木曜日, 3月 25, 2004
3月25日
ただいまー。やっと、ほぼ4ヶ月ぶりに古巣に戻りました。こんなに長く家を離れたのははじめてです。やっぱり我家はいいですね。留守番のアコくん、ありがとう。何から何まできれいに整理整頓されているのにびっくり。留守中、アコくんは地元の仲間たちとすっかり仲良しになったようでよかったよかった。でも、どうして3月末なのにこう寒いのでしょう。このところ台所の寒暖計は毎朝2〜3度です。おかげで一日中薪ストーブをつけてます。そのからだにやさしい温かさが快適ですね。もうフキノトウは花がひらいて食べられないかなあ、とあきらめていたら、ありました。まだ山肌の陰につぼみで開きかけているのが。早速てんぷらに。ついでにツクシも摘んで卵とじに。ハクサイが黄色い花をつけています。これは菜花で我家の得意料理菜の花スパゲッティに。春の食材を満喫させてもらっています。日本はいいなあ。
金曜日, 3月 19, 2004
3月19日
17日の夜は大阪の應典院というお寺のホールが会場でした。くつろぎへいわ企画の若い女性ふたりが、こんなこと始めてやりましたと言ってましたが、すばらしい会を企画してくれました。さすがですね、会場は若いひとたちでいっぱい、しっかり見つめる眼差しと熱気がステージにもひしひしと伝わって来ます。この日のゆみのトークもいつもと違ってごく早口で快調です。私の歌も若者たちとのこころの交流が感じられました。いいなあ、若いということは、理屈抜きに。できたら日本中の若い人たちを対象にこのピース・トーク・コンサートをやって行きたいですね。会場には高校生も参加していて、自衛隊派遣反対の署名を呼び掛けていました。もうすでに何万もの署名が集まっているそうです。私が高校生のころは政治などにはなんの意識も興味ももっていませんでした。昨夜の会は京都・同志社大学の浅野健一さんが企画してくれました。この大学は京都御所に隣接する所にあり以前は冷泉家のお屋敷だったそうです。さすがに雰囲気ある建物が並んでいます。ちょうど卒業式だったようで、着物姿の女学生がキャンパスにたくさん溢れていて華やいだ気分がこちらにも伝わってきます。浅野教授は以前インドネシア東ティモール問題を共同通信記者として深く関わった有名なジャーナリスト。チョムスキーとの親交でも知られています。浅野さんが昨年カリフォルニアのアルカーダ市を訪問した際、平和活動家のブライアン・ウィルソンからゆみきくちのことを始めて知ったそうです。昨夜はうれしい驚きが待っていました。辻本清美さんが来てくれていたのです。そう、最後に会って以来何年ぶりでしょうか。例の逮捕劇以来公の場所に出るのはこれが始めてだと言います。最近やっと最終判決が出たそうで、2年の実刑、5年の執行猶予だそうです。とても元気そうで以前の福良かな顔をみて安心しました。ゆみの話しを聞いてまたやる気が出たと言ってくれたのは嬉しかったですね。
火曜日, 3月 16, 2004
3月16日
奥深い吉野の山から昇る朝日を拝みながら書いています。ここは奈良県吉野郡にある吉野山・櫻本坊(さくらもとぼう)という1300年前に天武天皇が櫻の夢をみて建立したという寺で、修験道の根本道場として有名なところです。もちろん、吉野櫻の名所で山は千本以上の櫻の木々でおおわれているのですが(千本櫻公園という)、残念なことに少し来るのが早すぎました。櫻開花は4月初旬だということです。山の凛とした空気が肌にほどよく刺激を与えてくれます。昨夜はここの大広間で講演とミニコンサートをしました。子供達は何十畳もの広さに大喜び。さて、ここに来るきっかけは今鴨川で留守番をしてくれている村川あこ君が作ってくれました。じつは、あこ君が以前ここで働いていたのです。全国を自転車で旅していた彼はたまたまここを訪れ、すっかり修験道の生活が気に入ってしまったそうです。山で暮らしていくにはなにもいらない、修験道者は野草を食べていけばよいというあこ君に私たちはこれはすごい人間だなあと感心したものですが、まさかその修験寺に来ることになるとは思っていませんでした。