土曜日, 1月 28, 2006

1月28日

今日は昨日とうってかわって朝から快晴です。だいぶ残り雪も少なくなってきました。我が家のまわりにはいろいろな野生動物が生息していますが、この数年とくに目立って増えたのがイノシシです。彼らは夜行性なので人目に曝されることはまずありません。ところが、昨日の夕方、卵をもらいに近所の田畑さんに行った帰りの山道で、5〜6匹の子犬を見かけました。と最初は思ったのですが、近くに寄ると、なんとイノシシの子どもたちです。茶色の毛に覆われ、背中に黄色っぽい筋が数本あります。それらが群れになってちょこちょこと道路を歩いています。一緒にいた杏菜と真生は大騒ぎ。5メートルほど追いかけていくと突然脇の薮から大きな母親イノシシが現れ、子イノシシたちを薮に連れて行きました。イノシシの子ども、まだ生まれてまもない赤ちゃんかもしれません、を見るのは初めてですし、親イノシシをこんなに近くで見るのも初めて。いや、じつに可愛いもんです。本当はいつも田畑を荒らすので憎くき相手なのですが。

最近近くにコンビニができたので、久しぶりに今日の朝日新聞を買って読みました。ここは新聞配達がないので(郵便と宅配は来ます)新聞とは自然と疎遠になっています。朝日は駄目だ、あまりにも保守的・右傾化・政府寄りという批判をよく聞きますが、今日の紙面を見ているかぎり、いやいややはり朝日なりのことはあるなと感じ入っています。まず、全体の紙面を通して戦争批判論調が一貫しています。とくに童話作家の高木敏子の言葉が心に残りました。「戦争を起こすのは人の心です.戦争を起こさせないようにするのも人の心です。戦争を起こしてもいいという心を持つ人が増えたら、過ちが繰り返されてしまうかもしれません。みんなで戦争を起こさせないこころの輪を強く結び、世界に向けて広げて行きましょう」

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アメリカの市民グループが傑作な看板をトラックに積んで、来週の火曜日からワシントン市街を回るそうです。それには「ブッシュ・チェイニー弾劾・排除・告訴される。これ以上譲歩するな。任務完了!」その裏には、「アメリカ国民をスパイ・議会での偽証・違法戦争遂行・捕虜虐待・極秘刑務所・911事件警告無視・・・以上のすべてに有罪」と書いてあります。これと同じような看板トラックを永田町でもやるべきですね。

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金曜日, 1月 27, 2006

1月27日

今日は、朝から厚い雲が空を覆ってとても寒い1日です。久しぶりに一人で家でゆったりと読書とメール書きをこたつでしています。いま居るところは、3年前に造ったサンルームという南西向きの部屋で、とにかく明るくしようとすべての壁面をガラスにしました。お陰で、陽が入るときはそれこそ南国並みに暑いくらいになるのですが、今日のような曇り日は外とかわりません。でも、ここからの眺めはとても気に入っています。ここからまだ雪に覆われた畑と山林が見えます。聞こえるのは屋根に残っている雪が溶けて地面に落ちる音だけです。

昨日は私の誕生日でした。これはという特別な感慨もありませんが、この歳になって心配するようなからだの問題がないことだけは感謝したいです。思えば、十数年前、ひょんなことから知った東洋医学に目覚めて、自然食を中心とした新しいライフスタイルに変換して以来常にこころとからだのバランスの大切さを身にしみて感じてきました。そこで学んだいのちの法則の知恵を多くのひとに知ってもらいたいと勉強会を行ってきました。先週も沖縄で初心者のワークショップをやりましたが、いわゆる半健康と呼ばれるいつ病気になってもいいような人が多いのにはいつも驚かされます。からだの不調を訴えるひとは、それがまるで当たり前のようなことだと思っているようです。あまりにも、周囲に不健康なひとたちばかりなのでそれが普通になってしまっているのですね。こどものときのような、朝起きると自然にからだが動いてしまうような元気さ、はつらつさは年齢とともに失われ二度と帰って来ないものだと思っているようです。そんなことはありません。いのちは常に本来の完全な存在に戻ろうとしています。それを阻んでいるのは私たち自身です。たしかに私たちをとりまく環境はこころとからだのバランスを崩すようなもので満ちあふれていますが、できることはそれこそ無数にあり、そのうちのひとつでも実践すれば確実によい結果が出ることになっています。からだは完全無欠なコンピュータのようなものですから、わずかなことにでも即反応します。その僅かなポジティブな変化は、自分自身への小さな最初の自信になります。その小さな自信を少しずつ増やして行けばいいのです。そうすることで、私のエネルギーが高まり、それが周りに順々と伝わっていきます。ちょうど池に石を投げ入れたように、波が広がっていきます。健康であることは、生まれた生命への責任であり、平和への道でもあると思います。

