてある。しかし、秘密作戦はすでに始まっていて、何人かは殺されているそうだ。
ブッシュのこころの戦いだって?何人かが殺されているって?この何でもありのめちゃくちゃ世界で、私はカール・ローブとは全面的に同意見だ。本当に怖いのはすべてがこの不確定さにあるからだ。理性ある人間ならそんな悲惨な行動には走らないだろう、しかし、我々がこの数年間に観てきたことは、この政権の運転ではその理性が後部座席に追いやられていることだ。
今朝、イラン女性が経営する近所の素晴らしいカフェでコーヒーを注文した。彼女に、国が攻撃されたらどうなるかとずばっと訊くと。そんなことは起きないと言った。「クルッグマンの記事は読んだわ。でも彼らがそんなことやるはずない。狂っていないかぎり」
そりゃそうだ。狂って辞めるまで行ってないのは残念だ。
(訳文責:森田 玄)
金曜日, 3月 31, 2006
3月31日
今朝の台所の寒暖計を見てびっくり。2度でした。畑をみたら霜が降りているではありませんか。そして、今日、我が家に新たな家族がふえました。キットという生後2ヶ月の子猫をもらってきました。白と黒のまじった雄猫です。去年飼い猫のリモが死んで以来、ねずみが増えて困っていました。さてキットはねずみを捕まえてくれるかしら。
桃の花が咲き始めましたが、こんな寒さではなかなか畑も田んぼも仕事が本格的になりません。いまは去年仕込んだ堆肥を畝に鋤き込んでいます。それでも、冬を越した麦が青々と元気に育っていますし、タマネギ、空豆、絹さや、ガーリック、レタスなども順調です。そろそろ田んぼの代掻きをして苗代の準備をしなければいけません。ところが耕耘機(ロータリー)に水漏れがみつかって一大事。修理に2〜3万円もかかると言われて、どうするか思案中です。苗代程度なら小さなコマメちゃん耕耘機でなんとかなるかもしれません。稲の種まきは4月下旬です。そうそう今年はほうれん草が思いのほかよく育って毎日食卓におひたしになってくれています。
桃の花が咲き始めましたが、こんな寒さではなかなか畑も田んぼも仕事が本格的になりません。いまは去年仕込んだ堆肥を畝に鋤き込んでいます。それでも、冬を越した麦が青々と元気に育っていますし、タマネギ、空豆、絹さや、ガーリック、レタスなども順調です。そろそろ田んぼの代掻きをして苗代の準備をしなければいけません。ところが耕耘機(ロータリー)に水漏れがみつかって一大事。修理に2〜3万円もかかると言われて、どうするか思案中です。苗代程度なら小さなコマメちゃん耕耘機でなんとかなるかもしれません。稲の種まきは4月下旬です。そうそう今年はほうれん草が思いのほかよく育って毎日食卓におひたしになってくれています。
月曜日, 3月 27, 2006
3月27日
アメリカの平和省ウェブ(Peace Alliance)を観ていたら、クシニッチ議員が昨年9月にほかの議員と連名で連邦議会に平和省設立法案を提出した際の演説がありました。みじかいけれど素晴らしい演説なので訳してみました。
連邦下院議会記録 2005年9月14日
「平和と非暴力省」創設
(クシニッチ氏の要請により議会で1分間発言を許される。)
クシニッチ氏:議長殿、私たちの奥深い沈黙から、私たちひとりひとりの内にある平和を知るその場所から、私たちを世界と世界のこころにつなぐ私たちのこころそのものから、私たちは知っています。恐れが暴力を導くこと、暴力が戦争を導くこと、戦争がすべての破壊に導くことを。しかも私たちは恐れを欲していません、暴力も戦争も欲していません。ただ平和を欲しているのです。私たちは平和を欲するあまりそのためには何でもしようとさえ思っています。それで安心のために軍備に予算の半分も使っているのです。
こんな暴力による平和維持など続かないことも知っています。そのやりかたでは私たちの子どもたちに未来を与えることができないことも知っています。
ですから今日、「平和と非暴力」省の設立法案3760を提出して新しい出発にします。これは、絶望ではなく勇気と希望を選択するという数十人の議員たちの宣言です。私たちは新しいアメリカと新しい世界を創ろうと宣言するのです。
連邦下院議会記録 2005年9月14日
「平和と非暴力省」創設
(クシニッチ氏の要請により議会で1分間発言を許される。)
クシニッチ氏:議長殿、私たちの奥深い沈黙から、私たちひとりひとりの内にある平和を知るその場所から、私たちを世界と世界のこころにつなぐ私たちのこころそのものから、私たちは知っています。恐れが暴力を導くこと、暴力が戦争を導くこと、戦争がすべての破壊に導くことを。しかも私たちは恐れを欲していません、暴力も戦争も欲していません。ただ平和を欲しているのです。私たちは平和を欲するあまりそのためには何でもしようとさえ思っています。それで安心のために軍備に予算の半分も使っているのです。
こんな暴力による平和維持など続かないことも知っています。そのやりかたでは私たちの子どもたちに未来を与えることができないことも知っています。
ですから今日、「平和と非暴力」省の設立法案3760を提出して新しい出発にします。これは、絶望ではなく勇気と希望を選択するという数十人の議員たちの宣言です。私たちは新しいアメリカと新しい世界を創ろうと宣言するのです。
火曜日, 2月 14, 2006
2月14日
立花隆の「天皇と東大」、ほぼ半分まで読み進みました。明治の初期、開国したばかりの日本は一日も早く西欧の列強に近づこうと西欧の文化吸収に国を揚げて取り組みました。そこで最初に模範になったのがアメリカやフランスで、そのころの自由主義や啓蒙主義が日本に入ってきて人びとに大きな影響を与えました。自由民権思想がそこで生まれたのです。ところが、天皇を中心とする尊王国粋派は、いわゆる民主主義の台頭に危機感を覚え、国民を煽動して急激に攘夷の体制(国体)に向わせます。アメリカやフランスの教師たちは排斥され、かわりに当時立憲君主制のプロシャ(ドイツ)を規範にします。自由思想の学者や政治家はことごとく排斥され,あっという間にファシズム体制に世間が席巻され、日露戦争を経て、韓国併合、満州国建設と大帝国主義への道に日本は突き進んでいきました。天皇や日本そのものが神格化され、疑うものはただちに投獄されました。歴史も天皇が神の子孫であるというように書き換えられ、教科書にもそう書くよう強制したのです。東大は政府の意のままになる官僚生産の場として、常にその中心にありました。またそれ以上に、ナショナリズムに煽られた国民が帝国主義(侵略主義、領土拡張主義)の道に邁進する先導役を務めたのも東大だったのです。
