土曜日, 5月 27, 2006

5月27日 オーママの誕生日

Abraham Lincoln JPG

「この残酷な戦争(南北戦争)もやっと終結に近づいたことは喜ばしいことだ。莫大な資産と血が犠牲になった。共和国にとってはまさに試練のときであった。しかし、この国の近い将来を思うと、迫り来る危機に震えてしまう。戦争の結果、企業が支配者の地位を確立した。これからは上部の者たちの腐敗の時代が始まるだろう。国の金権力(マネーパワー)は、人びとの偏見につけこんで、あらゆる富を少数者の手中に集中させ共和国が滅亡するまで、その支配を守ろうとするだろう。いまだ戦いの最中だが、この国の平和を想うと、今かつてないほど不安にかられる。神が、私の不安は根も葉もないものだと思し召すように」(訳玄)
1864年11月21日 アブラハム・リンカーン大統領 

リンカーンにはすべて見えていたのですね。それから142年経って、要するに、なにも変わっていないということです。戦争とマネーパワーは、かたちこそ変化し、規模が増大しただけで、中身は当時とそっくり。リンカーンが今生きていたら何と言うでしょう。

私の母を子どもたちはオーママと呼びます。オーママは1914年(大正3年)5月24日に生まれました。今日は、誕生日祝いということでみんなで梅の花という豆腐料理屋で会食しました。92歳まで元気に生きてくれてありがたいことです。ところでオーママが生まれた1914年は第一次世界大戦が始まった年で、日本では大正デモクラシーが盛んだった頃です。日本経済は戦争景気で多いに伸び、企業は大きくなったが、大インフレで貧富の差は拡大し、各地で労働争議が頻発し、労働組合運動などが始まります。しかし、結局デモクラシーと言っても名ばかりで、天皇制を絶対とする国体論の前に、なし崩し的に右翼イデオローグに押さえつけられ、そのまま二・二六事件を経て、軍部独走・独裁、太平洋戦争へと突き進むわけです。

オーママの話。
「みんな戦争は嫌だったよ。たくさん死んだし。息子が戦死したのを誇らしいと言うお母さんがいたけれど、そんなことはないと思うよ。自分の子どもが死ねば悲しいのは母親なら誰でもそうなんだから」
(日本人は優秀民族だから、朝鮮や中国に攻め込んで彼らを救ってやるんだという気持ちもあったのでは?)
「そうねえ。小さい時からそう教育されていたから」
「あれは苑子(姉)をおぶって汽車で水戸に向う途中だったわ。空襲をうけて汽車のボイラーに大きな穴が空いて止まってしまったの。当時は休暇で家に帰る軍人が必ず車両に1、2人は乗っていたのよ。列車は高いでしょう。その軍人さんがひとりひとり抱きかかえて降ろしてくれて、さあ、あの林に逃げ込みなさいと言ってたわ」
「東京にもどったらすっかり風景が変わってたの。四谷の家は無くなってた」

オーママのような生の戦争体験を語れる日本人がどんどんいなくなってしまっています。治安維持法や特高の怖さは身をもって経験した人でないと分からないかもしれません。今度はゆっくりオーママの話しを聞きに行ってきます。

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