月曜日, 2月 01, 2010

沖縄と日米関係

沖縄の普天間基地移転問題が紛糾しています。鳩山政権が相変わらず煮え切らない態度でこの問題への返答を繰り返しているため、マスコミはこぞって政府批判を強めているようです。

でも、鳩山政権がこれまでの自民党による対米追従的な沖縄政策からの脱却を昨年そのマニフェストで宣言したという事実は非常に重要だと思います。民主党は「緊密で対等な日米関係を築く」と明言したのですから。

「緊密で対等な日米関係」とは、沖縄の普天間基地移転問題について言えば、いったいどういう関係なのでしょうか。

そもそも戦後60年以上にわたって、外国の軍隊を集中的に常駐させ、沖縄島民にその重圧を押しつけその意志を無視してきたことが「対等な日米関係」と言えるでしょうか。

沖縄に米軍基地が第二次大戦後置かれるようになった経緯を考えるにあたって、注目すべき歴史的事実があります。日本の降伏を迫った連合国のポツダム宣言を、日本は1945年8月15日に受け入れ戦争が終わったのですが、ポツダム宣言の12項には「前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては聯合国の占領軍は直に日本国より撤収(てっしゅう)せらるべし」と書かれていたのです。戦後今日まで続いているアメリカ軍による日本駐留は、ポツダム宣言違反なのです。そこに「対等な日米関係」が築かれるわけがありません。

このポツダム宣言違反をすり替え、米軍基地を正当化、法制化する目的で考えられたのが日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)です。1960年、岸内閣によって締結された新安保条約はその6条で「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」と書かれています。これは要するに日米軍事同盟条約です。これによって、日本はアメリカの軍事政策に完全に組み込められ、アメリカの敵国とされる諸国(当時はソ連、中国、北朝鮮などの共産主義諸国)との平和的な外交の道が閉ざされてしまったのです。それは第二次世界大戦であれほどの犠牲を出しながら、そして、憲法9条で戦力の保持を永久に放棄しながら、日本が極東、そして世界の平和への導き手になる道が閉ざされたことでもあります。

私はいわゆる70年安保闘争当時は大学生で、校内キャンパスでは連日全共闘や左翼諸派の学生たちが校内バリケードをはって命がけの運動をやっていたことを覚えています。大学に入学した途端学園封鎖になり授業がなかなか始まらないという異常な毎日でした。私はノンポリでそれには参加しませんでしたが、彼らが真剣に平和な日本を理想として闘っていたことは確かなことです。

以上は、政治学者の伊藤成彦氏が雑誌「マスコミ市民」に連載中の「故宇都宮徳馬氏の日米安保条約神格化否定論を顧みる」(2010年1月号)の文章に触発され、また一部引用して書いていますが、それには故宇都宮徳馬が1957年に当時上院議員で民主党副大統領候補といわれたジョン・F・ケネディに会ったときのことが以下のように書かれています。「ボサボサ髪で折り目のつかない服を着た闊達な青年政治家がいきなり次のように言った。『私は日本にアメリカ軍隊が常時駐留していることに反対である。その理由は第一に、核兵器の時代、通常兵器をもった軍隊が現地に駐留していてもたいした戦略的な意味をもたない。第二に、現地駐兵は、そこの住民との間に良好な関係を維持することは難しく、しばしばトラブルを起こす。第三に、現地駐兵は駐留する軍隊の風紀、規律の維持が困難であり、軍幹部をしばしばスポイルする』」。

さすがケネディの指摘は鋭いです。まさにその通りのことが沖縄で起きました。もしケネディがもっと長く生きていたら、ベトナム戦争はもっと早く終わり、日米安保条約が見直されたかもしれません。

さて、以上のことを踏まえて「普天間基地」問題に戻ると、鳩山首相の「緊密で対等な日米関係を築く」ためには、単なる基地移転では済まないことが明らかです。

伊藤成彦氏は、「沖縄を含めて在日米軍基地と日本及びアジアとの平和の関係を根本的に考えることです」、さらに”米国は中国を封じ込めるつもりはない”とのオバマ大統領の発言に触れて、「日本とアジアの状況は、オバマ政権の登場によって大きく変わりつつあります。鳩山内閣はこの変化をさらに促進して、真に対等・平等な日米友好関係を創出するために、日米安保条約を日米平和条約転換する決断をするべきです」と主張しています。

日本の平和外交に関しては、主要マスコミは赤旗を除いてすべて日米安保軍事同盟を最重要視し、鳩山政権もそう明言しています。

どこまで鳩山首相が「平等な関係」を築けるか、果たして大きな決断をできるか、その平和への希求の真価が問われています。

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