ここで驚かされるのが、それまでお上といえば徳川将軍様で、京都の天皇などはほとんど無視されていたのに、一般国民がいとも簡単に一夜のうちに神の国という宣伝に洗脳されてしまう事実です。日本人ほどポピュリズムに熱狂的に反応する国民はほかにも類をみないのではないでしょうか。いまの小泉人気はまさにそうです。国際貢献などという極めてあいまいな説明で国民を納得させる手法は、はっきり言って国民を愚弄するやり方です。この国の大衆は、300年の鎖国のあいだにすっかり従順さを身につけ、せっかく文明開化で人権主義が広まる気運が生まれたのに、わざわざ自分たちでそれを捨てて卑下たる身分に戻って行ったのです。
ここで驚かされるのが、それまでお上といえば徳川将軍様で、京都の天皇などはほとんど無視されていたのに、一般国民がいとも簡単に一夜のうちに神の国という宣伝に洗脳されてしまう事実です。日本人ほどポピュリズムに熱狂的に反応する国民はほかにも類をみないのではないでしょうか。いまの小泉人気はまさにそうです。国際貢献などという極めてあいまいな説明で国民を納得させる手法は、はっきり言って国民を愚弄するやり方です。この国の大衆は、300年の鎖国のあいだにすっかり従順さを身につけ、せっかく文明開化で人権主義が広まる気運が生まれたのに、わざわざ自分たちでそれを捨てて卑下たる身分に戻って行ったのです。
日曜日, 2月 05, 2006
2月11日
最近、ふと立ち寄った本屋で眼に留まった本に注目しています。「天皇と東大」というちょっとセンセーショナルな表題で、著者は立花隆。彼は、週刊新潮のコラムで「戦争中毒」に好意的な文章を書いてくれたこともあり、さらに著書「イラク戦争・日本の運命・小泉の運命」でも同様なことを書いてくれています。日本の著名なジャーナリストで私たちの本を取り上げてくれたのは立花隆だけなので、彼には一目を置いているわけです。実際、立花隆の現小泉政権に対する批判は徹底していますし、とくに、改憲問題での立場も明瞭です。真理の追求というジャーナリストの役割をフルに演じている人間と言っても過言ではないでしょう。
さてこの「天皇と東大」、ご存知の方も多いと思いますが、これは文芸春秋に7年間連載していた「私の東大論」をまとめたものです。じつはこの本には「大日本帝国の生と死」という副題がついています。「長い長い鎖国の時代が終わったあと、日本という近代国家がどのようにして作られ、それがどのようにして現代日本(戦後日本)につながることになったかを、「東大という覗き窓」を通して見た本」とあります。そしてこの国がどうしてこんな国になってしまったのか、歴史を振り返ると日本は大きな曲がり角をまわるたびに大きな過誤を犯してきた、そのときの判断ミスがのちに取り返しのつかない結果となって跳ね返ってきた、その原因を見極めるためにも近現代史を知ることが必要であり、そこからはじめて現代を語れる、と本の趣旨を書いています。
そして、近代日本の政治と軍事と宗教の一体化した神聖シンボルとしての天皇(制)は、近現代史の中心的な役割を果たしてきたこと,また、その天皇を中心とする「国体」観念に全国民が虜にされたが、その魔術支配の主たる舞台こそ東大であったというのです。
まだまだ読み始めたばかりですが、はじめから眼から鱗の話がつづいます。興味あるところをこれからも書いて行きましょう。
さてこの「天皇と東大」、ご存知の方も多いと思いますが、これは文芸春秋に7年間連載していた「私の東大論」をまとめたものです。じつはこの本には「大日本帝国の生と死」という副題がついています。「長い長い鎖国の時代が終わったあと、日本という近代国家がどのようにして作られ、それがどのようにして現代日本(戦後日本)につながることになったかを、「東大という覗き窓」を通して見た本」とあります。そしてこの国がどうしてこんな国になってしまったのか、歴史を振り返ると日本は大きな曲がり角をまわるたびに大きな過誤を犯してきた、そのときの判断ミスがのちに取り返しのつかない結果となって跳ね返ってきた、その原因を見極めるためにも近現代史を知ることが必要であり、そこからはじめて現代を語れる、と本の趣旨を書いています。
そして、近代日本の政治と軍事と宗教の一体化した神聖シンボルとしての天皇(制)は、近現代史の中心的な役割を果たしてきたこと,また、その天皇を中心とする「国体」観念に全国民が虜にされたが、その魔術支配の主たる舞台こそ東大であったというのです。
まだまだ読み始めたばかりですが、はじめから眼から鱗の話がつづいます。興味あるところをこれからも書いて行きましょう。
木曜日, 2月 02, 2006
2月2日
昨日はよく雨が降りました。お陰で、昨年修理した田んぼの土手がまた崩れてしまいました。やれやれ、またユンボを運び込まなければ。
ことしは、モーツァルト生誕250年ということらしいです。じつは、私は生粋の(変な表現ですが)モーツァルトファンなのです。若い頃はベートーベン,ショパン、チャイコフスキーなどを好んで聴いていました。モーツァルトはどうもピンとこなかったのです。やはりベートーベンの感動的な力強い響きに酔っていました。ところがある日、車を運転していたら妙にこころを吸い込まれるような曲想が流れてきました。実に軽やかでしかもその背後に複雑なメロディラインが流れています。それがモーツァルトに開眼した瞬間でした。それ以来、ほとんどクラシックはモーツァルトです。不思議なもので、いままであんなにこころを揺さぶられていたはずのベートーベンが、意外にもよそよそしく聴こえるのです。モーツァルトは、ある年齢にならないとその本当の素晴らしさが理解できないのかもしれません。少なくとも私はそうでした。でも、どうしてこんなにモーツァルトなのかという疑問に対するひとつの理由は、彼の誕生日が私の次の日だったことかもしれません。いつかヨーロッパをモーツァルトコンサートツアーするのが夢です。
ことしは、モーツァルト生誕250年ということらしいです。じつは、私は生粋の(変な表現ですが)モーツァルトファンなのです。若い頃はベートーベン,ショパン、チャイコフスキーなどを好んで聴いていました。モーツァルトはどうもピンとこなかったのです。やはりベートーベンの感動的な力強い響きに酔っていました。ところがある日、車を運転していたら妙にこころを吸い込まれるような曲想が流れてきました。実に軽やかでしかもその背後に複雑なメロディラインが流れています。それがモーツァルトに開眼した瞬間でした。それ以来、ほとんどクラシックはモーツァルトです。不思議なもので、いままであんなにこころを揺さぶられていたはずのベートーベンが、意外にもよそよそしく聴こえるのです。モーツァルトは、ある年齢にならないとその本当の素晴らしさが理解できないのかもしれません。少なくとも私はそうでした。でも、どうしてこんなにモーツァルトなのかという疑問に対するひとつの理由は、彼の誕生日が私の次の日だったことかもしれません。いつかヨーロッパをモーツァルトコンサートツアーするのが夢です。
土曜日, 1月 28, 2006
1月28日
