ハワード・ジンは、彼のもっとも有名な著書『民衆のアメリカ史』(A People's History of the United States)でそれまで学校では教えなかった本当のアメリカ史をアメリカ国民に伝えることで、重要な歴史的視野の変換を一般に与えました。ジンの一生は、戦争の醜さ、悲惨さを訴えると同時に、それを変えるのは人々のパワーであることを主張し貫いた平和活動であったと言えるでしょう。
私は、10年ほど前に彼の住むボストンでいっしょにランチをご馳走になったことがありましたが、容姿から想像したとおり、じつに温和な紳士という印象で、どこにあの体制側から恐れられている反抗パワーが潜んでいるのかと不思議に思われたほどです。昨年彼のバイオグラフィーと言えるDVD(Howard Zinn: You can't be neutral on a Moving Train)(未邦訳)が出ましたが、ジンの徹底した民衆の立場に寄り添った反抗精神にはこころを動かされます。アメリカを代表する知識人で平和主義者のひとりにノーム・チョムスキーがいますが、チョムスキーがあくまでも「静」のアカデミックだとすれば、ジンは「動」のアカデミックと言えるでしょう。
今朝のエミー・グッドマンの「デモクラシー・ナウ」で、追悼特集番組を放送していましたので、そこから彼の過去の講演の一部を紹介します。
ハワード・ジンは第二次世界大戦に2年間半空軍の爆撃手として参戦しています。これはそのときのことを回想しているところです。当時は23歳でした。
ハワード・ジン:私たちは爆撃作戦はもう終わったと思っていました。戦争は終結する寸前でした。1945年4月のことですが、(欧州)戦争は1945年5月に終結したと覚えています。これは戦争が終わる数週間前の話です。だれもが戦争はすぐ終わると思っていました。私たちの軍はフランスからドイツに侵攻していました。でも、フランスの大西洋岸に面したロヤンという小さな町付近にまだドイツの小隊がいたんです。それで空軍は彼らを爆撃することにしました。1,200機の重爆撃機編隊です。その一つに私がいました。この小さなロヤンの町上空に飛んでナパーム弾を落しました・・ヨーロッパ戦線で初めてのナパーム弾の使用でした。
私たちがやったことで何人の人々が殺され、何人が負傷したのか、私たちは知りません。でも、私はほとんどの兵士たちのように、何も考えず、ただ機械的に、私たちは正義の側だ、やつらは間違っている側だ、だから好きなようにしていいのだ、それでいいのだと思ってそれをやりました。そして、その後になって、戦争が終わってからすぐ後で、ジョン・ハーシーのヒロシマを読んで、ヒロシマサバイバー(生存者)たちのことを、その人たちがどんな体験をしたかを読んで、その時になって初めて爆撃が人間に与える影響について考えるようになったのです。爆弾を落とされる地上の人間たちにとってそれがどういう意味なのか、その時初めて考え始めたのです。私は爆撃手として3万フィートの上空にいて、叫びも聞こえず、血も見えないからです。それが近代戦争というものです。
近代の戦争では、兵士は発砲し、爆弾を落とします。彼らには、発射している相手の人間たちに何が起こるのか何の考えもありません。すべて遠くから操作されるからです。そうやって恐ろしい惨劇が起こるのです。そして私はこう思います。あの空爆を思い出して、そしてヒロシマのこと、そして市街地への他のすべての空爆、ドイツと日本の市街地の大勢の市民たちの殺害、一晩で10万人が殺された東京大空襲、これらがすべて私に、戦争は、たとえ第二次世界大戦のようなファシズムに対する正義の戦争であっても、いかなる基本的な問題解決にはならないことを気づかせてくれたのです。それはどちら側の人間にもすべてに常に有害なものです。私たちはそれをイラクで見ています。そこでは兵士たちのこころが、求められていない土地にいる占領軍であることで毒されているからです。そのことがもたらす結果は酷いものです。
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そしてこれはほんの2ヶ月前の11月にボストン大学で行った最後の講演の一つからです。
ハワード・ジン:私たちが何を言われようと、どんな独裁者がいようと、どの国境が侵されようと、どんな抑圧があろうと、独裁者や抑圧の前に何もしないというのではありません。違います。問題解決に戦争以外の方法を見つけようと言っているのです。なぜなら、戦争は間違いなく・・避けようがなく・・大勢の人々を無差別に大量殺戮するからです。あらゆる戦争は子どもたちに対する戦争だからです。
