日曜日, 7月 06, 2008

ザ・ニューフロンティアーズのCD発売

The New FrontiersのJPG

今日は手前味噌の宣伝です。(そう言えば今年早々漬けた味噌がいい味になってきました)

私の青春はフォークソング一色で、それこそ1日中がちゃがちゃ仲間たちとやっておりました。そんなとき、いつも頭を悩ましたのが練習所です。若い連中が昼間から大きな音をガンガンやるんですから近所からクレームがくるのは当たり前。そこで練習所としてマンションの1室を借りたんです。学生時代にどうしてそんなことができたかと言うと、それだけの稼ぎがあったからです。日本ではなく外国で。

60年代後半、ベトナム戦争真っ最中のころですね。学園が、反ベトナム戦争運動と反安保・反政府闘争で吹き荒れていた時代です。友人たちが連日デモに出かけて行くのをしり目に、僕たちはラジオやカレッジコンサートなどの出演のための練習で忙しい毎日でした。完全なノンポリです。そして、全学連の連中が聞いたら怒り心頭になったであろう場所で荒稼ぎしていたのです。

ある日、偶然知り合ったアメリカの軍曹のつてで基地内(当時は米軍キャンプと呼んでました)のクラブで演奏したら、これが大受け。以来米軍キャンプでの人気者になったのです。僕たちがやっていた音楽が当時の若者(アメリカの団塊世代)がともに育ったアメリカンフォークソングだったからです。いまから考えると、そしていまアメリカが関わっているイラク戦争も併せて、当時のアメリカ軍兵士や将校たちのこころには、つづいている戦争の緊張感と日本に滞在している安堵感との入り交じった感情があったことでしょう。僕たちの音楽がかれらの魂をなにか揺すぶったのだと思います。

当時サラリーマンの初任給が2万円くらいだったと思います。僕たちの米軍キャンプのギャラが一晩で100〜200ドル。(当時のレートは1ドル=300円)どうして若僧の学生たちにマンションが借りられたかわかりますね。米軍キャンプのエンターテインメント施設には下級兵士用クラブと将校だけが入れるオフィサーズクラブがありましたが、前者はおもにディスコ風、後者はりっぱなステージを供えたディナークラブでした。僕たちはオフィサーズクラブ専門で、しかもエンターテイナーとしてはトップのランクに入れてもらっていました。たまには広いディスコ会場でベトナム戦争帰りの若い兵隊たち、みんな僕たちとおなじ世代です、を前に演奏しました。いつも最後の曲は"I'm Going Home"で終わるのですが、そのとき若い連中が指をVサインにして大騒ぎしていっしょに歌うのです。あとで訊いたら、あと二日で故郷に戻るんだよ、という意味だったんです。

関東区域にはもっとも大きな立川・横田キャンプ、三鷹のグリーンハイツ、朝霞キャンプ、厚木と横須賀キャンプなど米軍施設がありましたが、もっとも権威があるというかハイクラスなのが赤坂山王ホテルのクラブでした。

のちのち、プロの道を進もう、さらにアメリカに行こうと決心したのも、この米軍キャンプでの経験があったからです。

さて、何十年の時の流れがあって、去年暮れのある日、昔の仲間のひとりで、今もギタリストとして現役で活躍している吉川忠英くんから突然電話がありました。

「そろそろまたニューフロンティアーズをやろうか」
「うん、やろう」

20年ぶりに、ことしの3月新宿のBack In Townというライブハウスで演奏をやりました。来場してくれたみなさんにはあらためてお礼を申し上げます。その練習をやっているとき、レコード会社のディレクターが聞きつけて来て、どうせ練習するならそれでCDをつくりましょうよ、ということで出来たのが6/25ビクターから発売された「The New Frontiers sing The Kingston Trio」です。

The New Frontiers JPG


じつは、吉川くん自身の新しいCD「HOOTENANNY with CHUEI YOSHIKAWA」発売記念コンサートが6月29日原宿であり、僕たちもゲスト出演しました。ほかにもなつかしいゲストが招かれていて、白鳥英美子・マイカちゃんやマイク真木さん、麻田浩さんのモダンフォーククゥワルテット、モダンフォークフェローズなどと40年ぶりの再会で、昔の雰囲気そのままの本当に楽しい会でした。

ぼくたち、ニューフロンティアーズが再結成したという噂がどこかにまわったのか、出演依頼があり、来週の12日にも新宿の厚生年金ホールでゲスト出演することになりました。

どうやらこれから演奏活動も忙しくなりそうな案配です。

(ニューフロンティアーズのCDは、グローバルピースキャンペーンストアでご注文できます。)

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