火曜日, 2月 16, 2010

ボランタリー・シンプリシティ

1960年代から70年代にかけて、いわゆるカウンターカルチャーの発信源とされていたアメリカ西海岸に青春を過ごしていた私のまわりは、なにかこれからの新しい未来社会を創造するのが自分たちだという気運で満ちていました。しかし、ベトナム戦争が終結し、反戦平和運動が尻つぼみになり、日本では安保闘争に始まる学生運動がつぎつぎと挫け、ニューエイジ世代が急速に保守体制に繰込まれて行く中で、私自身はなにか取り残された状況にいました。ある意味で、時代に乗り遅れてしまったのです。

80年代の後半に、私はそれまでの都会暮らしから、いわゆる田舎暮らしをこの房総鴨川で始めました。断っておきますが、自分自身からの動機からではなく、言わば人生の抵抗し難い成り行きとでもいうきっかけからです。それは人生の世界観と価値観との大転換の毎日でした。決して生易しい平坦な道ではなかったことは確かです。すでに40の峠を越え、いまだ惑いの人生の途上でつまづいていました。世間では、まだ”バブル経済”の余韻に人々は酔っていて景気の良い話で満たされていました。そういう世界からほとんど隔絶して、果たしてこんな田舎でのんびり過ごしていていいのだろうか、やはり経済社会文化の中心に舞い戻ってやり直した方がいいのではないだろうか、という葛藤と不安に苛まれる日々でした。20数年前の田舎は、どこでも今よりも過疎化が目立ち、ここ鴨川もほとんど車も走らないような寂しいところだったのです。

そのころ、私の生き方について強烈な指針と自信を与えてくれた一冊の本がありました。1987年に出版されたアメリカの未来学者のデュエイン・エルジンが書いた『ボランタリー・シンプリシティ』(星川淳訳:TBSブリタニカ)です。
じつは、この文章を書くきっかけは、いまそのデュエイン・エルジンの新書『The Living Universe』(2009年:未邦訳)をちょうど読んでいるからなんです。

ボランタリー・シンプリシティは”自発的簡素”と訳者の星川淳さんが訳していますが、その”シンプルに生きる”という言葉が当時の私の惑いのこころにとても力強く響いたのです。そうなんだ、都会社会の喧噪と混乱と人間関係の複雑さに疲れ、それから逃れて本来の自分を見出すためにここに来たんだ。それはシンプルに生きるということなんだとこれからの進むべき方向を背中から後押しされ、まさに救われたたような気持ちになったことを覚えています。

20年振りに、本を手にしてみました。当時はインド思想がニューエイジ世代にとって東洋哲学や悟りへの一種の憧れの象徴でした。たくさんの代表的知識人がグルを慕ってインドに渡りましたが、ラム・ダスはその中でも最も時代の顔となった存在でした。そのラム・ダスが本の序文を書いていますが、これを読んだ時、これは自分のことだと感じたことを今でも覚えています。

当時ヒマラヤの山麓で修行中のラム・ダスは、村の昔ながらの時を超えた暮らしと彼の本国アメリカでの”物質的・官能的なライフスタイル”とを比較して、こう書いています。

「このような田園的な簡素さはしばしば、混乱と誘惑と複雑さにみちた生活を送るわれわれ西洋人に強く訴えかけてくる。現代工業化社会のあわただしさのなかで、そして成功者としての自己のイメージを維持しようとつとめることのなかで、われわれは自分の存在のより深い部分との接触をうしなってしまったと感じている。・・われわれは、自分たちの生になんらかのバランスを取り戻してくれるような簡素な生き方をこころから望んでいるのだ。・・・山村の提供する簡素な生活像がその答えだろうか?・・わたしはこれが未来的な簡素さではないことを感じとるようになった。太古から連綿と続くものとはいえ、村の簡素さはまだ”揺籃期”にあるのだ。」

与えられた、あるいは無意識に選びとられた”簡素さ”は、自発的に選びとったものではないので、真の”簡素な生き方”の模範にはならないと言います。

そして、「現在のわれわれの生を分断しているあらゆる対立を統合しうる」そして「ダイナミックな平衡と意識的バランスの新たな点を見つける」ところに真の簡素さがあると書いています。

さらに、「われわれが真に進化の正当な担い手たらんとし、新時代(ニューエイジ)の子たらんどするならば、思考プロセスに内在する二元対立(それが物質主義を精神主義に対峙させ、西洋を東洋に対峙させる)を超越しなければならない。」と説き、東西両方の視野を踏まえ、また、慈悲の心と透徹した洞察をもって西洋工業化社会の伝統的な考え方の多くに戦いを挑んだ人のひとりとして著者のデュエン・エルジンを挙げています。

『ボランタリー・シンプリシティ』の指し示した啓示は、当時の私のような惑っていた世代に大きな気づきと勇気を与えてくれたことは言うまでもありませんが、いまでもと言うか、いまこそその意味が広く認知される時代になったとも言えます。

今読んでいるデュエイン・エルジンの本については、これもいろいろと素晴らしい気づきがあるので後日またご紹介しましょう。

それから、訳者の星川淳さんは長年の友人ですが、現在はグリーンピースの事務局長として大活躍されています。じつは、ご存知の方も多いと思いますが、昨日”クジラ肉裁判”の初公判が開かれています。みなさんもこの事件の真相をぜひ知っていただきたいですね。

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