祈りのはたらき
2001年8月29日
スーザン:マシュー、秋分の日にグループ・メディテーション(集団瞑想)で中国にフォーカス(集中)して、同時に地球の保護と高揚を手伝ってくれているETたちに感謝の意を表わすというのをどう思う?このことについて何かアドバイスがあるかしら?
マシュー: 望む所だよ、お母さん。その日だったらどのような感覚力もかなり高められるね。だから、ET(地球外生命体)たちに特別な感謝を示すことはとてもふさわしいことだよ。彼らの地球への愛と地球のためにしてくれていることが、あなたたちとあなたたちの惑星を救う助けになっているんだから。
メディテーションでフォーカスしようということだけれど、確かに中国が個人やグループでの祈りによる光を非常に必要としているのは本当だ。でも、地球全体こそが強力な祈りを必要としている。非常に高いエネルギーの流れ(ストリーマー)が地球に向けて強烈に送られるというときに、これは僕の考えだけれど、中国だけにフォーカスするのは、あなたたちの惑星全体のエネルギーを高める絶好なチャンスを生かす最も賢明な方法だとは思わない。だからこれは僕の提案だけれど・・もっとはっきり忠告と言わさせてもらおう・・地球のどのような地域も抜け落とさないようにすべきだ。
世界中に広がっている光をさらに拡大させる簡単でしかも強力なメディテーションは、地球が宇宙の光で輝いている姿をビジョンすることだ。このような愛のこもった祈りに加わろうと心を動かされる人たちは誰でもライトワーカー(光の使者)だし、たぶんこの方法の効果をよく知っているだろう。
スーザン:グループや個人で祈るときは特定な場所に焦点を当てない方が地球にとってはいいと言っているの?
マシュー:お母さん、地球の特定な場所や状況や人間だけに光を強めて恩恵を受けるようにしたら、ほかのものに振り当てる時間がなくなってしまうよ。あなたたちの世界のわずか1立方インチでも、最も微小な植物や動物のひとつでさえも、光を送る価値がないものなどないんだ。でも、グループ・メディテーションとか祈りの会、あるいはそれが個人レベルであっても、祈りを集中させる効果の意味がよく理解されていないようだね。
ある場所に向かって形通りのきちんとした集中をすることで、それがそこにいる人たちの心や気持ちに入って特別な恩恵を与えるわけではない。そうではなく、個人やグループの祈りで生み出された光は地球上につなぎ留められ、それを最も必要としているところに行くんだ。だから、あなたたちが大勢で、たとえば”中国のことを思って”も、その集中された思いや感情によって生まれた光は中国だけに送られることはないし、しかもそこでは受け取められないこともあるんだ。
スーザン:送られた光を受け取れない場所もあると言うの?
マシュー:”場所”というのは地理的な区域とされているけれど、実際はそこを支配しているすべてのエネルギーが具現化したものだ。そのエネルギーのエッセンス(本質)はそこで相互に作用している生命体たちで、それぞれが送られた光を受け取ることも拒否することもできる。その”場所”にいる魂たちのほとんどが本当は光を受け取っているはずだが、どこでもそれが反映されているわけではない。なぜなら、少数だが非常に強力な魂たちが光を拒否して光のない闇の世界を継続させているために、全体としてはほとんど変化が起きていないからだ。
スーザン:それなら、光は必要とされるところに行くのでしょう?だったら、そのグループが秋分の日のメディテーションに中国を選んでも同じことではないの?
