今日の「あなたが幸福でありますように」のケートさんからのメッセージです。
**************
「人生には二通りの生き方があるだけだ。ひとつは、奇跡などないという生き方。もうひとつは、すべては奇跡だとする生き方」 〜アルバート・アインシュタイン
「周りを見てご覧なさい。あらゆる場所に奇跡があるでしょう。小鳥たちの唄に、星たちの輝きに。つぼみが花になるのを見てご覧なさい。赤ちゃんが誕生する瞬間、その最初の泣き声の奇跡を聞いてご覧なさい。奇跡は見つけられるのを待っているんです。それを探すことを止めてはいけません。もっとだいじなことは、それを見つけることを止めないことです。そうすることこそ、貴方自身が奇跡であることを理解する道だからです。それに始めて気づく輝きの瞬間、なにか素晴らしいことが起こるでしょう」
************
奇跡は、じつは私たち自身の問題なんですね。ある人には奇跡でも、他の人にはそうでない。見方の問題です。そうならば、なるべくすべてを奇跡として受け入れる方が人生が奇跡になりますね。
話しは、ちょっと外れますが、アインシュタイン(1879~1955年)という人はよくも悪くも話題になる人のようです。相対性理論そのものは、フランスの数学者ポアンカレの数式をそっくりそのものを拝借したものだそうですし、アインシュタインの奥さんも有名な数学者で、じつは相対性理論の数式は奥さんが作ったものだそうです。それで、アインシュタインがノーベル賞をもらって多額の賞金を受け取ったのですが、それをそっくり奥さんにもっていかれたそうです。
苦い奇跡もあるんですね。
ハワイ島コナからの便りです。ここからイルカのいる海岸にあるカフェに毎朝歩いていくのが楽しみ。 * Blog URL: http://feeds.feedburner.com/moritagen
日曜日, 10月 29, 2006
日曜日, 10月 22, 2006
10月22日山の暮らし
とうとう怖れていたことが現実になってしまいました。棚田の稲がイノシシに踏み荒らされて壊滅です。ほんの10日ほど前には、田んぼの一部だけが潰されていただけなので、そろそろ稲刈りに取掛かろうと思っていた矢先でした。こういうこともあるのですね。最初、現場を見た時はさすがにショックでした。米作りは4月の苗代作りから始まって6ヶ月間の長丁場の勝負です。例年空梅雨に泣かされていたのですが、今年は長雨がつづいて田んぼに豊富に水が溜まって喜んでいたのです。この分では例年並み以上の収穫かなと期待が大きかっただけに落胆さも。皮肉なことに、去年穫れた米がちょうど底をついた日でもありました。
米作りを始めてかれこれ十数年になりますが、稲が全滅ということはかつてありませんでした。天候不順でどんな不作な年でも、それなりに収穫できていたのです。イノシシの害は、以前から各地で聞いていましたが、このあたりはサツマイモが食べられたり、畑が荒らされた程度で、それほど深刻な例がなかったので、ちょっと甘く考えていました。
昨年は、かつてなく稲作には理想的な天候がつづいて、大雨で土手が崩れてだいぶ稲がつぶされてしまいましたが、それでも豊作でした。ということは、山の自然も非常に豊かな年だったわけで、たぶんイノシシにとっても餌が豊富な環境だったのでしょう。ですから、当然、たくさん繁殖したはずです。それが、今年になって春の長雨と低温のせいで山の餌が無くなってしまった。これらのことが合わさって、イノシシが群れをなして里に下りて来て普段は食べない稲を食い荒らしたのだと推測されます。
考えてみれば、このような野生動物や冷害などによる凶作は歴史的にも常に起こっていたわけです。私たちは、仕方が無い今年は米を買おうと、注文すればいくらでも簡単に手に入る時代に住んでいますが、昔は大変だったでしょう。凶作が2年もつづけばそれこそ餓死者がたくさん出たなどと聞いています。口減らしに赤子を間引くことはどこでも当然なこととして行われていたようです。日本は長い間、事実上鎖国していたわけですから、自給自足だったわけで、食料が足らなければ当然養える人口も限定されたわけです。太古の時代から、人口はほとんど目立って増加していません。(グラフ参照)