今日は昨日とうってかわって朝から快晴です。だいぶ残り雪も少なくなってきました。我が家のまわりにはいろいろな野生動物が生息していますが、この数年とくに目立って増えたのがイノシシです。彼らは夜行性なので人目に曝されることはまずありません。ところが、昨日の夕方、卵をもらいに近所の田畑さんに行った帰りの山道で、5〜6匹の子犬を見かけました。と最初は思ったのですが、近くに寄ると、なんとイノシシの子どもたちです。茶色の毛に覆われ、背中に黄色っぽい筋が数本あります。それらが群れになってちょこちょこと道路を歩いています。一緒にいた杏菜と真生は大騒ぎ。5メートルほど追いかけていくと突然脇の薮から大きな母親イノシシが現れ、子イノシシたちを薮に連れて行きました。イノシシの子ども、まだ生まれてまもない赤ちゃんかもしれません、を見るのは初めてですし、親イノシシをこんなに近くで見るのも初めて。いや、じつに可愛いもんです。本当はいつも田畑を荒らすので憎くき相手なのですが。
最近近くにコンビニができたので、久しぶりに今日の朝日新聞を買って読みました。ここは新聞配達がないので(郵便と宅配は来ます)新聞とは自然と疎遠になっています。朝日は駄目だ、あまりにも保守的・右傾化・政府寄りという批判をよく聞きますが、今日の紙面を見ているかぎり、いやいややはり朝日なりのことはあるなと感じ入っています。まず、全体の紙面を通して戦争批判論調が一貫しています。とくに童話作家の高木敏子の言葉が心に残りました。「戦争を起こすのは人の心です.戦争を起こさせないようにするのも人の心です。戦争を起こしてもいいという心を持つ人が増えたら、過ちが繰り返されてしまうかもしれません。みんなで戦争を起こさせないこころの輪を強く結び、世界に向けて広げて行きましょう」
アメリカの市民グループが傑作な看板をトラックに積んで、来週の火曜日からワシントン市街を回るそうです。それには「ブッシュ・チェイニー弾劾・排除・告訴される。これ以上譲歩するな。任務完了!」その裏には、「アメリカ国民をスパイ・議会での偽証・違法戦争遂行・捕虜虐待・極秘刑務所・911事件警告無視・・・以上のすべてに有罪」と書いてあります。これと同じような看板トラックを永田町でもやるべきですね。
最近近くにコンビニができたので、久しぶりに今日の朝日新聞を買って読みました。ここは新聞配達がないので(郵便と宅配は来ます)新聞とは自然と疎遠になっています。朝日は駄目だ、あまりにも保守的・右傾化・政府寄りという批判をよく聞きますが、今日の紙面を見ているかぎり、いやいややはり朝日なりのことはあるなと感じ入っています。まず、全体の紙面を通して戦争批判論調が一貫しています。とくに童話作家の高木敏子の言葉が心に残りました。「戦争を起こすのは人の心です.戦争を起こさせないようにするのも人の心です。戦争を起こしてもいいという心を持つ人が増えたら、過ちが繰り返されてしまうかもしれません。みんなで戦争を起こさせないこころの輪を強く結び、世界に向けて広げて行きましょう」
アメリカの市民グループが傑作な看板をトラックに積んで、来週の火曜日からワシントン市街を回るそうです。それには「ブッシュ・チェイニー弾劾・排除・告訴される。これ以上譲歩するな。任務完了!」その裏には、「アメリカ国民をスパイ・議会での偽証・違法戦争遂行・捕虜虐待・極秘刑務所・911事件警告無視・・・以上のすべてに有罪」と書いてあります。これと同じような看板トラックを永田町でもやるべきですね。
金曜日, 1月 27, 2006
1月27日
今日は、朝から厚い雲が空を覆ってとても寒い1日です。久しぶりに一人で家でゆったりと読書とメール書きをこたつでしています。いま居るところは、3年前に造ったサンルームという南西向きの部屋で、とにかく明るくしようとすべての壁面をガラスにしました。お陰で、陽が入るときはそれこそ南国並みに暑いくらいになるのですが、今日のような曇り日は外とかわりません。でも、ここからの眺めはとても気に入っています。ここからまだ雪に覆われた畑と山林が見えます。聞こえるのは屋根に残っている雪が溶けて地面に落ちる音だけです。
昨日は私の誕生日でした。これはという特別な感慨もありませんが、この歳になって心配するようなからだの問題がないことだけは感謝したいです。思えば、十数年前、ひょんなことから知った東洋医学に目覚めて、自然食を中心とした新しいライフスタイルに変換して以来常にこころとからだのバランスの大切さを身にしみて感じてきました。そこで学んだいのちの法則の知恵を多くのひとに知ってもらいたいと勉強会を行ってきました。先週も沖縄で初心者のワークショップをやりましたが、いわゆる半健康と呼ばれるいつ病気になってもいいような人が多いのにはいつも驚かされます。からだの不調を訴えるひとは、それがまるで当たり前のようなことだと思っているようです。あまりにも、周囲に不健康なひとたちばかりなのでそれが普通になってしまっているのですね。こどものときのような、朝起きると自然にからだが動いてしまうような元気さ、はつらつさは年齢とともに失われ二度と帰って来ないものだと思っているようです。そんなことはありません。いのちは常に本来の完全な存在に戻ろうとしています。それを阻んでいるのは私たち自身です。たしかに私たちをとりまく環境はこころとからだのバランスを崩すようなもので満ちあふれていますが、できることはそれこそ無数にあり、そのうちのひとつでも実践すれば確実によい結果が出ることになっています。からだは完全無欠なコンピュータのようなものですから、わずかなことにでも即反応します。その僅かなポジティブな変化は、自分自身への小さな最初の自信になります。その小さな自信を少しずつ増やして行けばいいのです。そうすることで、私のエネルギーが高まり、それが周りに順々と伝わっていきます。ちょうど池に石を投げ入れたように、波が広がっていきます。健康であることは、生まれた生命への責任であり、平和への道でもあると思います。
昨日は私の誕生日でした。これはという特別な感慨もありませんが、この歳になって心配するようなからだの問題がないことだけは感謝したいです。思えば、十数年前、ひょんなことから知った東洋医学に目覚めて、自然食を中心とした新しいライフスタイルに変換して以来常にこころとからだのバランスの大切さを身にしみて感じてきました。そこで学んだいのちの法則の知恵を多くのひとに知ってもらいたいと勉強会を行ってきました。先週も沖縄で初心者のワークショップをやりましたが、いわゆる半健康と呼ばれるいつ病気になってもいいような人が多いのにはいつも驚かされます。からだの不調を訴えるひとは、それがまるで当たり前のようなことだと思っているようです。あまりにも、周囲に不健康なひとたちばかりなのでそれが普通になってしまっているのですね。こどものときのような、朝起きると自然にからだが動いてしまうような元気さ、はつらつさは年齢とともに失われ二度と帰って来ないものだと思っているようです。そんなことはありません。いのちは常に本来の完全な存在に戻ろうとしています。それを阻んでいるのは私たち自身です。たしかに私たちをとりまく環境はこころとからだのバランスを崩すようなもので満ちあふれていますが、できることはそれこそ無数にあり、そのうちのひとつでも実践すれば確実によい結果が出ることになっています。からだは完全無欠なコンピュータのようなものですから、わずかなことにでも即反応します。その僅かなポジティブな変化は、自分自身への小さな最初の自信になります。その小さな自信を少しずつ増やして行けばいいのです。そうすることで、私のエネルギーが高まり、それが周りに順々と伝わっていきます。ちょうど池に石を投げ入れたように、波が広がっていきます。健康であることは、生まれた生命への責任であり、平和への道でもあると思います。
