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金曜日, 3月 27, 2009

チベット仏教の教え

オーストラリアの北東部はサンシャインコーストと呼ばれ、カンガルーが道路に寝ているような自然に恵まれた地域で、私たちがもっとも気に入っているところです。先月の短期間の旅の途中、ユードロという町にあるうっそうとした森の丘に建つチベット僧院に泊めてもらいました。

その共同トイレの扉にこんなことが書いてありました。

”トイレの蓋を閉めることを忘れないように。
 ここにはライフガード(プール監視員)がいません”。

???一体何のことだろう、と首をひねりましたが・・・その下に小さな字で書いてある次の言葉でやっと了解しました。

”虫たちが溺れないように”。

土曜日, 5月 05, 2007

5月5日平湯温泉

この連休は、ゆみちゃんの講演に付き添って富山と長野に家族旅行してきました。そこでもっとも印象に残ったのが、富山のイソップさんがすすめてくれた平湯温泉です。富山市で活躍されている素晴らしい方々との出会いのあと、バスに乗って奥飛騨連峰のそそり立つ谷あいを進んで、雪を抱く山並みの景観を楽しみながら、1時間ほどで当地に到着。よほど冬のあいだに積雪があったのか、町のあちらこちらに山のような雪が残っています。気温は10度以下で、震えるほどではないですが、じっとしていると冷えるといった感じ。近くのカラマツ林の遊歩道を歩くとフキノトウがあちこちに芽を出していました。

いつものように私たちの旅はできるだけシンプルにということで、温泉街でただ一軒しかないという民宿を予約していました。ところが、これが予想に反して大当たり。

その2階にはかけ流しの露天檜風呂が家族貸し切りであって、しかもその隣が私たちの部屋だったのです。温泉とくに露天風呂には目がない私たちは朝から温泉三昧。しかも当夜は満月という設定で、雪山を眺望しつつ、湯に身を浸す・・これ以上の贅沢は、考えられません。日本人に生まれてよかったなあ、と実感したふたりです。

いつも思うのですが、こういった露天風呂を味わうという日本人の伝統文化は、数百年という長い時間をかけて古人が培ってきたものですね。それは、何気ない風呂場の檜の柱や壁板、お湯の流れ出るところの岩や竹、木の巧妙な細工、そして外国では絶対見られない箱庭のような流し場のつくり、どれをとっても歴史の時間の流れに洗練され選択されていった侘び寂びの絶妙なアートです。それが単なる建物とか絵画彫刻ではなく、自然の湧き出る湯を楽しむという風情ある自然との会合に昇華させたのは、先人たちのお陰です。感謝!

翌朝、いつも6時前には目が覚める私は、ざぶんと朝風呂にしゃれこみました。その日はまったくの快晴で、ふと山並みを見上げると昨日は気づかなかったのですが、はるか遠くに天を突き刺すように真っ白に輝く山が目に映りました。エベレストを思い起こさせるその姿があまりにも見事だったので、ゆみちゃんを呼んでふたりでゆっくり観賞させていただきました。

私はかっこからてっきり槍ヶ岳だと思っていたのですが、あとで宿のご主人に訊いたら、笠岳だと教えられました。

露天檜風呂と満月と笠岳。また訪れてみたい思い出の地です。

木曜日, 3月 01, 2007

2月28日アリアス大統領

1948年に憲法で軍隊を破棄した国ということで、戦争や内紛の歴史に彩られる他の南アメリカ諸国とはコスタリカは確かに一線を画していると言えます。同じ平和憲法を保持しているのに、どうして日本とこうも違うのでしょう。それは日本の場合、新憲法が制定されてすぐ実質上の軍隊である自衛隊が創設され、当然撤退するはずだったアメリカ軍がアメリカの戦略上の理由からそのまま居座ってしまっているからです。日米軍事同盟を日本が固守するかぎりそれは変わらないでしょう。