マシュー:宇宙の法則にしたがって、祈りの自由意志の選択は尊重されなければならない。だから、メディテーションによる光はすべて尊重される。けれども、あらゆる存在はバランスを求めるという宇宙法則によって、焦点を絞った祈りによる光は一時的にしか継続しない。どこかの特定な地域に向けられた光に起こることは、そこにいる生命体によってそれがうまい具合に”すべて使い切られる”わけではなく、そのことで恩恵と平和だけがもたらされるわけではない。起こることは、そのような狭いエネルギー帯域幅では、惑星の波動を高められる光が本来のように効果的にはたらかないんだ。
それが何であれ、バランスがとれているものはより強いエネルギーの”波及”力があるので、特になにも集中しないメディテーションの方がより大きな効果をもたらす。僕がいつもバランスの大切さを強調しているのを知っているね。そしてどこにも同等の光を送ることで、不均等なところに再配分する無駄を省ける。光は、神の愛が目に見える、操作できる、影響を与えるエネルギー形態として表わされたものだ。もちろん、エネルギー自体は中立だけれども、そのいわゆる”指示”は一人ひとりの人生のすべての思考と意図から来るものだ。光の瞑想的な使い方では、愛はあなたたちが話している通りだ。だから、ひとつにまとまった光や愛を一様にならす特権がどうして神にあるのか分かるだろう。
人々は場所や人を選んで祈ることで自分の信じていることを確認し、そして個人的な感情のニーズを表わすことをよくする。けれども、その祈りの総合的な効果は、僕たちが光だと言っている神性な愛をどの魂がもっとも必要としているかをあなたたちよりもよく知っている神の範疇にある。そうでなければ、あなたたちの世界は今よりはるかに酷いものになっているだろう。
光を配分する公式は究極的目標であるバランスを反映していなければならない。だから、その平均化あるいはバランスをとる平衡化という光の運動は、水が高所から低地に流れるように、そして最後には険しい山嶺や谷もすべて滑らかに押し流して至る所に豊かな大地を形成するように、つねに不変だ。もし地球のすべての魂たちからそのようなバランスで光が放たれていたら、豊かなエデンの楽園は今そこにあるだろう。
スーザン:なるほどね。病気や怪我をした人が治るように大勢で祈るのはどうなのかしら・・そのエネルギーもまた広く散らばって、その人にはその癒しに必要な分だけが行って、残りは他の人たちに行くの?
マシュー:これには魂が生前にした寿命に関する合意事項が関係してくる。その人の選んだ肉体生の寿命はすでに終わっているかもしれないけれど、彼の癒しを祈って膨大な量のエネルギーを向けている人々はそれを知ることはできない。それで、彼の死を祈りが報われなかっとか祈りが足りずに救えなかったというように捉える。もしその人の肉体生がすぐ終わることになっていなければ、祈りを集中させることで癒しを実際に起こすことができる。もしからだの衰弱や、消耗による痛みの人生がその人の合意事項になかったのなら、そのような症状を和らげるように大量のエネルギーを送ることも効果があるんだ。
それと同じ状況にあって、その苦しんでいる人がもう決して良くはならないだろうという恐れに打ち負かされることがなければ、ひとりで祈ることでも癒しは可能だ。恐れは彼がいつも不安に思っていることをさらに増大させるだろう・・だからその通りになってしまうんだ。
これはすべて、いろいろな医療分野で治療を受けている患者たちに等しく当てはまることだ。治療する側の人間は実りある成果や患者の死を避けることに多大な責任感を抱くのだが、そのような期待した結果が得られなかった場合、失敗したと感じるだろう。たしかに不注意や怠慢やまったくの失敗もあるだろうが、適切な手当があったとしても患者がそれに対して積極的に応じることができない場合は治療家の力の範囲を越えていることもある。
でも、大勢の祈りによって出来るエネルギーの分散についてのあなたの質問に答えると、個人の癒しに必要でない分はさざ波のように外に流れ出て平らなパターンになり、受け入れる準備がある他の人たちの魂の光レベルを高める。それは本当だけれど、僕が言ったように、それで癒しが起きるかどうかは、その人の魂レベルの合意の問題だ。
他の人の魂の合意は誰も知ることは出来ないから、健康や肉体生の寿命についてなにか特定な結果を祈るかわりに、その人にとって・・あるいは自分自身の・・”最善となること”を祈る方がいい。その上、そのような熱情や絶望に駆られた祈りは、そこから生まれるエネルギーがバランスをとって流れるのではなく切断されているので、役に立たない。だから、均一に流れる愛情こもった想いで、その人にとって最も善かれと思うことを祈ることがもっとも効果的なやり方だ。
スーザン:OK、ありがとう。グループメディテーションに戻るけれど・・もし100人で同じ祈りに集中したら、一人の祈りの100倍効果があると言えるの?