火曜日, 1月 24, 2006

1月24日

昨夜遅く、沖縄から帰宅しました。ところが、家の近くまで来ると雪で道が凍って登れません。しかたなく下の道にくるまを置いて、山の上の我家まで家族全員で歩いて帰りました。なにしろ17度の沖縄から零度に近いところに来たのですから、その寒さは尋常ではありません。でも、空を見上げると満点の星。それはこういうときしか味わえない凄みのある美しさでした。

ところで、那覇というとあまりにも都会というイメージですが、その都会の中にびっくりするような熱帯の自然が残されています。末吉公園というところで、私たちが滞在していた首里から歩いてほんの15分のところにあります。そこはまさに別世界。昔の沖縄はこうだったんだと感慨に打たれました。そして、なんと桜がちょうど満開なのです。

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そして、今日もやはり山の道は凍っていて通行不能。朝、こどもたちと歩いて山を降りました。今朝の天気は真っ青な空。真っ白に覆われた田畑が映えていました。さて、すっかり緩んだからだを早く締めなければ。

水曜日, 1月 18, 2006

1月18日

ニール・ドナルド・ウォルシュ著「新しき啓示」(神との対話シリーズ)より

恐れていることはすでに起こっている。
世界を見まわしてごらん。あなたがたの生き方/生命のあり方の最後の痕跡は2001年9月11日に消滅した。人間の基準で言えば、もはや誰も安全ではなく、安定してもいない。
いまの課題は、安全や安定を失うまいとすることではなく、取り戻すことだ。
物理的なレベルで爆弾や戦車、兵士を使って、あるいは経済力や政治力を使ってそれをなしとげようとすることもできるし、霊的なレベルで信念を変えることで実現するという選択もできる。
変えるべき最初の信念は、自分たちが安全でもなく安定してもいない場合がありうるという信念だ。あなたがたが何者であるかを考えれば、安全と安定の喪失というのは幻想だよ.人間の基準を使えば、あなた方はもう安全と安定を喪失している.霊的な物差しを使えば、喪失することはありえない。
内的な平和は、外的な手段では実現できない.内的な平和は、自分が何者かを理解することで達成できる。内的な平和が実現していればこそ、外的な平和が可能になる.内的な平和がないとろでは、外的な平和はあり得ない。それは人類という種が何度も発見したことだ。
そしていまそれを再発見している。
全世界の外的な平和は、とてももろい.内的な平和が事実上、存在していないからだ。世界はばらばらに壊れつづけ、それをあなたがたは間違った道具(ツール)で元に戻そうとしている。信念ではなく行動を変えることで、世界をひとつに戻そうとしているのだよ。

ハンプティ・ダンプティ、堀の上
ハンプティ・ダンプティ、どすんと墜落
王様の馬が総出でも、王様の家来が総出でも、
ハンプティ・ダンプティを元にもどせはしない
**************

ひとびとは漠然とした恐れを抱きながらも、きっとなんとかなると思いつつ、日々を過ごしています。それはまるでガンがからだにあるのに見て見ぬ振りをしているのと同じです。そう、ハンプティ・ダンプティは落ちてしまった。この地球は平和の星というのは幻想だということに目覚めなければいけないのです。

火曜日, 1月 17, 2006

1月17日

昨日、FMちゃたんに出演したついでに、本土からちゃたん(北谷)に移り住んでいる金森太郎くんと会いました。映画「チベット・チベット」の監督で1年ぶりの再会です。若くてもさすが映画監督、沖縄社会をするどく観察する眼は尋常ではありません。沖縄には約5万人の米軍関係者がいるのですが、それ以外にも軍人ではない外国人が3万人も住んでいると聞いて驚きました。金森くんの友人にハワイからわざわざ沖縄に越してきているアメリカ人がいるそうです。そのわけを訊ねたら、たしかにハワイの自然環境は沖縄以上であるけれどハワイにはない大事なものが沖縄にある、それは「安全」だと答えたそうです。

基地と観光という産業に支えられている沖縄は、ひとつ間違えれば犯罪が蔓延する要因を抱えていることも事実です。ハワイもまったくおなじ社会環境であることをみれば納得いくはずです。それがいままで安全でありえた理由は、沖縄社会の閉鎖性にあるのではないかと思います。べつに沖縄人が意識的にそうしているわけでもないでしょうが、事実、内地からの人が沖縄社会に溶け込んで行くのは至難だとよく耳にします。地域文化と言語の隔たりがその大きな障壁でしょう。でも、だからこそ、それが沖縄の魅力にもなっているわけですね。