火曜日, 1月 24, 2006
1月24日
昨夜遅く、沖縄から帰宅しました。ところが、家の近くまで来ると雪で道が凍って登れません。しかたなく下の道にくるまを置いて、山の上の我家まで家族全員で歩いて帰りました。なにしろ17度の沖縄から零度に近いところに来たのですから、その寒さは尋常ではありません。でも、空を見上げると満点の星。それはこういうときしか味わえない凄みのある美しさでした。
ところで、那覇というとあまりにも都会というイメージですが、その都会の中にびっくりするような熱帯の自然が残されています。末吉公園というところで、私たちが滞在していた首里から歩いてほんの15分のところにあります。そこはまさに別世界。昔の沖縄はこうだったんだと感慨に打たれました。そして、なんと桜がちょうど満開なのです。そして、今日もやはり山の道は凍っていて通行不能。朝、こどもたちと歩いて山を降りました。今朝の天気は真っ青な空。真っ白に覆われた田畑が映えていました。さて、すっかり緩んだからだを早く締めなければ。
ところで、那覇というとあまりにも都会というイメージですが、その都会の中にびっくりするような熱帯の自然が残されています。末吉公園というところで、私たちが滞在していた首里から歩いてほんの15分のところにあります。そこはまさに別世界。昔の沖縄はこうだったんだと感慨に打たれました。そして、なんと桜がちょうど満開なのです。
水曜日, 1月 18, 2006
1月18日
ニール・ドナルド・ウォルシュ著「新しき啓示」(神との対話シリーズ)より
恐れていることはすでに起こっている。
世界を見まわしてごらん。あなたがたの生き方/生命のあり方の最後の痕跡は2001年9月11日に消滅した。人間の基準で言えば、もはや誰も安全ではなく、安定してもいない。
いまの課題は、安全や安定を失うまいとすることではなく、取り戻すことだ。
物理的なレベルで爆弾や戦車、兵士を使って、あるいは経済力や政治力を使ってそれをなしとげようとすることもできるし、霊的なレベルで信念を変えることで実現するという選択もできる。
変えるべき最初の信念は、自分たちが安全でもなく安定してもいない場合がありうるという信念だ。あなたがたが何者であるかを考えれば、安全と安定の喪失というのは幻想だよ.人間の基準を使えば、あなた方はもう安全と安定を喪失している.霊的な物差しを使えば、喪失することはありえない。
内的な平和は、外的な手段では実現できない.内的な平和は、自分が何者かを理解することで達成できる。内的な平和が実現していればこそ、外的な平和が可能になる.内的な平和がないとろでは、外的な平和はあり得ない。それは人類という種が何度も発見したことだ。
そしていまそれを再発見している。
全世界の外的な平和は、とてももろい.内的な平和が事実上、存在していないからだ。世界はばらばらに壊れつづけ、それをあなたがたは間違った道具(ツール)で元に戻そうとしている。信念ではなく行動を変えることで、世界をひとつに戻そうとしているのだよ。
ハンプティ・ダンプティ、堀の上
ハンプティ・ダンプティ、どすんと墜落
王様の馬が総出でも、王様の家来が総出でも、
ハンプティ・ダンプティを元にもどせはしない
**************
ひとびとは漠然とした恐れを抱きながらも、きっとなんとかなると思いつつ、日々を過ごしています。それはまるでガンがからだにあるのに見て見ぬ振りをしているのと同じです。そう、ハンプティ・ダンプティは落ちてしまった。この地球は平和の星というのは幻想だということに目覚めなければいけないのです。
恐れていることはすでに起こっている。
世界を見まわしてごらん。あなたがたの生き方/生命のあり方の最後の痕跡は2001年9月11日に消滅した。人間の基準で言えば、もはや誰も安全ではなく、安定してもいない。
いまの課題は、安全や安定を失うまいとすることではなく、取り戻すことだ。
物理的なレベルで爆弾や戦車、兵士を使って、あるいは経済力や政治力を使ってそれをなしとげようとすることもできるし、霊的なレベルで信念を変えることで実現するという選択もできる。
変えるべき最初の信念は、自分たちが安全でもなく安定してもいない場合がありうるという信念だ。あなたがたが何者であるかを考えれば、安全と安定の喪失というのは幻想だよ.人間の基準を使えば、あなた方はもう安全と安定を喪失している.霊的な物差しを使えば、喪失することはありえない。
内的な平和は、外的な手段では実現できない.内的な平和は、自分が何者かを理解することで達成できる。内的な平和が実現していればこそ、外的な平和が可能になる.内的な平和がないとろでは、外的な平和はあり得ない。それは人類という種が何度も発見したことだ。
そしていまそれを再発見している。
全世界の外的な平和は、とてももろい.内的な平和が事実上、存在していないからだ。世界はばらばらに壊れつづけ、それをあなたがたは間違った道具(ツール)で元に戻そうとしている。信念ではなく行動を変えることで、世界をひとつに戻そうとしているのだよ。
ハンプティ・ダンプティ、堀の上
ハンプティ・ダンプティ、どすんと墜落
王様の馬が総出でも、王様の家来が総出でも、
ハンプティ・ダンプティを元にもどせはしない
**************
ひとびとは漠然とした恐れを抱きながらも、きっとなんとかなると思いつつ、日々を過ごしています。それはまるでガンがからだにあるのに見て見ぬ振りをしているのと同じです。そう、ハンプティ・ダンプティは落ちてしまった。この地球は平和の星というのは幻想だということに目覚めなければいけないのです。
火曜日, 1月 17, 2006
1月17日
昨日、FMちゃたんに出演したついでに、本土からちゃたん(北谷)に移り住んでいる金森太郎くんと会いました。映画「チベット・チベット」の監督で1年ぶりの再会です。若くてもさすが映画監督、沖縄社会をするどく観察する眼は尋常ではありません。沖縄には約5万人の米軍関係者がいるのですが、それ以外にも軍人ではない外国人が3万人も住んでいると聞いて驚きました。金森くんの友人にハワイからわざわざ沖縄に越してきているアメリカ人がいるそうです。そのわけを訊ねたら、たしかにハワイの自然環境は沖縄以上であるけれどハワイにはない大事なものが沖縄にある、それは「安全」だと答えたそうです。
