立花隆の「天皇と東大」、ほぼ半分まで読み進みました。明治の初期、開国したばかりの日本は一日も早く西欧の列強に近づこうと西欧の文化吸収に国を揚げて取り組みました。そこで最初に模範になったのがアメリカやフランスで、そのころの自由主義や啓蒙主義が日本に入ってきて人びとに大きな影響を与えました。自由民権思想がそこで生まれたのです。ところが、天皇を中心とする尊王国粋派は、いわゆる民主主義の台頭に危機感を覚え、国民を煽動して急激に攘夷の体制(国体)に向わせます。アメリカやフランスの教師たちは排斥され、かわりに当時立憲君主制のプロシャ(ドイツ)を規範にします。自由思想の学者や政治家はことごとく排斥され,あっという間にファシズム体制に世間が席巻され、日露戦争を経て、韓国併合、満州国建設と大帝国主義への道に日本は突き進んでいきました。天皇や日本そのものが神格化され、疑うものはただちに投獄されました。歴史も天皇が神の子孫であるというように書き換えられ、教科書にもそう書くよう強制したのです。東大は政府の意のままになる官僚生産の場として、常にその中心にありました。またそれ以上に、ナショナリズムに煽られた国民が帝国主義(侵略主義、領土拡張主義)の道に邁進する先導役を務めたのも東大だったのです。
ここで驚かされるのが、それまでお上といえば徳川将軍様で、京都の天皇などはほとんど無視されていたのに、一般国民がいとも簡単に一夜のうちに神の国という宣伝に洗脳されてしまう事実です。日本人ほどポピュリズムに熱狂的に反応する国民はほかにも類をみないのではないでしょうか。いまの小泉人気はまさにそうです。国際貢献などという極めてあいまいな説明で国民を納得させる手法は、はっきり言って国民を愚弄するやり方です。この国の大衆は、300年の鎖国のあいだにすっかり従順さを身につけ、せっかく文明開化で人権主義が広まる気運が生まれたのに、わざわざ自分たちでそれを捨てて卑下たる身分に戻って行ったのです。
火曜日, 2月 14, 2006
日曜日, 2月 05, 2006
2月11日
最近、ふと立ち寄った本屋で眼に留まった本に注目しています。「天皇と東大」というちょっとセンセーショナルな表題で、著者は立花隆。彼は、週刊新潮のコラムで「戦争中毒」に好意的な文章を書いてくれたこともあり、さらに著書「イラク戦争・日本の運命・小泉の運命」でも同様なことを書いてくれています。日本の著名なジャーナリストで私たちの本を取り上げてくれたのは立花隆だけなので、彼には一目を置いているわけです。実際、立花隆の現小泉政権に対する批判は徹底していますし、とくに、改憲問題での立場も明瞭です。真理の追求というジャーナリストの役割をフルに演じている人間と言っても過言ではないでしょう。
さてこの「天皇と東大」、ご存知の方も多いと思いますが、これは文芸春秋に7年間連載していた「私の東大論」をまとめたものです。じつはこの本には「大日本帝国の生と死」という副題がついています。「長い長い鎖国の時代が終わったあと、日本という近代国家がどのようにして作られ、それがどのようにして現代日本(戦後日本)につながることになったかを、「東大という覗き窓」を通して見た本」とあります。そしてこの国がどうしてこんな国になってしまったのか、歴史を振り返ると日本は大きな曲がり角をまわるたびに大きな過誤を犯してきた、そのときの判断ミスがのちに取り返しのつかない結果となって跳ね返ってきた、その原因を見極めるためにも近現代史を知ることが必要であり、そこからはじめて現代を語れる、と本の趣旨を書いています。
そして、近代日本の政治と軍事と宗教の一体化した神聖シンボルとしての天皇(制)は、近現代史の中心的な役割を果たしてきたこと,また、その天皇を中心とする「国体」観念に全国民が虜にされたが、その魔術支配の主たる舞台こそ東大であったというのです。
まだまだ読み始めたばかりですが、はじめから眼から鱗の話がつづいます。興味あるところをこれからも書いて行きましょう。
さてこの「天皇と東大」、ご存知の方も多いと思いますが、これは文芸春秋に7年間連載していた「私の東大論」をまとめたものです。じつはこの本には「大日本帝国の生と死」という副題がついています。「長い長い鎖国の時代が終わったあと、日本という近代国家がどのようにして作られ、それがどのようにして現代日本(戦後日本)につながることになったかを、「東大という覗き窓」を通して見た本」とあります。そしてこの国がどうしてこんな国になってしまったのか、歴史を振り返ると日本は大きな曲がり角をまわるたびに大きな過誤を犯してきた、そのときの判断ミスがのちに取り返しのつかない結果となって跳ね返ってきた、その原因を見極めるためにも近現代史を知ることが必要であり、そこからはじめて現代を語れる、と本の趣旨を書いています。
そして、近代日本の政治と軍事と宗教の一体化した神聖シンボルとしての天皇(制)は、近現代史の中心的な役割を果たしてきたこと,また、その天皇を中心とする「国体」観念に全国民が虜にされたが、その魔術支配の主たる舞台こそ東大であったというのです。
まだまだ読み始めたばかりですが、はじめから眼から鱗の話がつづいます。興味あるところをこれからも書いて行きましょう。
木曜日, 2月 02, 2006
2月2日
昨日はよく雨が降りました。お陰で、昨年修理した田んぼの土手がまた崩れてしまいました。やれやれ、またユンボを運び込まなければ。
ことしは、モーツァルト生誕250年ということらしいです。じつは、私は生粋の(変な表現ですが)モーツァルトファンなのです。若い頃はベートーベン,ショパン、チャイコフスキーなどを好んで聴いていました。モーツァルトはどうもピンとこなかったのです。やはりベートーベンの感動的な力強い響きに酔っていました。ところがある日、車を運転していたら妙にこころを吸い込まれるような曲想が流れてきました。実に軽やかでしかもその背後に複雑なメロディラインが流れています。それがモーツァルトに開眼した瞬間でした。それ以来、ほとんどクラシックはモーツァルトです。不思議なもので、いままであんなにこころを揺さぶられていたはずのベートーベンが、意外にもよそよそしく聴こえるのです。モーツァルトは、ある年齢にならないとその本当の素晴らしさが理解できないのかもしれません。少なくとも私はそうでした。でも、どうしてこんなにモーツァルトなのかという疑問に対するひとつの理由は、彼の誕生日が私の次の日だったことかもしれません。いつかヨーロッパをモーツァルトコンサートツアーするのが夢です。
ことしは、モーツァルト生誕250年ということらしいです。じつは、私は生粋の(変な表現ですが)モーツァルトファンなのです。若い頃はベートーベン,ショパン、チャイコフスキーなどを好んで聴いていました。モーツァルトはどうもピンとこなかったのです。やはりベートーベンの感動的な力強い響きに酔っていました。ところがある日、車を運転していたら妙にこころを吸い込まれるような曲想が流れてきました。実に軽やかでしかもその背後に複雑なメロディラインが流れています。それがモーツァルトに開眼した瞬間でした。それ以来、ほとんどクラシックはモーツァルトです。不思議なもので、いままであんなにこころを揺さぶられていたはずのベートーベンが、意外にもよそよそしく聴こえるのです。モーツァルトは、ある年齢にならないとその本当の素晴らしさが理解できないのかもしれません。少なくとも私はそうでした。でも、どうしてこんなにモーツァルトなのかという疑問に対するひとつの理由は、彼の誕生日が私の次の日だったことかもしれません。いつかヨーロッパをモーツァルトコンサートツアーするのが夢です。
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