マシュー:宇宙の数学がここでは働くんだよ、お母さん。その100人からの発せられた光は一緒に交わり指数関数的に最高の効力に高められるので、結果としてその波及効果によって一人の場合にくらべてほとんど計り知れないほどの効力になる。単独の祈りの想いがたくさんの総合された祈りよりも適(かな)いにくいというわけではないけれど、宇宙の指数関数的な成長の法則とバランス運動が働いているとなれば、その違いは桁違いだ。だから、広範囲ではなく、たとえ集中した祈りでも、祈りが込められた想いと感情が地球へもたらす恩恵はいくら高く評価されても過ぎることはない。
ここで祈りとは本当は何か明確にしておこう。それは大勢の人たちとなにか決まった願いを唱えることではないし、一人で何か願うときも特別なやり方でしなければならないとか跪(ひざまづ)いていなけれならないというものでもない。祈りとは、瞬間瞬間の、どんなところや状況にあっても、その人のこころや気持ちにあることだ。祈りはあなたたちの暮らしそのものなんだよ。
あなたたちの祈りの概念では、祈りとは何か良いことが自分や他人に起こるように願うためだけのものだね。けれども、宇宙の法則の中では、あらゆる人生のどの瞬間も祈りなんだ。なぜなら、次の来るべき転生世界での自己評価のための基礎となるあらゆる思考、感情、動機、行動を宇宙が記録するためには一瞬たりとも除外できないからだ。そして、それにはあなたたちが”とんでもない”ことをやっていると思っている人たちもすべて含まれる。
あなたたちは、「何を祈るのか気をつけなさい。そうなってしまうからね」と言うけれど。本当にそうなるんだよ!
スーザン:なるほどね。マシュー、ニルヴァーナの住人たちが特別なメディテーションサービスに参加することをどう思う?それとも、メディテーションはそこの暮らしの一部ではないの?
マシュー:ニルヴァーナは絶え間なくメディテーションがつづくところなんだよ、お母さん。そこには何十万というモニター係がいて、地球のすべての出来事をつねにこの領域全体に知らせるようにしている。そして、それらを通して、僕たちは祈りが必要な多くの地域を知ることができるんだ。けれども、前に説明したように、祈りのエネルギーは地球上に広がった方がある地域の1点に集約するよりもメリットがあるという理由から、僕たちは光を特定の場所に向けて送ることはしない。
とにかく、それはとても素晴らしいアイデアだ。僕がいま言ったことを基に考えれば、それは”既に解決したこと”だとも言える。実のところ、あなたの考えだけでも、それは僕たちの掲示板に載るんだよ。そうなんだ、僕たちにも掲示板がある。もっとも地球にあるようなものとはちょっと違うけれどね。
僕たちの継続的な祈りの状態についていま説明したことのほかに、ここから全体で参加するというのはまずあり得ないことを言わなければいけない。ニルヴァーナの全員を、たとえ一瞬でも何かに集中させようとするのは、シカゴ全市民に同時にまったく同じ考えを持たせると同じくらいあり得ない話だ。僕たちの人口は地球の肉体生から転移して到着する人たちや他の出入りする人たちで、ナノセカンド(10億分の1秒)で変化しているんだ。
高い位の魂たちが教えにやってくるし、彼らから学ぶためにここにくる魂たちもいる。僕たちの人口変化はこの点だけでもいつもそんな具合だから、ニルヴァーナには回転ドアがあると言ってもいいくらいだ。それから、この瞬間にも地球や他の領域の家族を訪ねたり、地球や他の世界に転生したり、あるいははるかかなたの故郷に戻ってもう一度通常の生活をするために離れる何百万の魂たちがある。他の文明社会での非常に困難な転生を終えた魂たちの中には、とくにここのインスピレーション豊かな雰囲気の中で休むためにやって来るものもいる。多くの魂たちはただただ観光客としてやって来るんだ。この聖域はこの銀河系ではもっとも美しい区域だからね・・僕もいろいろ旅するけれど、この銀河系全体でももっとも美しいと言える。
最初の2冊を読んだこともなく、その内容も知らない人には、雲の上でハープを弾いている宗教的イメージしかないここが、そんなに賑わった喧噪の中にあるなんて想像もつかないだろうね。エクスプレスレジに並ぶのが本当はどんなものか、ここに来てはじめて分かるよ。
マシューブック3『イルミネーションズ:この混乱した世界を理解するために』(パート1・祈りのはたらき)ナチュラルスピリットより近日発刊予定
月曜日, 3月 21, 2011
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