金曜日, 4月 29, 2016

そこにいること(プレゼンス)の贈り物と、アドバイスがもたらす危険


私は、人が困っているとについアドバイスしてしまう方で、妻からも「またそれアドバイスよ」とよく注意されます。NVC(非暴力コミュニケーション)では、アドバイスは、それがどんなに善意からでも、分離をもたらし共感にはならないとされています。

昨日このコラムを読んで、アドバイスの2面性についてハッとさせられました。その人のためと思って言うアドバイスに、自分をよく見せたいという利己的な側面が潜んでいるという指摘は、まさに自分のことだと痛感します。

このテーマの「そこにいることの贈り物」や「魂は救いを求めていない」は、相手に敬意をもって寄り添うことの深い意味を示していると思います。

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「そこにいること(プレゼンス)の贈り物と、アドバイスがもたらす危険」
                    パーカー・L・パーマー



私の母が、死ぬしばらく前に老人ホームに入った時、妻と私はそこのスタッフから、月の支払いをわずかに増やすだけで彼女への追加サービスができ、そこでの生活の質が向上すると言われた。私たちは喜んで支払い、それをする余裕があることに感謝した。

今私たちは70代半ばになり、妻と私には特に差し迫った生活上のサポートや介護は必要ない。しかし私たちの住む家は、定義通りに言えば、老後のための二人世帯施設だ。この私たちが愛情込めて“我が家”と呼ぶ家では、私たちの一人が、“追加サービス“を申し出て、相手の生活の質を”向上“しようとするのはよくあることだ。不幸なことに、そのようなサービスはアドバイスという形になることがよくある。
 
数年前妻がアドバイスをくれたが、それは私には・・何と言っていいか・・無用だと聞こえた。母との私たちの経験を思い出して、私は「今月の支払い分は少し減らしていいかな?」と言った。今でもその言葉は、私たちのどちらもよくやる、相手が頼まれもしない余計な“助け”をしようとした時、身構えるかわりに笑いをもたらしてくれる。 
アドバイスは私たち人間がやすやすとできるもので、大抵は善意からされる。しかし私の経験では、たくさんのアドバイスの背後にある動機には、相手が求めることへの関心だけでなく利己心とも関わりがあるようだ・・そしてアドバイスは益よりも、害を与えることになることがある。
先週、末期ガンと最近診断された男性から電話をもらった。彼はその悪いニュースを数人の家族と友人たちにメールしたが、その内の友人一人がすぐやってきて、「どんな気持ち?」と尋ねた。「いや、メールにも書いたけれど、このことには自分でも驚くほど気持ちは穏やかだよ。これから先のことは心配してない」
その友人は答えた、「いいかい、別の医師のセカンドオピニオンも聞いたほうがいい。同時に代替医療も探求し始めるべきだよ。それにメディテーションのプログラムにも加入すべきだ。その道への始め方についてのいい本を知っているよ」
私が、電話を掛けてきた人に、その答えをどう受け止めたか尋ねると、彼は「確かに善意からだと思うけれど、友人のアドバイスで気持ちがそれほど穏やではなくなりました」
私は自分も同じように感じただろうと彼に言い、このイメージを伝えた。私が深刻な問題でサポートが必要としている時に、最新の救急蘇生法の資格を持った人が現れると想像してほしい。彼は自分のスキルを見せたくてしょうがないので、私の本当に必要としていることが聞こえない。その代わり、私は自分自身でまったく問題なく呼吸できるのに、彼は一連の胸部圧迫と“人工呼吸”を開始する。さて、私を窒息させている“助け人”を追い払おうとすることで、私は別の大きな問題を抱えることになる。 
私は、電話の人に、もし友人が「あなたの気持ちが穏やかで良かった。もっと話を聞かせてほしい」とだけ言ったら、どう感じただろうと尋ねた。「それだったら素晴らしいです」と彼は答えた。「でも話した人たちはすべて私にアドバイスをしましたよ。それには、遅過ぎない内に彼女の教会に入った方がいいと言った親戚もいます。
私は、最近はどんな気持ちかと尋ねると・・彼は恐れを感じていると答えた。「あなたの恐れについて話したいですか?」と尋ねると、彼はしばらく話し、私は聴きながらいくつか質問をした。終わると、彼はいくらか穏やかな気持ちが戻ったと言った。それは彼の内からもたらされたもので、私が言ったことからではない。私はただ、彼が彼自身の魂に近づくのを妨げている瓦礫(がれき)を取り除く手伝いをしたに過ぎない。