人間の数とそれを取り巻く自然環境が、一定のバランスで調和されていたのです。人間は、食糧難に際して人口を意図的に調節してきました。そうやって自然環境も守られてきたわけです。そういった人間と自然とのバランスが急激に崩れ始め始めるのは、近年になってからです。
私たちの稲田は、急な斜面に位置していて、しかも水源もないという、不便を極めている(大げさかな)ようなところですから、その収穫量も限度があり、したがって、それによって養える家族数も限られることになります。
山の暮らしの自然とのバランス。そんなことを考えさせられた今回のイノシシ騒動でした。
米作りを始めてかれこれ十数年になりますが、稲が全滅ということはかつてありませんでした。天候不順でどんな不作な年でも、それなりに収穫できていたのです。イノシシの害は、以前から各地で聞いていましたが、このあたりはサツマイモが食べられたり、畑が荒らされた程度で、それほど深刻な例がなかったので、ちょっと甘く考えていました。
昨年は、かつてなく稲作には理想的な天候がつづいて、大雨で土手が崩れてだいぶ稲がつぶされてしまいましたが、それでも豊作でした。ということは、山の自然も非常に豊かな年だったわけで、たぶんイノシシにとっても餌が豊富な環境だったのでしょう。ですから、当然、たくさん繁殖したはずです。それが、今年になって春の長雨と低温のせいで山の餌が無くなってしまった。これらのことが合わさって、イノシシが群れをなして里に下りて来て普段は食べない稲を食い荒らしたのだと推測されます。
考えてみれば、このような野生動物や冷害などによる凶作は歴史的にも常に起こっていたわけです。私たちは、仕方が無い今年は米を買おうと、注文すればいくらでも簡単に手に入る時代に住んでいますが、昔は大変だったでしょう。凶作が2年もつづけばそれこそ餓死者がたくさん出たなどと聞いています。口減らしに赤子を間引くことはどこでも当然なこととして行われていたようです。日本は長い間、事実上鎖国していたわけですから、自給自足だったわけで、食料が足らなければ当然養える人口も限定されたわけです。太古の時代から、人口はほとんど目立って増加していません。(グラフ参照)
人間の数とそれを取り巻く自然環境が、一定のバランスで調和されていたのです。人間は、食糧難に際して人口を意図的に調節してきました。そうやって自然環境も守られてきたわけです。そういった人間と自然とのバランスが急激に崩れ始め始めるのは、近年になってからです。
私たちの稲田は、急な斜面に位置していて、しかも水源もないという、不便を極めている(大げさかな)ようなところですから、その収穫量も限度があり、したがって、それによって養える家族数も限られることになります。
山の暮らしの自然とのバランス。そんなことを考えさせられた今回のイノシシ騒動でした。
木曜日, 10月 19, 2006
10月19日
今日送られて来たアメリカ平和省ピースアライアンスからの呼びかけ文の要旨です。
*******
10月10日、ブッシュ大統領が、最近の学校内での一連の暴力事件について、さまざまな暴力防止対策が必要だと述べたことに対応して、いまこそ大統領に平和省が必要だという手紙を送ろうと呼びかけています。
そして、その文案として、こうアドバイスしています。
自分の言葉で、読んだ人が平和省がいかに効果的に学校や地域の暴力を減らせるか分かるよう、以下のポイントを参考にして書いてください:
最近の学校での連続銃撃事件やFBIの報告からでも、暴力事件が急増していることが指摘されています。暴力の根源的原因には、高度に考え抜かれた積極的な対応が必要です。それこそ平和省の役目なのです。
省庁レベルの平和省設立法案は上院下院ですでに提出されています。現在75人の下院議員と2人の上院議員が署名しています。
国内外の紛争を非暴力的に解決しようという組織的な取り組みは現在のところアメリカ政府にありません。
平和省法案は、現存の各省庁と民間団体との緊密な協力を目指します。現在の手当たり次第の方策に欠けている、平和と暴力防止への新しいアプローチが可能になります。
