日曜日, 8月 13, 2006

8月13日夏の1日

一日一日と世界が走馬灯のように動いて、自分はその中心にすわって眺めている。そこで不動のものは何なのでしょう?私の存在・・・魂のようなもの・・が、もしかして、絶対的存在なのでしょうか?

TUP仲間からの情報:最近世界を騒がしているイギリスのテロ事件で、犯人がジェット機爆破に使おうとしていた液体爆薬は、トリアセトン・トリペロキサイド(TATP)というものらしいです。ところが、専門家によれば(この人は火薬処理専門の消防士)、このTATPは、非常に不安定な物質で、とても持って歩き回れるような代物ではないそうです。飛行機に乗る前に爆発してしまう可能性が高いというのです。

犯人の名前が、政府関係や警察でなく、どうして犯人たちの口座がある銀行なのか?これもなにか不自然だし、今回のテロ犯人捕縛には、だいぶ不可解な点が指摘されているようです。はっぴょうのタイミングにしても、どうみてもこれは、ブレア/ブッシュ政権のテロ犯行だと思わざるを得ませんね。レバノン、イラク問題が吹っ飛び、そして秋の中間選挙と、完全に仕組まれたプロットでしょう。

さて、昨日は台風の大雨で痛んだトマトをひもで結わき直そうと準備していたら、千葉市文化センターでシンポジウム司会をしているゆみとゲストの加藤登紀子さんから急に、「最後にWe Shall Overcomeを歌って欲しい」と電話があり、急遽計画変更。子どもたちを保育園でひろって、車で千葉に向いました。お盆で高速は混むかなと危惧していましたが、杞憂におわり、思いのほか早く千葉に到着。このところ、さっぱりステージとは縁がなく、久しぶりにギターを出したらカビだらけ!!ひどいミュージシャンです。途中の高速道路でのどの調子をなんとか整えて、ステージは無事に終えました。声は日頃歌っていないと、のどの筋肉が堅くなってしまって、スムースにでないものです。でも、なかなか良かったと感想を参加者からいただいたので、一安心。行く途中車の中で、We Shall Overcomeの歌詞を説明したら喜ばれるだろうと、あれこれ考えて、こんな内容を準備して行ったのです。

私たちはくじけない
それは、こころの奥底で、
かならずいつか願いが叶うと信じているから

だから、私たちは平和に生きて行く
こころの奥底で、
かならずいつか勝つと信じているから

私たちは手を取り合って進む
もう怖れなどない
こころの奥底で、
かならずいつかやり遂げることを信じているから

でも、結局この言葉を話すタイミングがなくて、これはなしでした。


超満員の会場のお客さんが、みな手を取り合っていっしょに合唱してくれたのです。感動して涙が出ました、と言ってくれた人もいて、やはり音楽のパワーは違うなあと改めて感じ入りました。これからは、もうすこし心を入れ替えて歌をうたうようにしましょう。

音楽の話といえば、いま、たまたま吉田秀和の「モーツァルトを求めて」という本をかじりかじり読んでいます。そこに「グレゴリオ聖歌から出発して以来、ヨーロッパの音楽は、生命的な緊張と弛緩ーないしは解決の交替の表現として発展してきた」と書いてありました。「解決の交替の表現」とは一体どんな意味なんだろう、といまだに頭でこの言葉が宙に浮いていて困っています。言葉は難しい。音楽の方がまったく簡単ですね。