今日のNYタイムズは、イラクのフセイン大統領がナイジェリアからウラニウムを密輸入しようとしていたという偽公文書がイタリアの秘密工作員の作であったことを報じています。たぶんこのニュースは日本のマスコミは無視するでしょう。このような事はいま世界の政治ではまさに氷山の一角です。嘘と欺瞞、脅し、おべっか、追従、という人間として最低のモラルが世界を席巻している現状をわたしたちはどう見て行けばいいのでしょう。なにも信用できない、というのが正直な気持ちです。まさに現代民主主義という看板はまったく過去のものになってしまいました。
世界の近代史から見てみると、人間の自由や人権という概念は、科学の進歩とともに生まれてきたようです。自然科学は、自然を客観的な対象と捉える事で進歩してきました。それまでは、自然と人間は区別されない存在だったからです。そして、人間性という本来は非常に捕らえ所の無い概念を「科学的」に言葉で表現したものが、自由とか人権、そしてそこから育まれた民主主義ではないでしょうか。そのような科学的根拠に基づいた民主主義が21世紀に入って最大の危機を迎えています。近代科学は17世紀のニュートンから始まったと言われます。ニュートンの万有引力の発見が、それまでの目の見えない形而上学的世界観を根底からひっくり返しました。それまでは、宗教的神秘的世界観が主流であり、宇宙や世界の運動は神のみえざる力で支配されているとされていました。すべての存在は、なにかしらの力でつながっていると考えられていました。万有引力は、それを否定し、物質そのものが引力という力を有していると説明し、それを数学的に証明したのです。それ以来、すべては数理で世界が説明され、それが人類の価値観の基礎になりました。多数決は民主主義の基本概念です。でも、人間性というものを数で表せるでしょうか。人間と人間がいっしょになったら1+1=2となるのでしょうか。そして1から1を引くとゼロ、無になってしまうのでしょうか。そもそも一人という概念を数だけで表せるでしょうか。ニュートンの万有引力説は、人間と物質(自然)との概念を根底から変えました。宇宙や自然からから神秘的な要素をはぎ取ったのです。ところが
生命(いのち)は、このような近代科学観では捉えきれない、まさに神秘そのものですね。そこに霊性(スピリチャリティ)という概念を考えざるを得ません。現代民主主義がどのように霊性を取り込んでいけるか、それはまた、ニュートンから始まった近代科学が、もう一度原点に戻って、プラトン哲学の真意を問い直し、自然という概念を問い直す時期にきていることを端的に示しているのです。
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