基地と観光という産業に支えられている沖縄は、ひとつ間違えれば犯罪が蔓延する要因を抱えていることも事実です。ハワイもまったくおなじ社会環境であることをみれば納得いくはずです。それがいままで安全でありえた理由は、沖縄社会の閉鎖性にあるのではないかと思います。べつに沖縄人が意識的にそうしているわけでもないでしょうが、事実、内地からの人が沖縄社会に溶け込んで行くのは至難だとよく耳にします。地域文化と言語の隔たりがその大きな障壁でしょう。でも、だからこそ、それが沖縄の魅力にもなっているわけですね。
基地と観光という産業に支えられている沖縄は、ひとつ間違えれば犯罪が蔓延する要因を抱えていることも事実です。ハワイもまったくおなじ社会環境であることをみれば納得いくはずです。それがいままで安全でありえた理由は、沖縄社会の閉鎖性にあるのではないかと思います。べつに沖縄人が意識的にそうしているわけでもないでしょうが、事実、内地からの人が沖縄社会に溶け込んで行くのは至難だとよく耳にします。地域文化と言語の隔たりがその大きな障壁でしょう。でも、だからこそ、それが沖縄の魅力にもなっているわけですね。
金曜日, 1月 13, 2006
1月13日
沖縄・那覇の首里というところに来ています。昨年に引き続いて、友人の所有する空きマンションに家族でこれから約2週間の滞在です。琉球王朝の宮廷があった首里中学のとなりで、この付近を歩くと王朝の歴史を語る史跡によくぶつかります。私には沖縄の歴史を語る資格も十分な知識もありませんが、大通りを逸れて、細長くくねくね曲がる小径を歩いて行くと、熱帯樹に囲まれいかにも伝統的な木の家に出会い「ああ、これこそ沖縄人の暮らしだ」と思いほっとします。そのまま絵はがきになるくらい絵になるのです。
台風という避けられない状況での強固なコンクリート構造にならざるを得ない理由はわかりますが、あまりにも風土とか伝統文化を無視した町並みには正直がっかりさせられますね。
さて、これはアメリカの言わば「読売新聞」とでも呼べるUSA TODAY新聞が行った、「あなたはどのような政府機関とメディアを信用しますか?」という世論調査結果です。まずびっくりするのは、連邦政府にはたった6%の信用しかないことです。地元の州政府や市町村政府にしても大して変わりません。地元のテレビや新聞も20数%です。要するにアメリカ人は、基本的に政府とかメディアというものを信用していないのでしょう。しかし、今の世界はアメリカ帝国の覇権で蹂躙されていると言っても過言ではないでしょう。この沖縄での現状を知るアメリカ国民がはたしているのでしょうか。この矛盾をどう理解したらいいのでしょう。
台風という避けられない状況での強固なコンクリート構造にならざるを得ない理由はわかりますが、あまりにも風土とか伝統文化を無視した町並みには正直がっかりさせられますね。
さて、これはアメリカの言わば「読売新聞」とでも呼べるUSA TODAY新聞が行った、「あなたはどのような政府機関とメディアを信用しますか?」という世論調査結果です。
水曜日, 1月 11, 2006
1月11日
昨日から沖縄に来ました。気温20度。さすが常夏のくに。ここでゆっくり風邪を治しましょう。
ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」シリーズの「新しき啓示」を友人から渡され、また読み直しています。最初読んだときとは違って今回は1行1行にこころが共鳴するのを感じます。以下はとくに自分自身に響いた箇所の抜粋です。
「あなたは『あり方』を選ばなければならない。自分自身を選択しなければならない。これは自己選択だ。あなたは、これが自分だ、と決めなければならない。
それから、自分についての決断を毎日、毎時間、示さなければならない。
行動はすべて自己を定義するのだということを理解しなければならない。
考え、言い、行うことがあなたを決め、あなた自身についてのあなたの選択を表すのだから。
人生は決断を伝えるものだ。あなた自身についてのあなたの決断を世界に伝える。あなたが自分は何者だと決断したかを人びとに伝え、人びとが何者であるかを伝え、なぜあなたがここにいて、なぜ人びとがここにいるとあなたは考えるかを伝え、人生とはそもそも何だと思うかを伝える。
これらの決断は、あなたが思っているよりもはるかに大きな影響を及ぼす。あなたが想像するよりもはるかに深く、人びとにふれる。
しかし、それは世界を変えようとという試みから始まるのではない。自分自身を変えようとすることから始まる。
自分自身を変えれば、内なる世界が変わる。
あなたの内なる世界が変われば、あなたがふれる外の世界が少しずつ変わる。
あなたがふれる外の世界が変われば、その世界がふれる世界が変わり、そのまた世界がふれる世界が変わる。
こうして外へ外へと、池の波紋のようにひろがっていく。」
ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」シリーズの「新しき啓示」を友人から渡され、また読み直しています。最初読んだときとは違って今回は1行1行にこころが共鳴するのを感じます。以下はとくに自分自身に響いた箇所の抜粋です。
「あなたは『あり方』を選ばなければならない。自分自身を選択しなければならない。これは自己選択だ。あなたは、これが自分だ、と決めなければならない。
それから、自分についての決断を毎日、毎時間、示さなければならない。
行動はすべて自己を定義するのだということを理解しなければならない。
考え、言い、行うことがあなたを決め、あなた自身についてのあなたの選択を表すのだから。
人生は決断を伝えるものだ。あなた自身についてのあなたの決断を世界に伝える。あなたが自分は何者だと決断したかを人びとに伝え、人びとが何者であるかを伝え、なぜあなたがここにいて、なぜ人びとがここにいるとあなたは考えるかを伝え、人生とはそもそも何だと思うかを伝える。
これらの決断は、あなたが思っているよりもはるかに大きな影響を及ぼす。あなたが想像するよりもはるかに深く、人びとにふれる。
しかし、それは世界を変えようとという試みから始まるのではない。自分自身を変えようとすることから始まる。
自分自身を変えれば、内なる世界が変わる。
あなたの内なる世界が変われば、あなたがふれる外の世界が少しずつ変わる。
あなたがふれる外の世界が変われば、その世界がふれる世界が変わり、そのまた世界がふれる世界が変わる。
こうして外へ外へと、池の波紋のようにひろがっていく。」
土曜日, 1月 07, 2006
1月7日
