火曜日, 9月 04, 2007

9月4日 世紀の発見

いやはや、もう9月です。稲穂もすでにすこし黄色っぽくなってきました。8月の高温と日照りで田んぼはすっかり地割れしていますが、じょうぶな稲は健気に育っています。ただ、夏の草取りが間に合わず、水草がびっしり生えて稲の分けつがいまいちでした。そして、いよいよイノシシの登場です。もう一部の田で稲が踏み荒らされています。そこで、ガーデンライトという太陽光発電で点灯する野外灯に赤セロファンをかぶせて田んぼの周りに設置しました。イノシシは赤色光を嫌うとなにかで読んだからです。でも、これもどこまで効果あるのかな??

世界が変わるということは、たぶん、ほとんどのひとびとが気づかないところで起きていて、ある日、それがひとびとの口に上るようになって、ようやく気づく、といったようなものかもしれません。

先月、科学誌サイエンスに「光速を超える実験に成功」という論文が2人のドイツ人科学者によって発表され、イギリスのテレグラフ紙がその記事を載せました。例によって一般科学界では、そんなことはあり得ないという”科学的”常識論で、それはすぐさまに否定され、まともに議論もされず、これまで主流メディアからも話題にされていません。

しかし、これは世紀の物理科学の大発見に値するものかもしれません。この実験が世界の研究者たちによって追試され、その結果が再確認されたら、いまの科学の根底概念がひっくり返るからです。

このドイツ人科学者は、コブレンツ大学のグンター・ニミッツ博士とアルフォンス・スホーフェンタール博士で、90cm離れたふたつのプリズムの間を、マイクロ波フォトン(光のエネルギー束)を瞬間的に飛ばす実験を行ったと語っています。これはいわゆる量子トンネル効果の実験で、光速を超える速度が観測されたことになります。

この結果の意味は、光より速いものは存在しないというアインシュタインの特殊相対性理論が崩れてしまうことです。アインシュタインは、それまで絶対だと思われていた、空間と時間を数学的解釈から変数値、つまりスピードで変わるものだとし、唯一変わらないものは光速だとしたのです。

光が波動か粒子かという、科学史を飾る議論が長い間つづいてきましたが、光の粒子説を唱えたのは、ニュートンとアインシュタインそして現代量子力学の科学者たちだけなのです。他のほとんどの科学者は光を弾性媒質の波動と考えて、デカルト以来のエーテルの存在を信じてきたのです。

光の専門家である光学分野の科学者たちのほとんども光は波だと思っていて、そのように実際に扱い、何の問題も起きていません。

ところが、現代科学では光は粒子だと認定され、光子が波形運動をしながら飛んでくると解釈しています。なにしろ光子カウンターという計測器まであるくらいですから。

光の波動説を信じない科学者は、空間媒体(エーテル)の存在を認めたら自分たちの数学理論が根こそぎ崩れてしまうと思っている数学者たちです。

デカルトは、大気の振動波や水面の波動を観察し、宇宙空間にも空間媒体が存在し、光はそのエーテルを揺する波動だと考えました。実際、光の三大特徴である、回折や干渉やドップラー効果という性質は波の共通特徴であり、それだけでもすでに光の波動説は揺るぎなく盤石なものでした。その考え方は、ホイヘンスやフックに受け継がれて、アインシュタインが出現する20世紀初頭まで良識ある科学者たちによって守られてきたのです。

それが、”光電効果”という不思議な現象を光の波動説では説明できないために、光は粒子説に後戻りさせられてしまったのです。その元の理論がアインシュタインの光量子仮説で、同じ粒子説でも質量が零(0)の光子(フォトン)が波形運動してくるという波動説と粒子説の中間の形式をとったものです。

質量のない光子が質量をもつ電子をはじき飛ばすことなど常識で考えても不可能なはずなのに、エーテル説をなんとしても否定したい当時の数学者たちの思惑と粒子の時代という時代背景もあって、あっと言う間に波動説を凌駕してしまったのです。

光電効果の謎解きは、簡単に説明すれば、それは光を吸収した金属原子が強烈に励起して、外殻電子をはじき飛ばす現象です。原子核の周囲を取り巻く電子の軌道磁界は光波動を吸収することで磁場の回転が増幅され激しく励起します。原子の電荷が増大すれば電荷反発によって電子が飛び出すのは当然です。

つまり、「光 対 原子」の構図で考えれば、波動説で充分に説明がつくのに、科学界は「光 対 電子」の構図でしか考えようとしていないのです。

その理由には、当時の20世紀初頭の科学界が、空間媒体を主体とする波動説を打ち消そうという風潮が流れていたことがあります。電子や陽子や原子核といった計測できる粒子の存在が明らかになるにつれて、数学者が軒並みに台頭してきた背景があります。光や粒子の運動を数理で明確に表現しようとする気風は、空間媒体を認める理論とは真っ向から対立するものであり、やっかいな光の波動説は目の上のタンコブ的な存在でした。相対論にとっても量子力学にとっても空間媒体は数学に弊害を及ぼすものだったのです。

今回の光速度を超えた実験は、科学をまともな道へと呼び戻すきっかけになるかもしれません。