あこ君が櫻本坊の巽良仁住職に私たちのことを紹介してくれて今回縁ができたのです。たまたま古神道の研究者として知られる小林美元先生の講座も同時にありました。ハワイで今回のアロハトラストツアーに参加した桑名晴子さんは小林先生の弟子だと聞いていましたから、これも貴重でありがたい偶然。小林先生にハワイ先住民のことを話したら古神道とハワイ古代宗教とには共通点があるということを伺いました。さらにそのことを書いた本を送っていただけるというので楽しみです。さきほど巽住職による般若心経の写経、(これはゆみが参加しました)と修験道講座がありました。修験道の道とは「諸宗融通の称なり」といい、あるがまま、なんでも受け入れるための道場という意味だそうです。ですから宗派にはこだわらず神仏混合です。この縄文時代から綿々と続いている自然を畏敬し感謝する山岳宗教が日本人の思想・哲学のもとになっているのでしょう。この吉野は日本人の精神性のふるさとかもしれません。帰国して以来、奈良、大阪、京都と旅が続いています。一昨日は滋賀県の琵琶湖のほとり彦根市に滞在しました。あこ君のお父さん、村川晃司さんが呼んでくれました。彦根はりっぱな城があります。村川家からは2kmくらいでしょうか、村川さんに案内され子供達といっしょに楽しく歩きました。江戸時代の町並みが途中復元され一瞬映画セットの中にいるようです。電柱も看板も無く、道路脇には鯉が泳ぐ掘割りがあります。本当に昔の町並みは美しかったのですね。こういう復元事業をもっと全国で広めたら日本は素晴らしい国になるでしょう。彦根には鈴鹿山系を源とする芹川という川が町の中心を流れています。そこで鮎が釣れるというので早朝6時に起きて、ジャンプスーツの重装備を借りて芹川で鮎釣りをしました。芹川は琵琶湖に流れ込んでいますが、琵琶湖で育った稚魚が川をのぼってくるのです。朝霜で真っ白になった河原を踏みしめて行くと、いましたいました釣り人が大勢竿をたれています。川釣りなんていったい何年ぶりでしょう。むかし、と言っても大昔、奥多摩に住んでいたお祖父さんが小学生の私を多摩川の鮎釣りに連れていってくれたことを思い出しました。友釣りという鮎独特の縄張り習性を利用した釣り方です。ところが最近の鮎はすっかりこの本能習性を忘れてしまって、友釣りでは釣れなくなってしまったそうです。この日も雑魚(じゃこ)を小麦粉で練った餌を使いました。さっそく竿を垂れるとおもしろいように釣れます。3時間くらいで15センチほどの鮎を30匹以上は釣ったでしょうか。早速テンプラにしてお昼のごちそうになりました。最高の味でした。
今日の読売新聞に国土交通省がシックハウスの最大原因とされているアセトアルデヒドを住宅の安全基準表示から外すことを決定したと報じていました。その理由が、人体への影響が”完全”に解明されていないからというのです。しかもアセドアルデヒドは天然木材中の酢酸などが化学変化して発生するなどと、あたかも人工的に作られたものではなく自然成分であるかのように書いています。いったいこの読売新聞というのは政府広報機関紙なのでしょうか。あまりの非科学的で政府べったり報道に開いた口が閉まりません。
今日の読売新聞に国土交通省がシックハウスの最大原因とされているアセトアルデヒドを住宅の安全基準表示から外すことを決定したと報じていました。その理由が、人体への影響が”完全”に解明されていないからというのです。しかもアセドアルデヒドは天然木材中の酢酸などが化学変化して発生するなどと、あたかも人工的に作られたものではなく自然成分であるかのように書いています。いったいこの読売新聞というのは政府広報機関紙なのでしょうか。あまりの非科学的で政府べったり報道に開いた口が閉まりません。
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