金曜日, 1月 13, 2006

1月13日

沖縄・那覇の首里というところに来ています。昨年に引き続いて、友人の所有する空きマンションに家族でこれから約2週間の滞在です。琉球王朝の宮廷があった首里中学のとなりで、この付近を歩くと王朝の歴史を語る史跡によくぶつかります。私には沖縄の歴史を語る資格も十分な知識もありませんが、大通りを逸れて、細長くくねくね曲がる小径を歩いて行くと、熱帯樹に囲まれいかにも伝統的な木の家に出会い「ああ、これこそ沖縄人の暮らしだ」と思いほっとします。そのまま絵はがきになるくらい絵になるのです。

台風という避けられない状況での強固なコンクリート構造にならざるを得ない理由はわかりますが、あまりにも風土とか伝統文化を無視した町並みには正直がっかりさせられますね。

さて、これはアメリカの言わば「読売新聞」とでも呼べるUSA TODAY新聞が行った、「あなたはどのような政府機関とメディアを信用しますか?」という世論調査結果です。

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まずびっくりするのは、連邦政府にはたった6%の信用しかないことです。地元の州政府や市町村政府にしても大して変わりません。地元のテレビや新聞も20数%です。要するにアメリカ人は、基本的に政府とかメディアというものを信用していないのでしょう。しかし、今の世界はアメリカ帝国の覇権で蹂躙されていると言っても過言ではないでしょう。この沖縄での現状を知るアメリカ国民がはたしているのでしょうか。この矛盾をどう理解したらいいのでしょう。

水曜日, 1月 11, 2006

1月11日

昨日から沖縄に来ました。気温20度。さすが常夏のくに。ここでゆっくり風邪を治しましょう。

ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」シリーズの「新しき啓示」を友人から渡され、また読み直しています。最初読んだときとは違って今回は1行1行にこころが共鳴するのを感じます。以下はとくに自分自身に響いた箇所の抜粋です。

「あなたは『あり方』を選ばなければならない。自分自身を選択しなければならない。これは自己選択だ。あなたは、これが自分だ、と決めなければならない。
それから、自分についての決断を毎日、毎時間、示さなければならない。
行動はすべて自己を定義するのだということを理解しなければならない。
考え、言い、行うことがあなたを決め、あなた自身についてのあなたの選択を表すのだから。
人生は決断を伝えるものだ。あなた自身についてのあなたの決断を世界に伝える。あなたが自分は何者だと決断したかを人びとに伝え、人びとが何者であるかを伝え、なぜあなたがここにいて、なぜ人びとがここにいるとあなたは考えるかを伝え、人生とはそもそも何だと思うかを伝える。
これらの決断は、あなたが思っているよりもはるかに大きな影響を及ぼす。あなたが想像するよりもはるかに深く、人びとにふれる。
しかし、それは世界を変えようとという試みから始まるのではない。自分自身を変えようとすることから始まる。
自分自身を変えれば、内なる世界が変わる。
あなたの内なる世界が変われば、あなたがふれる外の世界が少しずつ変わる。
あなたがふれる外の世界が変われば、その世界がふれる世界が変わり、そのまた世界がふれる世界が変わる。
こうして外へ外へと、池の波紋のようにひろがっていく。」

土曜日, 1月 07, 2006

1月7日

5〜6日と札幌でミーティングがあったので、ゆみと二人で出かけてきました。真生が先日から熱を出していたので、多少心配でしたが、留守番のアコちゃんに子どもたちの世話を頼んでの旅行です。アコちゃんは天からの授かりもの、本当にありがとう。札幌は零下5〜10度という寒さ、我家とは比較になりません。町中が2メートルに届く雪にとじ込まれている感じで、車もゆっくりと恐る恐る動いています。札幌在住のフジワラトシさんは毎日雪かきしないと車が通れなくなると言います。冬の雪かきが大変な作業なので、札幌では一軒家よりマンションの方が人気があって高いそうです。雪国の人は大変だ。あにはからんや、ゆみが真生の介護の疲れからか、5日の夕方から熱をだしてダウン。昨夜はふらふら状態でなんとか鴨川までたどりつきました。そして今朝外を見たら一面の雪化粧。こんな景色は数年ぶりです。すると、宅配便から電話がきて、車が登れないから宅配できないといいます。早速見に行ったら、家に入ってくる道は雪で埋もれていました。どうやら今日はどこにもいけないかなあ。