5〜6日と札幌でミーティングがあったので、ゆみと二人で出かけてきました。真生が先日から熱を出していたので、多少心配でしたが、留守番のアコちゃんに子どもたちの世話を頼んでの旅行です。アコちゃんは天からの授かりもの、本当にありがとう。札幌は零下5〜10度という寒さ、我家とは比較になりません。町中が2メートルに届く雪にとじ込まれている感じで、車もゆっくりと恐る恐る動いています。札幌在住のフジワラトシさんは毎日雪かきしないと車が通れなくなると言います。冬の雪かきが大変な作業なので、札幌では一軒家よりマンションの方が人気があって高いそうです。雪国の人は大変だ。あにはからんや、ゆみが真生の介護の疲れからか、5日の夕方から熱をだしてダウン。昨夜はふらふら状態でなんとか鴨川までたどりつきました。そして今朝外を見たら一面の雪化粧。こんな景色は数年ぶりです。すると、宅配便から電話がきて、車が登れないから宅配できないといいます。早速見に行ったら、家に入ってくる道は雪で埋もれていました。どうやら今日はどこにもいけないかなあ。
ところで、地球温暖化に伴う気候変動がおおきな世界問題になっています。そして、その原因は炭酸ガス増加による温室効果だということがすでに一般常識になっています。それで京都議定書などが取りざたされているわけです。たしかに今年の夏も、去年同様、世界各地で記録的暑さだったし、北極の氷も融け始めているそうです。かというと、この冬の寒さは記録的だなどとも書かれています。いったいどうなっているのでしょう?今回札幌で会った北大の水野忠彦先生は、専門がエネルギー物理ですが、まったく異なる見解をスライドで披露してくれました。地球の温度を大きな時間スパンで見ると定期的に温暖化と冷却化を繰り返していることが一目瞭然です。それによると、現在は温暖期から冷却期に向うところなのです。これからどんどん地球は冷えて、氷河期になるというのです。また、問題の炭酸ガスの濃度ですが、それと地球温度とはきれいな相関性が見られます。それから導かれることは、地球温度の高低変化に従って炭酸ガス濃度が変化している事実です。つまり、炭酸ガスが増えたから温度が上昇したのではなく、その逆で、温度が上昇したので、自然環境が活性化し、炭酸ガスが増加したのです。ではどうやって地球温度が変化しているのかと言うと、それは太陽活動と連携していることが黒点の変化から分かります。要するに、地球の温度変化は太陽活動変化に従っている訳です。ところで、炭酸ガスの発生源ですが、人間社会によるものは自然界に比べればまったく微々たるもので全体の1%にも満たないのです。排気ガスだなんだと大騒ぎしてますが、地球レベルからみればまったく無視できるということです。というわけで、地球温暖化という現象そのものの根拠が否定されているのです。ではいったい誰がそのことを主張しているのでしょうね。それは地球温暖化説によって利を得るか者を考えればいいですね。
「911ボーイングを捜せ」が週刊ポストのトップ記事になりました。いまだに世界中のほとんどの人はあれはアルカイダがやったテロだというアメリカ政府の言葉を鵜呑みにして信じています。この地球温暖化説といい、まったくプロパガンダというもののすごさ、恐ろしさに改めてこころが震撼させられます。
ところで、地球温暖化に伴う気候変動がおおきな世界問題になっています。そして、その原因は炭酸ガス増加による温室効果だということがすでに一般常識になっています。それで京都議定書などが取りざたされているわけです。たしかに今年の夏も、去年同様、世界各地で記録的暑さだったし、北極の氷も融け始めているそうです。かというと、この冬の寒さは記録的だなどとも書かれています。いったいどうなっているのでしょう?今回札幌で会った北大の水野忠彦先生は、専門がエネルギー物理ですが、まったく異なる見解をスライドで披露してくれました。地球の温度を大きな時間スパンで見ると定期的に温暖化と冷却化を繰り返していることが一目瞭然です。それによると、現在は温暖期から冷却期に向うところなのです。これからどんどん地球は冷えて、氷河期になるというのです。また、問題の炭酸ガスの濃度ですが、それと地球温度とはきれいな相関性が見られます。それから導かれることは、地球温度の高低変化に従って炭酸ガス濃度が変化している事実です。つまり、炭酸ガスが増えたから温度が上昇したのではなく、その逆で、温度が上昇したので、自然環境が活性化し、炭酸ガスが増加したのです。ではどうやって地球温度が変化しているのかと言うと、それは太陽活動と連携していることが黒点の変化から分かります。要するに、地球の温度変化は太陽活動変化に従っている訳です。ところで、炭酸ガスの発生源ですが、人間社会によるものは自然界に比べればまったく微々たるもので全体の1%にも満たないのです。排気ガスだなんだと大騒ぎしてますが、地球レベルからみればまったく無視できるということです。というわけで、地球温暖化という現象そのものの根拠が否定されているのです。ではいったい誰がそのことを主張しているのでしょうね。それは地球温暖化説によって利を得るか者を考えればいいですね。
「911ボーイングを捜せ」が週刊ポストのトップ記事になりました。いまだに世界中のほとんどの人はあれはアルカイダがやったテロだというアメリカ政府の言葉を鵜呑みにして信じています。この地球温暖化説といい、まったくプロパガンダというもののすごさ、恐ろしさに改めてこころが震撼させられます。
月曜日, 1月 02, 2006
1月2日
(昨日の続きです。)
それは、一度自分たちが正しく相手側は悪だと決めると、もうそれ以上何も考えること無く筆舌に耐えないような犯罪を平気で行うようになる。
戦争中、爆撃手仲間がある日私に言った、「これは帝国主義戦争だぜ。ファシストは悪だ。だが、われわれも大して変わらない」そのときは受け入れがたかったが、彼の言葉はこころに引っかかった。
戦争はすべての人のこころを毒し、殺人者と拷問者に変える。独裁者を倒すための戦争だと言うかもしれない。しかし死ぬのは独裁者の犠牲者だ。悪の世界を駆逐するためだと言うかもしれないが、それも長く続かない。なぜなら戦争そのものがさらなる悪を生むからだ。戦争は、一般の暴力とおなじように、麻薬だと思う。すぐ気持ちよくなり、勝利の高揚感に酔うだろう。だが、やがて醒めてくると、絶望に変わる。
第二次世界大戦に続く朝鮮戦争とヴェトナム戦争は「良い戦争」という理由だけで行われた。ソ連や共産主義の脅威という根拠が最大限に誇張され、アジアやラテンアメリカ諸国への軍事介入の口実にされた。しかし、ベトナム戦争では殺戮を正当化する政府のうそがアメリカ国民の知るところになり、政府は撤退を余儀なくされた。そして世界が終わることはなかった。5万8千のアメリカ人と数百万のベトナム人の命が失われた。アメリカ国民の大半が戦争に反対し、史上最大の反戦運動になった。
