火曜日, 6月 29, 2004

6月29日

14、15日と去年ピースボートで一緒になった人たち5人が来てくれて苗取りと田植えを一緒にやりました。いつものことですが、大勢でやる田植えは楽しい行事です。16日は幼友だちの一家が東京からやってきて、それに地球村の佐々木さんも加わり、あっと言う間に田植えが終了。みなさま御苦労さまでした。今年は恵みの雨を祈りましょう。いろいろと忙しい6月でしたが、祈りと言えば、21日の夏至の日は、富士山麓の朝霧高原で行われた世界平和と祈りデー(WPPD)に参加しました。折しも台風が朝から大雨と強風を会場の高原を襲い、傘をさしていても全身ビッショリという悪条件の中、参加した数千人の人たちは文句もいわずひたすら数時間立ちつづけていました。なにか修行行事といった感じで、それはそれで実にスピリチュアルで感動的な数時間でした。こどもたちがびしょ濡れで、とくに案菜は数日来具合が悪く、やっと熱が下がったばかりのところだったので、私たちはゲスト用のテントの中で震えていました。そこで思い掛けない出会いがありました。映画「ホピの予言」制作者の宮田雪さんに9年ぶりに会ったのです。と言っても、宮田さん自身は私のことは覚えていないのです。当時、快医学をアメリカで広めるボランティア仕事を代表の瓜生先生とふたりでやっていましたが、たまたまサンフランシスコにいた時、宮田さんが突然倒れ意識不明状態で病院にかつぎこまれたのです。私たちはすぐ病院を訪れたのですが、みたところ植物人間状態で、医師の話では脳の機能が破壊されていてもう治療のすべはなく、回復する可能性はまずないだろう、ということでした。ふたりでその場でできる手当てを2日間行い、その後、何ヶ月して私ひとりでサンフランシスコを訪れた時、再び手当てをしました。以後、風のたよりに宮田さんがなんとか意識を取り戻したと聞いて、当初はいのちだけでも助かればという程度だったので、そうか奥さんの介護のたまものだと思っていました。そういうわけで、私が今回挨拶しても本人はきょとんとしていたのです。最近「ホピの予言」が様々なところで上映されているそうで、こういう時勢、人々が求めているものがあの映画にきっとあるのでしょう。

日曜日, 6月 06, 2004

6月6日

「魂の願いは、愛することであった。ただ、それだけである。そして、これほど難しいチャレンジがあるだろうか。愛し難きを愛する。赦し難きを赦す。理解し難きを受容する。これは、既成概念を固持する社会に反抗するよりも難題なチャレンジであった。なぜなら、相手は、他ならぬ己であったからだ。」             堀川祥子・モイネヘン著『ウンデッド ヒーラーズ』(文芸社)より

あれっと思う間に、昨夜から雨が降り出してしまいました。今朝、ふとんの中で、ああ小麦を刈っておけばよかったのに、と後悔しています。もう梅雨のような前線が関東に停滞しているらしいです。そういえば、去年もそれで小麦収穫時期を逸してしまいました。そろそろ黄金色になりかけているのを気にはしていたのですが。それでも素晴らしい快晴の昨日は、山積みにしてあった干し草と半年肥溜に溜まって十分熟成した下肥を混ぜて堆肥作りをしました。自分たちの排泄物がこうして再利用できるというのは、なにか嬉しいもんです。

『テロリストは誰?』のチラシが刷り上がってきました。裏は『東京平和映画祭』の案内です。デザインは札幌のフジワラ・トシカズさん。カズさんのあっという間に出来上がる作品の素晴らしい出来に感嘆しています。アメリカはどうやら来年度から徴兵制を復活させる準備をしているようです。対象は18〜26歳の男女。金持ちはすでに海外に移住を始めているといいます。どこまでこの政権は対テロ戦争を進めて行く気なのでしょうか。