ところで、地球温暖化に伴う気候変動がおおきな世界問題になっています。そして、その原因は炭酸ガス増加による温室効果だということがすでに一般常識になっています。それで京都議定書などが取りざたされているわけです。たしかに今年の夏も、去年同様、世界各地で記録的暑さだったし、北極の氷も融け始めているそうです。かというと、この冬の寒さは記録的だなどとも書かれています。いったいどうなっているのでしょう?今回札幌で会った北大の水野忠彦先生は、専門がエネルギー物理ですが、まったく異なる見解をスライドで披露してくれました。地球の温度を大きな時間スパンで見ると定期的に温暖化と冷却化を繰り返していることが一目瞭然です。それによると、現在は温暖期から冷却期に向うところなのです。これからどんどん地球は冷えて、氷河期になるというのです。また、問題の炭酸ガスの濃度ですが、それと地球温度とはきれいな相関性が見られます。それから導かれることは、地球温度の高低変化に従って炭酸ガス濃度が変化している事実です。つまり、炭酸ガスが増えたから温度が上昇したのではなく、その逆で、温度が上昇したので、自然環境が活性化し、炭酸ガスが増加したのです。ではどうやって地球温度が変化しているのかと言うと、それは太陽活動と連携していることが黒点の変化から分かります。要するに、地球の温度変化は太陽活動変化に従っている訳です。ところで、炭酸ガスの発生源ですが、人間社会によるものは自然界に比べればまったく微々たるもので全体の1%にも満たないのです。排気ガスだなんだと大騒ぎしてますが、地球レベルからみればまったく無視できるということです。というわけで、地球温暖化という現象そのものの根拠が否定されているのです。ではいったい誰がそのことを主張しているのでしょうね。それは地球温暖化説によって利を得るか者を考えればいいですね。

「911ボーイングを捜せ」が週刊ポストのトップ記事になりました。いまだに世界中のほとんどの人はあれはアルカイダがやったテロだというアメリカ政府の言葉を鵜呑みにして信じています。この地球温暖化説といい、まったくプロパガンダというもののすごさ、恐ろしさに改めてこころが震撼させられます。

月曜日, 1月 02, 2006

1月2日

(昨日の続きです。)

それは、一度自分たちが正しく相手側は悪だと決めると、もうそれ以上何も考えること無く筆舌に耐えないような犯罪を平気で行うようになる。

戦争中、爆撃手仲間がある日私に言った、「これは帝国主義戦争だぜ。ファシストは悪だ。だが、われわれも大して変わらない」そのときは受け入れがたかったが、彼の言葉はこころに引っかかった。

戦争はすべての人のこころを毒し、殺人者と拷問者に変える。独裁者を倒すための戦争だと言うかもしれない。しかし死ぬのは独裁者の犠牲者だ。悪の世界を駆逐するためだと言うかもしれないが、それも長く続かない。なぜなら戦争そのものがさらなる悪を生むからだ。戦争は、一般の暴力とおなじように、麻薬だと思う。すぐ気持ちよくなり、勝利の高揚感に酔うだろう。だが、やがて醒めてくると、絶望に変わる。

第二次世界大戦に続く朝鮮戦争とヴェトナム戦争は「良い戦争」という理由だけで行われた。ソ連や共産主義の脅威という根拠が最大限に誇張され、アジアやラテンアメリカ諸国への軍事介入の口実にされた。しかし、ベトナム戦争では殺戮を正当化する政府のうそがアメリカ国民の知るところになり、政府は撤退を余儀なくされた。そして世界が終わることはなかった。5万8千のアメリカ人と数百万のベトナム人の命が失われた。アメリカ国民の大半が戦争に反対し、史上最大の反戦運動になった。

ベトナム戦争は国民に厭戦気分をもたらした。アメリカ国民はプロパガンダの呪縛が消えて、やっと本来の状態の戻ったのだと思う。しかし、政府はこの国民の「ベトナム症候群」に危機感をもち、これを打ち消そうとした。海外への軍事介入反対は病気だから、これを治さなければならない、ということだ。そこで政府は、情報を制限し、徴兵を止め、グラナダ、パナマ、イラクといった弱小国だけを対象に、反戦運動が起こらないように迅速な戦争をすることでアメリカ国民の不健康な目を逸らそうとした。

ベトナム戦争を終えさせることによって、人間に生来にはない病気である「戦争症候群」からアメリカ国民が立ち直ったわけではない。911事件が政府に与えた機会によって、アメリカ国民はふたたびこの病気にかかった。テロリズムが戦争の口実になった。しかし、戦争そのものが怒りや憎しみを生むテロリズムだ。それを我々はいま見ている。

