(昨日の続きです。)
それは、一度自分たちが正しく相手側は悪だと決めると、もうそれ以上何も考えること無く筆舌に耐えないような犯罪を平気で行うようになる。
戦争中、爆撃手仲間がある日私に言った、「これは帝国主義戦争だぜ。ファシストは悪だ。だが、われわれも大して変わらない」そのときは受け入れがたかったが、彼の言葉はこころに引っかかった。
戦争はすべての人のこころを毒し、殺人者と拷問者に変える。独裁者を倒すための戦争だと言うかもしれない。しかし死ぬのは独裁者の犠牲者だ。悪の世界を駆逐するためだと言うかもしれないが、それも長く続かない。なぜなら戦争そのものがさらなる悪を生むからだ。戦争は、一般の暴力とおなじように、麻薬だと思う。すぐ気持ちよくなり、勝利の高揚感に酔うだろう。だが、やがて醒めてくると、絶望に変わる。
第二次世界大戦に続く朝鮮戦争とヴェトナム戦争は「良い戦争」という理由だけで行われた。ソ連や共産主義の脅威という根拠が最大限に誇張され、アジアやラテンアメリカ諸国への軍事介入の口実にされた。しかし、ベトナム戦争では殺戮を正当化する政府のうそがアメリカ国民の知るところになり、政府は撤退を余儀なくされた。そして世界が終わることはなかった。5万8千のアメリカ人と数百万のベトナム人の命が失われた。アメリカ国民の大半が戦争に反対し、史上最大の反戦運動になった。
ベトナム戦争は国民に厭戦気分をもたらした。アメリカ国民はプロパガンダの呪縛が消えて、やっと本来の状態の戻ったのだと思う。しかし、政府はこの国民の「ベトナム症候群」に危機感をもち、これを打ち消そうとした。海外への軍事介入反対は病気だから、これを治さなければならない、ということだ。そこで政府は、情報を制限し、徴兵を止め、グラナダ、パナマ、イラクといった弱小国だけを対象に、反戦運動が起こらないように迅速な戦争をすることでアメリカ国民の不健康な目を逸らそうとした。
ベトナム戦争を終えさせることによって、人間に生来にはない病気である「戦争症候群」からアメリカ国民が立ち直ったわけではない。911事件が政府に与えた機会によって、アメリカ国民はふたたびこの病気にかかった。テロリズムが戦争の口実になった。しかし、戦争そのものが怒りや憎しみを生むテロリズムだ。それを我々はいま見ている。
イラク戦争によって「対テロ戦争」の偽善性が明らかになった。アメリカ政府が、実際どこの政府であろうと、信用できないことが暴露されつつある。それは、人間の安全性とか地球の安全性、あるいは、大気、水、天然資源の保護、貧困や病気の解消、地球上60億人口の多くが影響を受ける、危機的に増大しつつある自然災害への対策などに、もはや政府が信用できなくなった、ということだ。
アメリカ政府は、ベトナム戦争後に再び暴力と不名誉に国民を向わせたが、もう同じことを政府が出来るとは思えない。イラク戦争が終わり、戦争症候群が癒されたときこそ、その癒しが永続する最大の機会だと思う。
私の希望は、あまりにも重く激烈な死と恥辱の記憶がアメリカ国民をして、絶え間無い戦争に反省している他の諸外国からの声に耳を傾けられるようになり、戦争自体が人類の敵だということを理解できるようになることだ。
政府はこのメッセージに反抗するだろう。しかし、かれらの権力は市民の服従があってこそ可能だ。それなしには政府など何も出来ない。このことを我々は歴史上何回も見てきている。
この星を救うためには、戦争放棄が望ましいだけでなく絶対に必要だ。今やその時が来ている。
月曜日, 1月 02, 2006
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