ベトナム戦争は国民に厭戦気分をもたらした。アメリカ国民はプロパガンダの呪縛が消えて、やっと本来の状態の戻ったのだと思う。しかし、政府はこの国民の「ベトナム症候群」に危機感をもち、これを打ち消そうとした。海外への軍事介入反対は病気だから、これを治さなければならない、ということだ。そこで政府は、情報を制限し、徴兵を止め、グラナダ、パナマ、イラクといった弱小国だけを対象に、反戦運動が起こらないように迅速な戦争をすることでアメリカ国民の不健康な目を逸らそうとした。
ベトナム戦争を終えさせることによって、人間に生来にはない病気である「戦争症候群」からアメリカ国民が立ち直ったわけではない。911事件が政府に与えた機会によって、アメリカ国民はふたたびこの病気にかかった。テロリズムが戦争の口実になった。しかし、戦争そのものが怒りや憎しみを生むテロリズムだ。それを我々はいま見ている。
イラク戦争によって「対テロ戦争」の偽善性が明らかになった。アメリカ政府が、実際どこの政府であろうと、信用できないことが暴露されつつある。それは、人間の安全性とか地球の安全性、あるいは、大気、水、天然資源の保護、貧困や病気の解消、地球上60億人口の多くが影響を受ける、危機的に増大しつつある自然災害への対策などに、もはや政府が信用できなくなった、ということだ。
アメリカ政府は、ベトナム戦争後に再び暴力と不名誉に国民を向わせたが、もう同じことを政府が出来るとは思えない。イラク戦争が終わり、戦争症候群が癒されたときこそ、その癒しが永続する最大の機会だと思う。
私の希望は、あまりにも重く激烈な死と恥辱の記憶がアメリカ国民をして、絶え間無い戦争に反省している他の諸外国からの声に耳を傾けられるようになり、戦争自体が人類の敵だということを理解できるようになることだ。
政府はこのメッセージに反抗するだろう。しかし、かれらの権力は市民の服従があってこそ可能だ。それなしには政府など何も出来ない。このことを我々は歴史上何回も見てきている。
この星を救うためには、戦争放棄が望ましいだけでなく絶対に必要だ。今やその時が来ている。
それは、一度自分たちが正しく相手側は悪だと決めると、もうそれ以上何も考えること無く筆舌に耐えないような犯罪を平気で行うようになる。
戦争中、爆撃手仲間がある日私に言った、「これは帝国主義戦争だぜ。ファシストは悪だ。だが、われわれも大して変わらない」そのときは受け入れがたかったが、彼の言葉はこころに引っかかった。
戦争はすべての人のこころを毒し、殺人者と拷問者に変える。独裁者を倒すための戦争だと言うかもしれない。しかし死ぬのは独裁者の犠牲者だ。悪の世界を駆逐するためだと言うかもしれないが、それも長く続かない。なぜなら戦争そのものがさらなる悪を生むからだ。戦争は、一般の暴力とおなじように、麻薬だと思う。すぐ気持ちよくなり、勝利の高揚感に酔うだろう。だが、やがて醒めてくると、絶望に変わる。
第二次世界大戦に続く朝鮮戦争とヴェトナム戦争は「良い戦争」という理由だけで行われた。ソ連や共産主義の脅威という根拠が最大限に誇張され、アジアやラテンアメリカ諸国への軍事介入の口実にされた。しかし、ベトナム戦争では殺戮を正当化する政府のうそがアメリカ国民の知るところになり、政府は撤退を余儀なくされた。そして世界が終わることはなかった。5万8千のアメリカ人と数百万のベトナム人の命が失われた。アメリカ国民の大半が戦争に反対し、史上最大の反戦運動になった。
ベトナム戦争は国民に厭戦気分をもたらした。アメリカ国民はプロパガンダの呪縛が消えて、やっと本来の状態の戻ったのだと思う。しかし、政府はこの国民の「ベトナム症候群」に危機感をもち、これを打ち消そうとした。海外への軍事介入反対は病気だから、これを治さなければならない、ということだ。そこで政府は、情報を制限し、徴兵を止め、グラナダ、パナマ、イラクといった弱小国だけを対象に、反戦運動が起こらないように迅速な戦争をすることでアメリカ国民の不健康な目を逸らそうとした。
ベトナム戦争を終えさせることによって、人間に生来にはない病気である「戦争症候群」からアメリカ国民が立ち直ったわけではない。911事件が政府に与えた機会によって、アメリカ国民はふたたびこの病気にかかった。テロリズムが戦争の口実になった。しかし、戦争そのものが怒りや憎しみを生むテロリズムだ。それを我々はいま見ている。
イラク戦争によって「対テロ戦争」の偽善性が明らかになった。アメリカ政府が、実際どこの政府であろうと、信用できないことが暴露されつつある。それは、人間の安全性とか地球の安全性、あるいは、大気、水、天然資源の保護、貧困や病気の解消、地球上60億人口の多くが影響を受ける、危機的に増大しつつある自然災害への対策などに、もはや政府が信用できなくなった、ということだ。
アメリカ政府は、ベトナム戦争後に再び暴力と不名誉に国民を向わせたが、もう同じことを政府が出来るとは思えない。イラク戦争が終わり、戦争症候群が癒されたときこそ、その癒しが永続する最大の機会だと思う。
私の希望は、あまりにも重く激烈な死と恥辱の記憶がアメリカ国民をして、絶え間無い戦争に反省している他の諸外国からの声に耳を傾けられるようになり、戦争自体が人類の敵だということを理解できるようになることだ。
政府はこのメッセージに反抗するだろう。しかし、かれらの権力は市民の服従があってこそ可能だ。それなしには政府など何も出来ない。このことを我々は歴史上何回も見てきている。
この星を救うためには、戦争放棄が望ましいだけでなく絶対に必要だ。今やその時が来ている。
日曜日, 1月 01, 2006
2006年1月1日
元旦
明けましておめでとうございます。今年は私たちにとって、そして世界にとって、なにか素晴らしい事変(変革)が起こる予感がします。
アメリカを代表する平和主義者のひとりで歴史家のハワード・ジンによる素晴らしい文章がインターネットで送られてきました。新年にふさわしい内容なので抄訳しましょう。彼は第二次大戦中アメリカ空軍の爆撃手としてヨーロッパ戦線に参戦し、戦後、戦争の悲惨さや無意味さ、特に市民が犠牲になることに気づいて、平和運動家になりました。数年前にボストンで一度会ったことがあります。イメージとおり、非常に温和な紳士でした。私たちのやっている東洋医学にとても興味をもってくれました。これは、The Progressive 誌2006年1月号の記事です。
多数のイラク市民を巻き込んだ対イラク戦争と占領もどうやら終わる気配だ。議会でもメディアでもそのような意見が出始めている。反戦運動もゆっくりではあるが着実に全土に広がっているし、世論も確実に戦争反対、ブッシュ政権不支持の方向に向っている。もう兵士をイラクから戻さなければいけない。
