日曜日, 1月 01, 2006

2006年1月1日

元旦

明けましておめでとうございます。今年は私たちにとって、そして世界にとって、なにか素晴らしい事変(変革)が起こる予感がします。

アメリカを代表する平和主義者のひとりで歴史家のハワード・ジンによる素晴らしい文章がインターネットで送られてきました。新年にふさわしい内容なので抄訳しましょう。彼は第二次大戦中アメリカ空軍の爆撃手としてヨーロッパ戦線に参戦し、戦後、戦争の悲惨さや無意味さ、特に市民が犠牲になることに気づいて、平和運動家になりました。数年前にボストンで一度会ったことがあります。イメージとおり、非常に温和な紳士でした。私たちのやっている東洋医学にとても興味をもってくれました。

Howard Zinn JPG

これは、The Progressive 誌2006年1月号の記事です。

多数のイラク市民を巻き込んだ対イラク戦争と占領もどうやら終わる気配だ。議会でもメディアでもそのような意見が出始めている。反戦運動もゆっくりではあるが着実に全土に広がっているし、世論も確実に戦争反対、ブッシュ政権不支持の方向に向っている。もう兵士をイラクから戻さなければいけない。

では、私たちは今なにを考えなければいけないのか。この恥ずべき戦争が終わる前に、この上も無い暴力への中毒症状に終止符を打ち、かわりに、我々の巨大な富を人類が必要としているニーズに振り当てるべきではないだろうか。この戦争、あの戦争、というのではなく、戦争そのものを過去のものにする議論を始めるべきではないか。実際、国際的に著名な人道平和活動家たちが集まって、戦争放棄を訴える1000万人キャンペーンがまもなく立ち上げる。

こういう事を言うと、争いは人間の本質なのだから戦争は非可避だという意見がある。それに対する反論は歴史が証明してくれる。市民が自発的に戦争を起す事などかってなかった。それどころか、政府や支配者は国民を戦争に行かせるために多大な労力を費やさなければならなかった。貧乏人の若者たちをお金や教育の提供で誘った。それがうまくいかないと不服従者は投獄だと脅して強制的に兵隊に送った。また、兵士が死んだり、負傷しても、それは神や国家の大義(noble cause)のためなのだからといって若者や家族を説得した。
今世紀の絶え間ない戦争を見ても、市民が戦争を要求したことなどなく、逆に、民主主義を広め、独裁者を打倒する反戦行動をしている。

ウッドロー・ウィルソン大統領は、国民がまったく第一次世界大戦への参戦に気が進まないのに業を煮やして、プロパガンダを駆使し、また反戦者を投獄することでやっとヨーロッパに兵を送った。第二次世界大戦では、国民全部にこれは対ファシズム戦争であり「良い戦争」だという強い道義的コンセンサスがあって、若かりし私もその信念に駆られて空軍に志願してヨーロッパの爆撃作戦に参加した。
戦後になってはじめて道義的な十字軍派兵に疑問をもった。広島・長崎、東京とドレスデン大空襲、日本とドイツでそれぞれ60万の市民が犠牲になった。その事実から、私は、自分自身とほかの兵士たちの心理についてある結論に達した。
ーつづくー
(これから親元に新年の挨拶にでかけます)

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