ですから、たとえば、ただサダム・フセインを取り除けばいいのではありません。私たちがサダム・フセインを排除しましたね。その過程でサダム・フセインのために犠牲になっていた多くの人々も殺しました。専制独裁者に対する戦争をしたら、あなたたちは誰を殺すのですか。あなたたちは独裁者の犠牲者たちを殺すんです。とにかく、このことはすべて・・これはすべて戦争について考え直す機会を与えてくれました。そして、今私たちは戦争しているんですよね?イラクでアフガニスタンで、そしてパキスタンでも。私たちはそこにロケットを送ってパキスタンの罪のないひとびとを殺しているんです。ですから、私たちはそれを受け入れてはいけないんです。
私たちは平和運動が一緒になるようにすべきです。本当に、いくつかの平和団体が合同するようにすべきです。最初はこじんまりして、なにか頼りないように見えるかもしれません。でも運動とはそうやって始まるんです。そうやってベトナム反戦運動は始まりました。まったく無力だと、パワーのないと思っていた一握りの人たちで始まったのです。でも、覚えておいて下さい。トップにいる人たちのパワーは下にいる人々の服従がなければあり得ないのです。人々がいったん服従することを止めた途端、彼らはパワーを失うのです。労働者たちがストライキをすれば、巨大な企業もパワーを失います。消費者が不買運動をすると、巨大なビジネス組織も頭を下げます。ベトナムで多くの兵士がしたように、多くの脱走兵がしたように、ベトナムで上級兵に対する暴力的反抗行為が数多くあったように、B-52パイロットたちが爆撃命令を拒否したように、多くの兵士たちが戦闘を拒否すれば、戦争はつづけられないのです。そうですよ。人々にパワーがあるんです。もし人々が組織をつくり、反対運動をし、大きな力のある運動を起こせれば、彼らが変化を起こせるのです。私がいいたいことはそれだけです。ありがとうございました。
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でも、アメリカの主要マスコミのハワード・ジンに対する評価は低かったようです。それもそうですね、彼は権力体制に抵抗するいわゆるディセント(Dissent)に徹していましたから、基本的には権力体制擁護というか、その体制そのものであるマスコミからは敬遠されていたのは当然です。たとえば、ニューヨークタイムズは予測される約1,200名の著名人の死亡広告をすでに準備しているのですが、それにはハワード・ジンは入っていなかったそうです。それで、急遽AP通信の死亡記事を載せたのですが、それにはそれこそ体制側の歴史学者であるアーサー・シュレージンジャーの「(ハワード・ジン)は私のことを危険な反動主義者と思っていることは知っています。彼は私にとって重要視する存在ではありません。論客であって、歴史家とは言えないでしょう」という言葉を引用しているほどです。
デモクラシー・ナウでゲストのナオミ・クラインはそのことについてこう言っています。
ナオミ・クライン:彼にはニューヨークタイムズなど必要ないと思います。高名な歴史学者もいらなかった。彼はみんなのお気に入りの先生だったんです。人生を変えてしまうような先生だった。それこそ何百万の人々の人生を。私たちはそのみんながお気に入りの先生を失ったんです。でも、ハワード・ジンのやったことは、単に彼が教えたことがナショナリズムや英雄的人物についての従来の幻想を打ち砕いたというのではありません。それは、人々に自分自身を信じること、そしてそのパワーが世界を変えることを伝えたことです。ですから、あらゆる素晴らしい教師がしたように、彼はその教えをすべて残して逝ったんです。私たちはだれでもハワードのように少しでもなるように努めるべきだと思います。
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ありがとう、ハワード。
いつも平和への取り組みご苦労様です。
返信削除マシュー君へのメッセージに感銘を受け紹介したく思いますが
こちらのHPはリンクフリーでしょうか?
ちなみにHPはまだ出来ていません。
TNOさんへ
返信削除はい、リンクフリーです。でも出典を書いておいて下さいね。ありがとうございます。