私のアドバイスへの疑念は、35年前私が初めてうつ病と診断された時に始まった。私を助けようと人たちは善意からだった。しかし、ほとんどの場合、彼らが私に残したものはより深い落ち込みだった。
ある人は自然の療法を勧めた。「外に出て日光と新鮮な空気を満喫したらどう?満開の花だし、素晴らしい日ですよ」。落ち込んでいる時でも、外が美しいことは頭で分かっている。しかしその美が少しも感じられないのは、感覚が死んでいるからだ・・そして、その違いを思い起こさせられることが落ち込むのだ。
また中には、私自身のイメージを高めようとする”助け人”もいる。「どうして自分をそんなに責めるんですか?あなたはたくさんの人たちを助けているじゃないですか」。しかし落ち込んでいる時、あなたが唯一聞けるのは、あなたが役立たずのペテン師だと言う声だけだ。そのような褒め言葉は、「もし私がどんなにつまらない人間か知ったら、彼はもう二度と言葉を掛けてくれないだろう」と、また一人騙してしまったと感じさせるだけで、さらに私を落ち込ませた。
こういうことだ。人間の魂はアドバイスされたいとも、治してもらいたいとも、救われたいとも思っていない。それは、ただ立ち会ってもらいたいだけだ・・ありのままを見てもらい、聞いてもらい、一緒にいてもらいたいのだ。私たちが、苦しんでいる人の魂にそのように深く頭を下げると、私たちの敬う心がその人の魂の癒す力を高める。それこそ苦しんでいる人がそこから抜け出るための唯一の道だ。
そう、そこが難しいところだ。私たちの“助け人“タイプの多くは、助けを必要としている人の魂レベルの求めに貢献することと同時に、りっぱな助け人だと見られたいと多少なりとも思っている。そこに立会い、一緒にいることは時間と忍耐を要するし、私たちにはそれらがないことが多い・・特に、そこにいたたまれない程、辛い状況に居合わせる時は、まるで伝染病にかかる危険があるかのようだ。”応急処置”をして、その人を“救う”ための最善を尽くしたんだと、急いで逃げ出したいと思うのだ。
私のうつ病の間、一人の友人が本当の助けになった。私からの了承を得て、ビルは毎日午後4時頃私の家に来て、私を居心地のいい椅子に座らせ足をマッサージしてくれた。彼はほとんど一言も言わなかった。しかし、彼は私のからだに、ほかの人間とのつながりの感覚を持てる、ある一箇所をどうにか見つけ出し、私の状態を黙って見守りつつ、私のどうしようもない孤独感を和らげてくれた。
この静かな交わりを2ヶ月間、ビルは来る日も来る日も私に与え、私の人生を救う助けをした。彼が恐れずに、苦しんでいる私と一緒にいてくれたことで、私の私自身への恐れが減っていった。彼はそこにいた・・ただただ、意識を集中してそこにいた・・死にゆく人の枕元にいなくてはならない人のように。
深刻な苦しみにある人にしてあげられる“癒し”や“救い”などないことを、私たちが最後に学ぶのが、そのような枕元に向き合うときだ。それでも、私たちにはましなものがある。相手の魂に姿を現すように招くような、自分がそこにいることと配慮という形の、私たちの存在そのものの贈り物だ。メアリー・オリバーがこう書いているように。

これは私が気づいた最初の、想像もしなかった、そしてもっとも
思慮深いことです。魂は存在し、すべて配慮からできているのです

ふたつのアドバイスを残しておこう・・まったくもっての自己矛盾だが、私の唯一の言い訳は、「首尾一貫性は狭い心が化けたものである」というエマーソンの格言だ。(1)誰かがどうしてもと言う以外は、アドバイスをしない。その代わり、意識をしっかり持ってそこにいて、注意して聞き、それが何であれ、相手にその人自身の真実をより多く表現する機会を与えるような質問をする。(2)身近な人から欲しくないアドバイスをもらったら、微笑んで、今月の支払いをもう少し減らしてもいいかと丁寧に尋ねる。

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著者のパーカー・L・パーマーは、アメリカのクエーカー教徒のコラムニスト、作家、教育者。


2 件のコメント:

  1. とても心に沁みるお話しでした。
    良かれと思い 余計なことを今まで言ってた自分が恥ずかしいです。

    寄り添うだけで十分どころか それがベストであると良く分かりました。
    ありがとうございました。

    マシュー君のメッセージの翻訳も とても楽しみにしています。
    いつも ありがとうございます。

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  2. わたしも、とても心にしみました。

    この文章は、まさに、わたしに寄り添ってくれました。
    日本では㋃は新生活の季節です。

    仕事場の先輩たちは、良かれと思って、たくさんアドバイスするし、
    たくさん叱られもするし。
    でもそれは自分の成長のために受け止めで頑張ろう!と前向きに元気に
    ふるまおうと思っているけど、

    やっぱり、出来ない自分に心が凹みます。

    でも、弱音を吐ける家族とか友人とかが、いなくて、
    つい、家族の前ではしっかりしなきゃと!元気にふるまって強がっちゃうけど、

    叱られてもへっちゃら!ちゃんと前向き!って強がっちゃうけど、


    この文章をよんで、とてもポロポロ泣きました。
    でもそのおかげで、一気に気持ちがスッキリして、

    また明日から、元気が取り戻せそうです。

    ありがとう。

    寄り添ってくれるモノが、人間だけとは限らないですね。
    人がかいた文章も、寄り添ってくれる。

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