では、私たちは今なにを考えなければいけないのか。この恥ずべき戦争が終わる前に、この上も無い暴力への中毒症状に終止符を打ち、かわりに、我々の巨大な富を人類が必要としているニーズに振り当てるべきではないだろうか。この戦争、あの戦争、というのではなく、戦争そのものを過去のものにする議論を始めるべきではないか。実際、国際的に著名な人道平和活動家たちが集まって、戦争放棄を訴える1000万人キャンペーンがまもなく立ち上げる。
こういう事を言うと、争いは人間の本質なのだから戦争は非可避だという意見がある。それに対する反論は歴史が証明してくれる。市民が自発的に戦争を起す事などかってなかった。それどころか、政府や支配者は国民を戦争に行かせるために多大な労力を費やさなければならなかった。貧乏人の若者たちをお金や教育の提供で誘った。それがうまくいかないと不服従者は投獄だと脅して強制的に兵隊に送った。また、兵士が死んだり、負傷しても、それは神や国家の大義(noble cause)のためなのだからといって若者や家族を説得した。
今世紀の絶え間ない戦争を見ても、市民が戦争を要求したことなどなく、逆に、民主主義を広め、独裁者を打倒する反戦行動をしている。
ウッドロー・ウィルソン大統領は、国民がまったく第一次世界大戦への参戦に気が進まないのに業を煮やして、プロパガンダを駆使し、また反戦者を投獄することでやっとヨーロッパに兵を送った。第二次世界大戦では、国民全部にこれは対ファシズム戦争であり「良い戦争」だという強い道義的コンセンサスがあって、若かりし私もその信念に駆られて空軍に志願してヨーロッパの爆撃作戦に参加した。
戦後になってはじめて道義的な十字軍派兵に疑問をもった。広島・長崎、東京とドレスデン大空襲、日本とドイツでそれぞれ60万の市民が犠牲になった。その事実から、私は、自分自身とほかの兵士たちの心理についてある結論に達した。
ーつづくー
(これから親元に新年の挨拶にでかけます)
明けましておめでとうございます。今年は私たちにとって、そして世界にとって、なにか素晴らしい事変(変革)が起こる予感がします。
アメリカを代表する平和主義者のひとりで歴史家のハワード・ジンによる素晴らしい文章がインターネットで送られてきました。新年にふさわしい内容なので抄訳しましょう。彼は第二次大戦中アメリカ空軍の爆撃手としてヨーロッパ戦線に参戦し、戦後、戦争の悲惨さや無意味さ、特に市民が犠牲になることに気づいて、平和運動家になりました。数年前にボストンで一度会ったことがあります。イメージとおり、非常に温和な紳士でした。私たちのやっている東洋医学にとても興味をもってくれました。
多数のイラク市民を巻き込んだ対イラク戦争と占領もどうやら終わる気配だ。議会でもメディアでもそのような意見が出始めている。反戦運動もゆっくりではあるが着実に全土に広がっているし、世論も確実に戦争反対、ブッシュ政権不支持の方向に向っている。もう兵士をイラクから戻さなければいけない。
では、私たちは今なにを考えなければいけないのか。この恥ずべき戦争が終わる前に、この上も無い暴力への中毒症状に終止符を打ち、かわりに、我々の巨大な富を人類が必要としているニーズに振り当てるべきではないだろうか。この戦争、あの戦争、というのではなく、戦争そのものを過去のものにする議論を始めるべきではないか。実際、国際的に著名な人道平和活動家たちが集まって、戦争放棄を訴える1000万人キャンペーンがまもなく立ち上げる。
こういう事を言うと、争いは人間の本質なのだから戦争は非可避だという意見がある。それに対する反論は歴史が証明してくれる。市民が自発的に戦争を起す事などかってなかった。それどころか、政府や支配者は国民を戦争に行かせるために多大な労力を費やさなければならなかった。貧乏人の若者たちをお金や教育の提供で誘った。それがうまくいかないと不服従者は投獄だと脅して強制的に兵隊に送った。また、兵士が死んだり、負傷しても、それは神や国家の大義(noble cause)のためなのだからといって若者や家族を説得した。
今世紀の絶え間ない戦争を見ても、市民が戦争を要求したことなどなく、逆に、民主主義を広め、独裁者を打倒する反戦行動をしている。
ウッドロー・ウィルソン大統領は、国民がまったく第一次世界大戦への参戦に気が進まないのに業を煮やして、プロパガンダを駆使し、また反戦者を投獄することでやっとヨーロッパに兵を送った。第二次世界大戦では、国民全部にこれは対ファシズム戦争であり「良い戦争」だという強い道義的コンセンサスがあって、若かりし私もその信念に駆られて空軍に志願してヨーロッパの爆撃作戦に参加した。
戦後になってはじめて道義的な十字軍派兵に疑問をもった。広島・長崎、東京とドレスデン大空襲、日本とドイツでそれぞれ60万の市民が犠牲になった。その事実から、私は、自分自身とほかの兵士たちの心理についてある結論に達した。
ーつづくー
(これから親元に新年の挨拶にでかけます)
金曜日, 12月 30, 2005
12月30日
もちつきをするとやっと今年も終わりという雰囲気になり、いよいよ正月を迎える気分になります。こうやって今年1年、家族ともども健康で、大した事故も無く過ごせたことに感謝です。みなさんありがとうございました。
ところで、せっかくの年越し気分に入ろうとしていたら、今夜非常に嫌なニュースが入ってきました。それも我が母校、早稲田大学でのことです。文学部校内でビラを配ろうとしていた学生が、不法住居侵入の疑いで警察に逮捕され、いまだに勾留されているというのです。先日、自衛隊官舎内で同じような事件が起こっていますが、まさか、自由と自立を標榜する早稲田で学生が逮捕されるとは!時代が変わったということでしょうか。ここまで世の中がファッショ的になったかと思わずうなってしまいました。思い起こせば、私が早稲田に入学した途端、学生運動の最大拠点であった早稲田が全国に先駆けて校内封鎖を強行したのです。とにかく学校に行くとあちこちでスピーカーが大きな声で演説をしており、授業が始まったかとおもったら突然生徒が壇上に駆け上がって先生を制止して、これからクラス討論会をすると宣言する、というような毎日でした。学生がビラを撒いて校内で逮捕されるなど、当時の学生たちが聞いたら信じられないでしょう。
また、これはアメリカからの情報ですが、今日のデモクラシーナウで、アメリカの大企業が違法行為をしても政府(法務省)と裏取引で起訴を免れていることを伝えていました。たとえば、軍需企業としても有名な農薬会社モンサントが、インドネシア政府に賄賂を渡して遺伝子組み替え作物を輸入できるようにしたことがアメリカ政府に明らかになったにもかかわらず、起訴されませんでした。もちろんこの行為は違法です。これはほんの氷山の一角で、おなじような例が34社もあるそうです。
倫理という観念がここまで社会のあらゆるレベルで無視されている現状をどう見るべきでしょうか。これは人類の劣化といえるのでしょうか。何かが、劇的に変化しているのでしょうか。
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