金曜日, 8月 13, 2004

8月13日

1週間の慌ただしい旅行でしたが、3日からロスアンゼルス・ポートランド・シアトルに行ってきました。ロスでは、『戦争中毒』出版人のフランク・ドレルのところにやっかいになり、到着したその日に、さっそくマイケル・ムーアの『華氏911』を観にいきました。日中だったので館内はまばらの観客でした。7月4日にロードショーですから、もうそれほど混んではいないと思ってましたが、ちょっと意外でした。時差で眠たい目をこすりながらでしたが、さすがに空前のヒット作品です、ブッシュがいかに大統領として落第か、ブッシュ家が中東アラブ国とどんなつながりがあるか、などショッキングな映像が続きます。イラクで被災した子どもたちの惨い映像がアメリカ国民の前にこれだけ見せられたのはたぶん初めてでしょう。それだけでもこの映画はすごい影響力です。この旅の最大の目的はこの映画を観ることだったので、ひとまず満足。5日はオクシデンタルカレッジでキャシー・ケリーの講演を聞きました。キャシーは去年11月、フォートベニングのデモで陸軍基地に侵入した罪で4ヶ月も刑務所に入れられた、筋金入りの平和活動家です。今までも何回も投獄された経験があります。そんなことできっとすごそうなおばさんだとイメージしていましたが、会ってびっくり、なんと可愛らしい、と言っては失礼か、こがらな愛嬌のある女性でした。彼女の今回の投獄劇の話題が中心で、刑務所で最初の日に大男に羽交い締めにされ、あげくに上に乗っかかられ息もできなかったなど、ひどい扱いだったと語りました。以前、投獄された時、15年20年の刑期の女性は刑務所ではほとんど稀だったが、今回まわりの人はみんなそのくらい長い刑期のひとばかりで驚いたそうです。たしかクリントンの時だったと記憶していますが、犯罪に対する刑罰を重くしたため、アメリカ中の刑務所に犯罪人が溢れるということになってしまいました。ほとんどが麻薬関係の軽い罪ですが、3回捕まると問答無用で20年くらいの長期刑になってしまうのです。なにしろ刑務所作りがビジネスになっているくらいで、現在200万もの人が刑務所に入っているのです。キャシーは、これからイラクとパレスチナに向かうと言っていました。アメリカのすごさはこのようなスケールの大きいひとがウジャウジャいることですね。そしてそのような人たちと知り合えることはいつでも私たちの大きな喜びです。6日はフランクと一緒にオレゴン州ポートランドに行きました。広島原爆メモリアルデーにいろいろとイベントがあり、そのうちの一つとして『テロリストは誰?』に出てくるベトナム退役軍人で活動家のブライアン・ウィルソンの講演会がその夜予定されていたのです。今回の旅はブライアンと会うのが最大の目的でした。大きな教会が会場で、フランクと私は入り口で『戦争中毒』とビデオの販売しました。なんと2ケースもってきた分が30分ほどで完売。多くのひとが数冊あるいは10册も買っていくのです。ここの人びとの関心の高さに感心しました。ブライアンの話は、ベトナム従軍で彼の世界観がひっくり返ったこと、このまま過大な消費文化を続けていけば近い将来大きな破局がやってくるだろう、では何をすべきか、など実にこころにせまってくる話でした。フランクはブライアンが彼の先生だよといつも言っていますが、なるほどと思わせるスピーチでした。翌日、あるアーティスト夫婦の家で平和のための退役軍人会のパーティにブライアンたちと参加しました。そこでブライアンといろいろ話したのですが、もっとも驚いたことは、最後にこう言ったことです。アメリカ人がこれほど怒っていることはかつてなかった。ベトナム戦争のときでもこれほどではなかった。ひとびとはもう今の選挙というシステム自体に何も期待していない。問題はブッシュかケリーかということではない。どちらになろうとこの金と権力のシステムは変わらないからだ。きっと近い将来、なにかが起こるだろう。それがどんなものかはまだわからないが、きっと驚くようなことであることには間違いない。というような話でした。いったい何が起こるのでしょう。ところでロスでミズーリからちょうど来たデービッド・ボンクライストという元ロックシンガーで今はラジオプロデューサーに会い、彼の製作した驚くべきビデオをもらいました。『911 In Plane Site』というビデオで9・11のニューヨーク世界貿易センタービルにつっこんだ飛行機の胴体になにかあり、それが衝突直前に発火している証拠ビデオなのです。つまり、ビルに激突したのは言われているアメリカン航空の旅客機ではなく、軍用機だったという証拠ビデオなのです。しかもこのもとの映像はCNNのニュースで、彼はひょんなことからふとコマ落としにしてみたらそのような画面があらわれたそうです。CNNはこのビデオ配給に許可を出さないので、彼は訴えられるかもしれないけれど、その覚悟はできている、それより世界の人たちがこの事実を知ることのほうが重要だと言いました。このビデオを今回私は持って帰ってきたので、さっそくテレビ局に持っていくつもりです。デービッドに日本に来ないかと言ったら、行きたいけれどまず帰って来られなくなるだろう、と言いました。

鴨川の田畑は相変わらず日照りつづきで土がコンクリートになっています。大家さんはこんなひどいのは昭和59年ぶりだ、あのときは竹も枯れたと昨日言っていました。でも、稲はなんとか健気に穂を出し始めました。こんなひどい条件でも死なない稲の生命力には改めて驚かされると同時に、感謝です