当然、平和活動はいまある機関で可能ですし、もうやっている部分もあるでしょう。しかし、平和省の管轄になれば、それらはより高度なレベルの相乗的効果をもたらし、それによってアメリカ市民の考えも変わってくるでしょう。ニクソン大統領によってできた環境省によって、私たちの環境への取り組みがすぐ始まったわけではありませんが、少なくとも国家的な優先事項になったことは明らかです。だからこそ、平和のために平和省が必要なのです。
この参考例がみなさんの考えにふさわしいのであれば、「平和を選ぼう、もう無視できない」とどこかに書き入れてください。
*****************
世界があらゆる場面で暴力的になってきています。これはいったい何を意味するのでしょうか。言えることは、この暴力現象が、ひとびとの心に多大な影響を与えていることです。それがまた相乗的に暴力を蔓延らせている原因になっているかもしれません。確かに、人類レベルでの精神が不安定になっていることは否めません。なにか地球レベルでの意識の危機的変容が起きつつあるのでしょうか。多発地震や気候変動、そして放射能や化学物質などの地球レベルでの影響が人類の精神バランスに及んでいると考えられないでしょうか。
でも、こういうときこそ、真の思想哲学や科学が現れるのかもしれません。
*******
10月10日、ブッシュ大統領が、最近の学校内での一連の暴力事件について、さまざまな暴力防止対策が必要だと述べたことに対応して、いまこそ大統領に平和省が必要だという手紙を送ろうと呼びかけています。
そして、その文案として、こうアドバイスしています。
自分の言葉で、読んだ人が平和省がいかに効果的に学校や地域の暴力を減らせるか分かるよう、以下のポイントを参考にして書いてください:
最近の学校での連続銃撃事件やFBIの報告からでも、暴力事件が急増していることが指摘されています。暴力の根源的原因には、高度に考え抜かれた積極的な対応が必要です。それこそ平和省の役目なのです。
省庁レベルの平和省設立法案は上院下院ですでに提出されています。現在75人の下院議員と2人の上院議員が署名しています。
国内外の紛争を非暴力的に解決しようという組織的な取り組みは現在のところアメリカ政府にありません。
平和省法案は、現存の各省庁と民間団体との緊密な協力を目指します。現在の手当たり次第の方策に欠けている、平和と暴力防止への新しいアプローチが可能になります。
当然、平和活動はいまある機関で可能ですし、もうやっている部分もあるでしょう。しかし、平和省の管轄になれば、それらはより高度なレベルの相乗的効果をもたらし、それによってアメリカ市民の考えも変わってくるでしょう。ニクソン大統領によってできた環境省によって、私たちの環境への取り組みがすぐ始まったわけではありませんが、少なくとも国家的な優先事項になったことは明らかです。だからこそ、平和のために平和省が必要なのです。
この参考例がみなさんの考えにふさわしいのであれば、「平和を選ぼう、もう無視できない」とどこかに書き入れてください。
*****************
世界があらゆる場面で暴力的になってきています。これはいったい何を意味するのでしょうか。言えることは、この暴力現象が、ひとびとの心に多大な影響を与えていることです。それがまた相乗的に暴力を蔓延らせている原因になっているかもしれません。確かに、人類レベルでの精神が不安定になっていることは否めません。なにか地球レベルでの意識の危機的変容が起きつつあるのでしょうか。多発地震や気候変動、そして放射能や化学物質などの地球レベルでの影響が人類の精神バランスに及んでいると考えられないでしょうか。
でも、こういうときこそ、真の思想哲学や科学が現れるのかもしれません。
火曜日, 10月 10, 2006
10月10日
