金曜日, 7月 07, 2006

7月7日ブライアン・ウィルソン

7月4日はアメリカ独立記念日でした。日本でいうと天皇誕生日みたいな感じでしょうか。アメリカではこの日、家族でピクニックというのが相場で、私もよく誘われて公園に行ったものです。そして、反戦活動家で友人のブライアン・ウィルソンの誕生日でもあります。「戦争中毒」の出版人であるフランク・ドレルがブライアンを敬愛していて、私たちにブライアンを数年前紹介してくれました。ふたりともベトナム帰還兵であり、その戦争体験が平和活動の原点になっています。ブライアンは80年代に平和行動隊を組織して、アメリカの中南米での軍事介入に反対して断食や座り込みなどの反戦活動を盛んにやっていました。1987年9月1日、中南米への不法な武器輸送に抗議して線路に座り込み、引かれ、両足を失いました。このあたりは、ブライアンの本「レッグス」に詳しく書かれています。「テロリストは誰?」の最後にもブライアンは登場していますね。フランクがブライアンの文章を独立記念日に送ってくれたので訳してみました。



「私にとっての国旗とは」
S. ブライアン・ウィルソン  2000年7月4日
(原文 http://www.counterpunch.org/willson0704.html)

たぶん私は7歳のときだった思う。7月4日に町中が祝っているのはどうやら自分の誕生日ではないらしいと気づいたのは。パレードやピクニックや花火ありで興奮の1日だったし、とくに自分のためのパーティとプレゼントがあったからだ。若い頃は、はるか遠くの英国による王政植民地支配に逆らって、我々の建国の父たちが独立宣言に署名したという歴史的な日に生まれたことを大いに誇らしく思っていた。ニューヨーク州北部の小さな農村で、独立パレードにアメリカ国旗を誇らしげに振っていた自分をおぼえている。それから何年も、アメリカ国旗がパレードで通り過ぎるときや国歌奏そうとともにそれが風にたなびくのを見るたびにぞくぞくしたものだ。世界の歴史でも、もっとも偉大な国に生まれ、神に祝福されるなんて幸運なんだろう。

それから何年か経って、ベトナムで軍の「星条旗」新聞を読み、始めて国旗とそれが意味するところのことについて考え、違和感を持ち始めた。それは、アメリカのどこかで国旗を燃やして逮捕されたというニュースだった。つい最近まで、ベトナムのデルタ地帯の小さな村がナパーム弾で焼き尽くされ、たくさんの若い男女や子どもたちが生きながら焼き尽くされる惨状を目撃していた。私は疑問に思った。どうして故郷から1万マイル離れた無実の人間達を焼き殺すのは問題なく、その村人たちをナパーム弾で焼き尽くす国の象徴である布切れを燃やすことがいけないのだろう。冷戦下の共産主義との戦いという言葉にはなにか大きな誤りがあった。それで我々の国が戦争をする理由について疑いを持つようになった。アメリカ神話という大きな虚偽が、国旗という衣の下に不正に保存されている。

自分が教育されてきた文化の説明と実際の体験した現実との間にあるこの明らかに認識できる不協和を処理するのに何年も掛かった。自己の現実を解釈する際なにかとんでもない間違いを冒しているのか、あるいは、文化の説明がひどい歪曲されているかのどちらかを受け入れなければならなかった。うーむ。これはジレンマだった。前者を受け入れれば、リラックスしてアメリカ人であることを誇りに思えただろう。後者であれば、深刻な自己喪失に落ち入りノイローゼになっていただろう。しかし、どんなに頑張っても、自分の良心が絶えず訴える声を無視することはできなかった。

私は、アメリカや世界の歴史を丹念に調べることから真剣に考え始めた。ニューヨーク州西部のセネカインディアン部落の近くに住んでいた10代のころ、よくセネカインディアンの知合いが、どうやって「白人がふたつの舌で話す」かというジョークを耳にしたことがあった。そのときは面白い話としか思っていなかった。しかしそれから、私はこの国がどのように出来たのか発見することになった。1600年代に我々のヨーロッパ人祖先がここに到着する以前に、何百万もの人間、そう人間だ、が住む数百の国々が全土にあった。アメリカ合衆国は先住諸国と400以上の協定を結んだがすべて無視した。やがてこれらの先住民たちは組織的に排除された。これがアメリカで最初の真のホロコーストである。

独立宣言を読み返してみると、以前は気づかなかった文章が目に入った。「英国国王は我々の中に反乱を起こさせようと扇動し、辺境の地に住む残酷で野蛮なインディアンたちを戦うようそそのかしてきた。彼らのよく知られた戦いの掟は、年齢や性別や状況に関わらず無差別に殺すというものである」正しい歴史は、我々の建国の父たちが自由を実験する場所に定めた土地そのものが暴力と欺瞞で盗み取ったことを明らかにしている。そのやり方は、皮肉にも、建国の父たちが先住者たちを非難した極悪非道そのものだった。いろいろ調べてみると、私のヨーロッパ祖先たちが先住アメリカ人たちを尊敬に値する人間とは見ていなかったどころか、卑しい、非人間的な生き物で絶滅すべきものと考えていたことが明白になった。


西半球のコロンブス以前の先住民人口は少なくとも1億人とみなされている(リオグランデ川以北では800〜1200万人)。1900年までに、これがその約5%までに減少した。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争とアメリカ軍に服し、退役後自分の祖先がネイティブアメリカンであることを知ったセネカ・インディアンの友人が、あるとき言った。「俺はアメリカ国旗を血で汚れた栄光と呼ぶんだ。赤は血、白は殺された先祖たちの骨」

(つづく)

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