米作りを始めてかれこれ十数年になりますが、稲が全滅ということはかつてありませんでした。天候不順でどんな不作な年でも、それなりに収穫できていたのです。イノシシの害は、以前から各地で聞いていましたが、このあたりはサツマイモが食べられたり、畑が荒らされた程度で、それほど深刻な例がなかったので、ちょっと甘く考えていました。
昨年は、かつてなく稲作には理想的な天候がつづいて、大雨で土手が崩れてだいぶ稲がつぶされてしまいましたが、それでも豊作でした。ということは、山の自然も非常に豊かな年だったわけで、たぶんイノシシにとっても餌が豊富な環境だったのでしょう。ですから、当然、たくさん繁殖したはずです。それが、今年になって春の長雨と低温のせいで山の餌が無くなってしまった。これらのことが合わさって、イノシシが群れをなして里に下りて来て普段は食べない稲を食い荒らしたのだと推測されます。
考えてみれば、このような野生動物や冷害などによる凶作は歴史的にも常に起こっていたわけです。私たちは、仕方が無い今年は米を買おうと、注文すればいくらでも簡単に手に入る時代に住んでいますが、昔は大変だったでしょう。凶作が2年もつづけばそれこそ餓死者がたくさん出たなどと聞いています。口減らしに赤子を間引くことはどこでも当然なこととして行われていたようです。日本は長い間、事実上鎖国していたわけですから、自給自足だったわけで、食料が足らなければ当然養える人口も限定されたわけです。太古の時代から、人口はほとんど目立って増加していません。(グラフ参照)
人間の数とそれを取り巻く自然環境が、一定のバランスで調和されていたのです。人間は、食糧難に際して人口を意図的に調節してきました。そうやって自然環境も守られてきたわけです。そういった人間と自然とのバランスが急激に崩れ始め始めるのは、近年になってからです。
私たちの稲田は、急な斜面に位置していて、しかも水源もないという、不便を極めている(大げさかな)ようなところですから、その収穫量も限度があり、したがって、それによって養える家族数も限られることになります。
山の暮らしの自然とのバランス。そんなことを考えさせられた今回のイノシシ騒動でした。
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