President Arias JPG

オスカー・アリアス大統領

コスタリカに来てよく耳にしたことは、コスタリカ人がとてもPassiveつまりおとなしい国民だということ。また気づいたことは、この国には英雄が存在しません。どの国にもかならず国民的英雄の銅像があちこちあっていやでも目につくのですが、コスタリカにはどこにも見当たらないのです。それは取り立てて目立つことを非常に嫌うとともに、誰かが特出することもよく思わない、という国民性があるからだとラスール・ファンデーションのリタさんが言っていました。そういう国が、70年代と80年代の内乱と紛争が吹き荒れた中南米の国際情勢にいかに巻き込まれずに平和にくぐり抜けて来れたのでしょうか。それこそ非暴力による紛争解決の鍵なのでしょう。とくに隣国ニカラグア内戦の際は、ニカラグア反政府軍(コントラ)を後押しするアメリカ政府がコスタリカに基地を作ろうといろいろ圧力を掛けて来たのですが、コスタリカ政府はきっぱりと”憲法に則って”拒否しました。このおとなしい国民のどこにそんな気概が隠されていたのか驚きです。

当時その平和外交を国際的に展開したのが後にノーベル平和賞を受賞したアリアス大統領です。その類いなる指導力を買われて現在再び大統領に選ばれています。日本を出る時は、さぞアリアス大統領は絶対的な国民の人気を集めているのだろうと思っていました。ところが、驚いたことにコスタリカではまったく不評なのです。期待していたのにまったく裏切られたという声があちこちで聞かれました。どうやらその理由は、最近アリアス大統領が積極的に進めようとしているアメリカとの自由貿易協定のようです。もしそれが調印されたらコスタリカの文化経済に打撃的な影響を及ぼし、独立性が脅かされるというので、国民の大半が反対しています。

アリアス大統領は現在でも国連を舞台に非武装・軍縮外交を積極的に進めています。もちろん、それは自国の平和憲法を実践している実績があるからこそできることで、実質骨抜きにされた平和憲法をもつ日本が、同じ平和外交をやろうとしても確かに説得力がないでしょう。でも、そのアリアス大統領がどうして国民の大半が反対している自由貿易協定をアメリカと強引に結ぼうとしているのでしょうか。私はそこに、彼が置かれている立場上の苦渋の選択があるのではないかと想像しています。平和と経済を天秤にかけているのではないかと。実際コスタリカには豊かな熱帯林があるだけで、これといった資源も産業もありません。(そのわりには車が多いのには驚きですが、あとで聞いたらみんな見栄で無理して買っているそうです。自動車は100%の関税が掛かるので超贅沢品)そのような貧しい国はおしなべて観光業つまりツーリズム、そしてコーヒーといった換金作物で経済を支えているのが通常です。そしてメディアが決して取り上げないことがあります。それはアメリカ軍基地の存在です。貧しい第三世界の国々を見渡すと、ほとんどの国にアメリカの軍基地があります。言い換えれば、アメリカ軍に土地を提供することで経済が成り立っているところが多いのです。世界のどこを見渡しても、貧しい国は軍事基地とツーリズムでなんとかやっているのが通常です。軍事産業とツーリズムはそのように密接につながっています。でもコスタリカは平和憲法上それができません。アリアス大統領の苦渋の選択はそんなところではないでしょうか。きっとすごいアメリカ政府からの圧力があるんだと思います。基地をとるか、経済をとるか。

Cecilia JPG

コスタリカのアリエス大統領の姉(妹?)・セシリア・アリエスさんときくちゆみ


さて、改憲問題に揺れる日本のことを思うとこころが重たくなりますが、コスタリカでアリアス大統領の妹さんのセシリアさんに会いました。憲法9条が無くなってしまうかもしれないという日本の事情を伝え、なんとかアリアス大統領に日本に来てもらって国会で演説してもらえないかと訊ねると協力しましょうと言ってくれました。実現するよう祈りましょう。

土曜日, 2月 10, 2007

2月9日

中南米コスタリカ首都サンホセのちょっと郊外にあるサンタアンナという小さな町の宿に来ています。山肌のうっそうとした熱帯雨林の中に建てられているすべて木造りのこのマラニョンというホテルはオーガニックで有名だと説明されました。つまり環境にもやさしいホテルというわけです。零下5〜6度だったワシントンDCからこの国へ着いたのですから、もちろんからだは喜んだのですが、なによりもここの大自然とそれに寄り添うように生きているコスタリカ人の雰囲気に、いっぺんに馴染んだと言うのが本当のところです。なんだか鴨川に帰ったような村のたたずまいが懐かしい感じです。