我が家は、いまちょっと大変なことになっています。昨年から続いている家に入る道の地滑りが、ここのところの大雨でにわかにひどいことになってもう車が通れない状態なのです。ここは公道なので、本来は県の災害事業として修理することになっているのですが、それがなかなかやってくれません。とりあえず、鴨川市のほうで道路修復工事をやってもらっているのですが、これがまた大変な作業で、見ていて申し訳ないほどです。6日の火曜日は前の晩からの雨がますます本降りになってきていました。その前の日にも宅急便の車が泥にはまって、近所の友人のトラックで引っ張ったのですが上がらず、下の尾形さんのトラクターでやっと救い出したばかりでした。午後になって、土砂降りの中、市の方で業者さんが数人、ユンボを使って大きな排水用の土管を2本も埋め込みそのうえに特殊シートを敷いてくれたのでやっとうちのホンダが通れました。その日は東京で翌日の911国際会議のスタッフ打ち合わせがあるので、どうしても出かける必要があったのです。東京での会議はなんとか成功裡に終えて、8日の日曜日に今回の会議に札幌から来てくれたトシさん、ローレン・モレ、家族と鴨川に帰ってきたら、案の定、道路はずたずたに破壊されていて、まったく通行不可能になっていました。今日、市にまた工事を頼まなければいけません。
山に住むというのは、こういう自然とじかに向き合いつきあって行くということです。まわりの地元の村の人は、あんなところによく住んでいるねえ、とどちらかというと呆れて言います。
たしかに、都会の生活にくらべれば私たちの生活スタイルは、”呆れるほど”不便で、しかも危険がいっぱいかもしれません。でも、この刻々生きている自然の懐に入って、自由に遊ばせてもらっているんだと思えば、その瞬間、多少の(そうでもないかな)不便さや危険さは、かえってありがたい経験に変容します。初めて我が家に来てくれたトシさんを田んぼに案内したら、ところどころイノシシに荒らされて稲がつぶされていました。毎年のことだけれど苦労して育てた稲が倒れているのをみるのはちょっとショックです。したの畑の青大豆もやはりイノシシの被害でほぼ全滅状態。ことしは我が家自前の大豆で味噌を、と楽しみにしていたのに、これもがっかり。そう、自然とつきあうのは忍耐です。
いつも素晴らしいメッセージを贈ってくれるKateさんから今日のことば;
「私たちは排除の社会に住んでいます。他人はなるべく寄せ付けないようにしようという考えがあります。『あなたはこのクラブには入れません、会員じゃなければ、お金がないとだめです、あなたの容姿がちょっとまずいんです』
でも、それとは反対のやり方でやっていくと、門が開かれるんですね』ジェイ・リノ(アメリカの有名なテレビコメディアン、司会者)
分かってもらおうとしたら、最良の方法は他人の言葉をよく聴くことです。受け入れてもらおうと思ったら、自分自身のこころをすべての人にオープンすることがベストな道です。人生はこんなパラドックスなんですね。もっとも欲しいものを手放したとき、それがふいと戻ってくるのです」
山に住むというのは、こういう自然とじかに向き合いつきあって行くということです。まわりの地元の村の人は、あんなところによく住んでいるねえ、とどちらかというと呆れて言います。
たしかに、都会の生活にくらべれば私たちの生活スタイルは、”呆れるほど”不便で、しかも危険がいっぱいかもしれません。でも、この刻々生きている自然の懐に入って、自由に遊ばせてもらっているんだと思えば、その瞬間、多少の(そうでもないかな)不便さや危険さは、かえってありがたい経験に変容します。初めて我が家に来てくれたトシさんを田んぼに案内したら、ところどころイノシシに荒らされて稲がつぶされていました。毎年のことだけれど苦労して育てた稲が倒れているのをみるのはちょっとショックです。したの畑の青大豆もやはりイノシシの被害でほぼ全滅状態。ことしは我が家自前の大豆で味噌を、と楽しみにしていたのに、これもがっかり。そう、自然とつきあうのは忍耐です。
いつも素晴らしいメッセージを贈ってくれるKateさんから今日のことば;
「私たちは排除の社会に住んでいます。他人はなるべく寄せ付けないようにしようという考えがあります。『あなたはこのクラブには入れません、会員じゃなければ、お金がないとだめです、あなたの容姿がちょっとまずいんです』
でも、それとは反対のやり方でやっていくと、門が開かれるんですね』ジェイ・リノ(アメリカの有名なテレビコメディアン、司会者)
分かってもらおうとしたら、最良の方法は他人の言葉をよく聴くことです。受け入れてもらおうと思ったら、自分自身のこころをすべての人にオープンすることがベストな道です。人生はこんなパラドックスなんですね。もっとも欲しいものを手放したとき、それがふいと戻ってくるのです」