水曜日, 11月 23, 2005

11月23日

Humanitarian Lawyer(ヒューマニタリアン・ロイヤー)=豊かな人間性や感受性、 幅広い教養と専門知識に裏打ちされた人権感覚に優れ、民主主義と個人尊重の理念の 実現を目指す弁護士。(と、説明書きがありましたが、弁護士はすべてそうあるべきではないでしょうか)サンフランシスコを今回訪れたもうひとつの目的はヒューマニタリアン弁護士のカレン・パーカーに会うことでした。カレンは科学者のローレン・モレや湾岸戦争帰還兵で劣化ウラン被爆者のデニス・カインやダグ・ロッキーたちと劣化ウラン廃絶運動をアメリカで進めています。彼女は10年以上前から劣化ウランは核兵器であり、ジュネーブ条約などの国際法で禁止されていることを主張してきました。実際カレンは国連総長に直訴し国連に専門委員会を開かせて、1997年に38カ国の承認を得て劣化ウランは国際法上禁止という国連報告書を提出させることに成功しました。現在、日本もふくめ国際的に劣化ウランを禁止しようという運動がありますが、すでに国連で禁止されているのにもかかわらず、そう主張することはこれまでは合法だと認めることになり、カレンの法的主張の根拠を失うことになると彼女は警告しています。カレンはどうやら政府側の陰謀ではないかと疑っています。合法ということになればこれまでの人的損害にたいしていっさいアメリカは責任を問われなくなるわけですから。

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Karen Parker

カレンの家はサンフランシスコ市内の小ぎれいな住宅地にありました。いかにも優秀な弁護士という感じですが、子どもを抱える優しいお母さんでもあります。いま、彼女がOAS(米州機構)に提訴している訴訟問題について詳しい説明をしてくれました。イラクのファルージャに対するアメリカ軍の攻撃の中で、病院施設を爆撃したことは違法であると訴訟を起したのです。アメリカは戦争犯罪を規定する国際条約に加わっていないため、戦争犯罪を国内で追求することができません。アメリカの憲法下では軍の行為は基本的にすべて免責ですから、カレンはアメリカが加入しているOASという国際機構の条約規約を盾に訴訟を起したのです。その訴訟の中で、劣化ウランと白燐弾の違法使用も追求すると言っていました。今回の旅でつくづく感じたことは、アメリカの保守体制側があらゆる手段を使って市民の民主的運動を妨害し押さえ込んできているという事実です。ローレンもローレンス・リバモア核兵器研究所で内部告発者になって以来、様々な脅しや妨害を受けてきていますが、カレンも同様に妨害を受けていると言います。せっかく国連で劣化ウラン禁止が認められたのに、そのことはメディアはまったく取り上げません。彼女が公の場所で話をしようとすると必ず妨害が入るそうです。国連小委員会で劣化ウラン禁止の採決までもっていくのに大変な努力と策略が必要だったそうです。あらゆる場面でアメリカが報告書を出させないように妨害してきたのです。カレンがいま一番困っているのはすべて個人の費用でやっていかなければならないことで、資金が足りないので裁判が継続できないと嘆いていました。なんとか日本で呼びかけて裁判資金援助をしてあげたいと思います。

金曜日, 11月 18, 2005

11月18日

この嶺岡山系は、わずか数百メートルのむしろ丘と言っていいほどの場所ですが、低地と違って、このころになると朝晩の冷えは厳しくなります。今朝は5〜6度。今日は、すっかり延び延びになっていたタマネギ苗の移植をしました。そうそう、それと留守番をしていたアコちゃんがアオバ小麦の入手先を見つけてくれたので、久しぶりにアオバ小麦のパンを来年は食べられそうです。アオバ小麦は、国産小麦のなかでもっともグルテン分が多い品種で、いわゆる強力粉になります。パンつくりに最適な原料で、福島県が原産地です。今回は福島の地球村メンバーの山口あきらさんが捜してくださいました。畑はすでに小麦用に耕して、鶏糞を鋤き込んであります。来週には届くので早速蒔きましょう。

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Marion Fulk, Lauren Moret & Gen

今月は札幌(1泊)からアメリカ・サンフランシスコ(3泊)、成田に帰国したその足(車)で東京を通り越して長野県と山梨県の県境にある小淵沢(2泊)に行き、1週間ぶりに我家に戻りました。いやはや、目の回るような行程でしたが、どこでも充実した時間を得ることができました。久しぶりのサンフランシスコ。今回は劣化ウランや低レベル放射能の危険性を世に訴えている平和活動家のローレン・モレの招待で、バークレーの彼女のアパートに泊めてもらいました。彼女はバークレー市環境委員にもなっています。着いたその足で、サンホセに近いデ・アンザ大学での「戦争犯罪法廷」に参加しました。その晩は、前国務長官コリン・パウウェルの講演がその大学であるので、パウウェルの戦争犯罪歴を糾弾する市民団体が、同じ大学でそのような集会を企画したのです。お陰で、今度発売された劣化ウランのビデオ「Beyond Treason」の製作者のジョイス・ライリーや湾岸戦争帰還兵で劣化ウラン被爆を受けながらも平和活動を果敢にやっているデニス・カインに会えることができました。集会のあと、みんなでコリン・パウウェルの講演する講堂の前でデモをやりました。どうしてパウウェルがそこに来たかというと、最近彼がシリコンバレーのナノテクノロジー・ベンチャー企業のパートナーになったからなのです。シリコンバレーはこの大学からすぐのところにあります。ところで、このナノテクノロジー。日本でも盛んに未来の技術などともてはやされていますが、今回の旅でその知られざる危険な側面を知ることができました。ローレンは、サンフランシスコ郊外にある国立核物理研究所ローレンス・リバモア研究所の元研究員でした。ここがマンハッタンプロジェクト(原爆開発研究)の中枢です。二日目はリバモア研究所の元研究主任でスターウォーズ計画の生みの親であるマリオン・ファルクを訪ねました。マリオンは劣化ウランの危険性を科学的に訴えている科学者です。歳を訊くのを忘れましたが、たぶん80歳くらいでしょう。彼は、劣化ウランが10分の1ミクロンという微小粒子(これはナノというレベル)になると、放射性物質というだけでなく想像できないような危険性を帯びることを警告しています。このような微小物質の危険性に関する研究はまだまだ誰も本格的にやっていません。その経済的な有効性ばかりが強調されているのが実態です。もちろん、政府も企業も安全だと主張していますが。そのナノテクノロジー開発会社の社長にコリン・パウウェルがなったわけです。やはり正真正銘の戦争犯罪人ですね。