イラク戦争によって「対テロ戦争」の偽善性が明らかになった。アメリカ政府が、実際どこの政府であろうと、信用できないことが暴露されつつある。それは、人間の安全性とか地球の安全性、あるいは、大気、水、天然資源の保護、貧困や病気の解消、地球上60億人口の多くが影響を受ける、危機的に増大しつつある自然災害への対策などに、もはや政府が信用できなくなった、ということだ。

アメリカ政府は、ベトナム戦争後に再び暴力と不名誉に国民を向わせたが、もう同じことを政府が出来るとは思えない。イラク戦争が終わり、戦争症候群が癒されたときこそ、その癒しが永続する最大の機会だと思う。

私の希望は、あまりにも重く激烈な死と恥辱の記憶がアメリカ国民をして、絶え間無い戦争に反省している他の諸外国からの声に耳を傾けられるようになり、戦争自体が人類の敵だということを理解できるようになることだ。

政府はこのメッセージに反抗するだろう。しかし、かれらの権力は市民の服従があってこそ可能だ。それなしには政府など何も出来ない。このことを我々は歴史上何回も見てきている。

この星を救うためには、戦争放棄が望ましいだけでなく絶対に必要だ。今やその時が来ている。

日曜日, 1月 01, 2006

2006年1月1日

元旦

明けましておめでとうございます。今年は私たちにとって、そして世界にとって、なにか素晴らしい事変(変革)が起こる予感がします。

アメリカを代表する平和主義者のひとりで歴史家のハワード・ジンによる素晴らしい文章がインターネットで送られてきました。新年にふさわしい内容なので抄訳しましょう。彼は第二次大戦中アメリカ空軍の爆撃手としてヨーロッパ戦線に参戦し、戦後、戦争の悲惨さや無意味さ、特に市民が犠牲になることに気づいて、平和運動家になりました。数年前にボストンで一度会ったことがあります。イメージとおり、非常に温和な紳士でした。私たちのやっている東洋医学にとても興味をもってくれました。

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これは、The Progressive 誌2006年1月号の記事です。

多数のイラク市民を巻き込んだ対イラク戦争と占領もどうやら終わる気配だ。議会でもメディアでもそのような意見が出始めている。反戦運動もゆっくりではあるが着実に全土に広がっているし、世論も確実に戦争反対、ブッシュ政権不支持の方向に向っている。もう兵士をイラクから戻さなければいけない。

では、私たちは今なにを考えなければいけないのか。この恥ずべき戦争が終わる前に、この上も無い暴力への中毒症状に終止符を打ち、かわりに、我々の巨大な富を人類が必要としているニーズに振り当てるべきではないだろうか。この戦争、あの戦争、というのではなく、戦争そのものを過去のものにする議論を始めるべきではないか。実際、国際的に著名な人道平和活動家たちが集まって、戦争放棄を訴える1000万人キャンペーンがまもなく立ち上げる。

こういう事を言うと、争いは人間の本質なのだから戦争は非可避だという意見がある。それに対する反論は歴史が証明してくれる。市民が自発的に戦争を起す事などかってなかった。それどころか、政府や支配者は国民を戦争に行かせるために多大な労力を費やさなければならなかった。貧乏人の若者たちをお金や教育の提供で誘った。それがうまくいかないと不服従者は投獄だと脅して強制的に兵隊に送った。また、兵士が死んだり、負傷しても、それは神や国家の大義(noble cause)のためなのだからといって若者や家族を説得した。
今世紀の絶え間ない戦争を見ても、市民が戦争を要求したことなどなく、逆に、民主主義を広め、独裁者を打倒する反戦行動をしている。

ウッドロー・ウィルソン大統領は、国民がまったく第一次世界大戦への参戦に気が進まないのに業を煮やして、プロパガンダを駆使し、また反戦者を投獄することでやっとヨーロッパに兵を送った。第二次世界大戦では、国民全部にこれは対ファシズム戦争であり「良い戦争」だという強い道義的コンセンサスがあって、若かりし私もその信念に駆られて空軍に志願してヨーロッパの爆撃作戦に参加した。
戦後になってはじめて道義的な十字軍派兵に疑問をもった。広島・長崎、東京とドレスデン大空襲、日本とドイツでそれぞれ60万の市民が犠牲になった。その事実から、私は、自分自身とほかの兵士たちの心理についてある結論に達した。
ーつづくー
(これから親元に新年の挨拶にでかけます)