3面がガラス張りの部屋から遠くに山並が見えます。空は真っ青。気持ちよい風がすきまから吹き込んできます。まわりはバナナ、マンゴー、アボカド、パパイヤなどの緑と花でいっぱい。そこをハチドリが鋭い鳴き声で飛んで行きます。昨日はサンホセ中心部に出てレンタカーを借り、にぎわう街を歩きました。最初は普通車を予約していたのですが、地元の人が田舎の道は穴がいっぱいあって車の下をこすっちゃうよと言うものですから、結局スズキ・ジムニという4輪駆動車になりました。ちょっとショックアブザーバーが疲れているようですがまあこんなところでしょう。9日間で保険も込みで375米ドルです。

コスタリカでもっとも感激した食べ物はパイナップル。これまで食べたどのパイナップルよりも味が濃く思わずサラ一杯食べてしまいました。野菜、といっても乾期で数は限られているようですが、どれも新鮮で美味しい。アメリカのサラダはなんとなく物足りなかったのですが、コスタリカの野菜はエネルギーが溢れているといった感じ。

ゆみちゃんは別にスペイン語を習ったわけでもなく、若い頃ちょっとスペインを旅行したくらいなのに、コスタリカ人とぺらぺらしゃべっているんです。これはじつは本人もびっくりしているくらいで、どういうわけかスペイン語がすっと頭に入ってくると言うのです。スペインを旅していたとき、ああここにいつかいた、というDe Javu経験があったそうですが、おかげで大助かりです。なんしろ通訳代が節約できるから。

話は、アメリカでのことに飛びますが、ワシントンDCを離れる最後の日。朝6時のマイアミ行きのフライトだったため、その晩はほぼ徹夜で、朝3時に子どもたちを起こし(もっとも杏菜はなんとか起きましたが真生は眠りから醒めず抱いて)てタクシーに乗せるまでがまず大変でした。前夜から雪が降り出していて道路は真っ白。タクシーはのろのろと慎重に動いて行きます。雪になったため温度が上昇したのか幸い凍っていないのでそれほどスリップする様子はありません。ゆっくりと運転する運ちゃんの「こどもは大変だよねえ。どこからだい?」という会話からはじまって「俺はカメルーンから出稼ぎに来たんだよ。こどもは10人だ」にびっくり。よく聞いてみると奥さんが3人いると言います。「アフリカじゃねえ、かみさんが一人だけなんていうのは馬鹿にされちゃうんだよ。俺のとうさんには20人のこどもがいたよ」「もっともアメリカでも2〜3人ワイフをもっているじゃないかい。秘密にね」「アフリカでは子どもも大人もみんな一緒に仲良く暮らしているよ」

そしてもっともこのアフリカから来たタクシーの運ちゃんにびっくりしたのは、なんとデニス・クシニッチを知っているというのです。普通のアメリカ人でさえもしらないのに。しかも私たちが参加した平和省会議のことも、ゲストのディーパック・チョプラまでも知っているのです。ゆみちゃんは話のなりゆきにびっくり、この運ちゃんはよほどのインテリだと、早速インタビューする価値ありだとコンピュータを取り出しました。
というわけで空港までの雪道ハイウェイーをのろのろ走りながら大笑いの道中になりました。

「カメルーンの田舎はすべて自給自足だよ。そして村の真ん中にかならず大きな木があるんだ。その幹にちいさな小屋がある。食べ物があまったら村人はそこに置いていくんだ。食べ物がない人のためにだ。そうやってみんな助け合って暮らしているのがアフリカだ。それに比べてアメリカ人はどうだい?狂っているとしか言えないね。それも根本的なところで」

運ちゃんの話はどれも納得することばかり。アメリカに来てもっとも感動する場面だったかもしれません。住所ももらったのでいつかカメルーンに行こうという話になりました。

さて、今日はこれからモンテズマというビーチに向います。そこに1週間滞在する予定で、そこからいろいろ探索しようというわけです。平和憲法を持つ軍隊のないコスタリカ。そうはいっても隣のコスタリカから難民が流入して犯罪などいろいろと問題になっているようです。経済問題も大変そうです。副大統領との会見を予定していたのですがどうやら難しいらしいので、とりあえず、この国をできるだけ見て回ることにしましょう。