月曜日, 11月 07, 2005

11月7日

昨日の朝、床の中で親子がぐだぐだしているときの会話。
親「世の中にはお父さんがいない子どもがたくさんいるんだよ」
杏菜(娘5歳)「へぇー。おとうさん、迷子になったの?」
親「???」

土曜日, 11月 05, 2005

11月5日

今日のNYタイムズは、イラクのフセイン大統領がナイジェリアからウラニウムを密輸入しようとしていたという偽公文書がイタリアの秘密工作員の作であったことを報じています。たぶんこのニュースは日本のマスコミは無視するでしょう。このような事はいま世界の政治ではまさに氷山の一角です。嘘と欺瞞、脅し、おべっか、追従、という人間として最低のモラルが世界を席巻している現状をわたしたちはどう見て行けばいいのでしょう。なにも信用できない、というのが正直な気持ちです。まさに現代民主主義という看板はまったく過去のものになってしまいました。
世界の近代史から見てみると、人間の自由や人権という概念は、科学の進歩とともに生まれてきたようです。自然科学は、自然を客観的な対象と捉える事で進歩してきました。それまでは、自然と人間は区別されない存在だったからです。そして、人間性という本来は非常に捕らえ所の無い概念を「科学的」に言葉で表現したものが、自由とか人権、そしてそこから育まれた民主主義ではないでしょうか。そのような科学的根拠に基づいた民主主義が21世紀に入って最大の危機を迎えています。近代科学は17世紀のニュートンから始まったと言われます。ニュートンの万有引力の発見が、それまでの目の見えない形而上学的世界観を根底からひっくり返しました。それまでは、宗教的神秘的世界観が主流であり、宇宙や世界の運動は神のみえざる力で支配されているとされていました。すべての存在は、なにかしらの力でつながっていると考えられていました。万有引力は、それを否定し、物質そのものが引力という力を有していると説明し、それを数学的に証明したのです。それ以来、すべては数理で世界が説明され、それが人類の価値観の基礎になりました。多数決は民主主義の基本概念です。でも、人間性というものを数で表せるでしょうか。人間と人間がいっしょになったら1+1=2となるのでしょうか。そして1から1を引くとゼロ、無になってしまうのでしょうか。そもそも一人という概念を数だけで表せるでしょうか。ニュートンの万有引力説は、人間と物質(自然)との概念を根底から変えました。宇宙や自然からから神秘的な要素をはぎ取ったのです。ところが
生命(いのち)は、このような近代科学観では捉えきれない、まさに神秘そのものですね。そこに霊性(スピリチャリティ)という概念を考えざるを得ません。現代民主主義がどのように霊性を取り込んでいけるか、それはまた、ニュートンから始まった近代科学が、もう一度原点に戻って、プラトン哲学の真意を問い直し、自然という概念を問い直す時期にきていることを端的に示しているのです。  

水曜日, 11月 02, 2005

11月2日

わたしたちは、築200年といわれる茅葺農家をあちこち手直ししながら住んでいます。夏場はそれこそ涼しくて別天地ですが、最大の難敵は寒さです。南房総というと、ひとは暖かい所に住んでいるんですねえ、と言いますが、それは太陽が燦々と照る海岸地域のこと。ここ山間地の冬は、驚くような寒さが訪れるのです。真冬には零下5〜6度まで下がります。茅葺き家屋は暖かいと何となく思っていましたが、大違い。11月に入って、昨日の朝の室内気温は8度でした。そこで、この季節になると冬支度を始めます。もっとも使用頻度の高い居間は、まったく陽が入らないうえ、夏向きにガラスばりにしたものですから、断熱効果ゼロ。毎年農業用ビニールをすっぽりと外側から覆うようにしていますが、どうもきれは見栄えがよくありません。今年はかっこよく二重窓にしようと昨日から作業を始めました。納屋に貯めておいた古いガラス戸をうまく加工して。窓にはめ込むという仕事ですが、なかなか手間がかかる作業です。古民家というのは、はしらの間隔がすべて違うので、ひとつ一つ加工していかなければいけません。今日は、いろいろと雑用が入って結局できたのは1枚だけ。あと6枚もあるのです。はて、冬の到来までに間に合うでしょうかね?