たぶんこのブログの読者のみなさまには、改めて江本さんの水の波動科学についてここで説明する必要もないと思うので、書きません。どなたでも、水の結晶写真はどこかで見たことがきっとあるでしょう。
江本さんの話の中で、もっとも興味深かったのがお米の実験でした。
3つのビーカーにお米を入れ、ひとつに「ありがとう」、もうひとつに「ばかやろう」と声を掛け、そして三つ目のビーカーは無視して一ヶ月放置しておいたところ、「ありがとう」と声をかけたお米は芳香よく発酵していましたが、「ばかやろう」と言ったお米は黒くなっていました。でも、もっとも腐敗が激しかったのは、何も声をかけず無視したお米だったのです。
無関心が最悪の結果をもたらしたという実験結果は、じつに深い意味を示唆していると思います。
私たちがぜひ日本にも広めたいと思っているNVC(非暴力コミュニケーション)は、人間のあらゆる行為、感情、態度、思考はそれぞれ個人の普遍的ニーズと呼ばれる、人間性に基づく共通の価値観や必要性の発露であると考えています。そして、その人間性のニーズの根源が無条件の愛だと言います。私たちは日々、無条件の愛を、いつもは無意識に、さまざまな形で表現して暮らしているとも言えます。生きるという行為そのものが、無条件の愛の顕現であるというのです。
「ばかやろう」も、その意味からすれば、無条件の愛のひとつの表現ということになります。
マシュー君は、エネルギーには本来ポジティブもネガティブもなく、中立だと言います。それを”良くも悪くも”するのは、私たちのポジティブかネガティブな思考(意識)だと。
そのエネルギーにはスペクトラムがあって、私たちの思考がその範囲、つまりポジティブからネガティブまでの幅を決定するのです。
無関心とか無視は、その無条件の愛を表現することを選ばないことなのかもしれません。それはきっと、自由に愛の光のエネルギーを輝かさせたいという魂の本来のはたらきを妨げることなのでしょう。
世界はあまりにも多くの無関心のために、腐ってしまっているのかもしれません。
それは魂が望んでいること、人間性に基づくニーズではないはずです。
あのお米のように・・・
以上は、私の勝手な推論です。
でも、私の尊敬する思想家のひとり、インドのクリシュナムーティーは、関係することが愛だと言っています。たとえそれが興味がないことでも、嫌なことでも、否定することでも、現実(リアリティー)やいま起きていることをしっかり見つめ、受け止め、それがどのような意味をもつのか、一瞬立ち止まって、自分のこころに問う余裕をもちたいです。
今日、ある読者が、2009年1月のブログ「地下鉄のバイオリニスト」の感想を送ってくれました。そうなんです、これも「無関心」の実験と言えますね。じつはこの投稿で今日のブログを書く気になったのです。
どうかみなさんが、地下鉄のバイオリニストに出会ったら、その演奏から流れ出る素晴らしい愛の波動エネルギーを受けとめ損なわないように祈ります。
nice blog nice stuff here to read thanks
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