火曜日, 2月 14, 2006

2月14日

立花隆の「天皇と東大」、ほぼ半分まで読み進みました。明治の初期、開国したばかりの日本は一日も早く西欧の列強に近づこうと西欧の文化吸収に国を揚げて取り組みました。そこで最初に模範になったのがアメリカやフランスで、そのころの自由主義や啓蒙主義が日本に入ってきて人びとに大きな影響を与えました。自由民権思想がそこで生まれたのです。ところが、天皇を中心とする尊王国粋派は、いわゆる民主主義の台頭に危機感を覚え、国民を煽動して急激に攘夷の体制(国体)に向わせます。アメリカやフランスの教師たちは排斥され、かわりに当時立憲君主制のプロシャ(ドイツ)を規範にします。自由思想の学者や政治家はことごとく排斥され,あっという間にファシズム体制に世間が席巻され、日露戦争を経て、韓国併合、満州国建設と大帝国主義への道に日本は突き進んでいきました。天皇や日本そのものが神格化され、疑うものはただちに投獄されました。歴史も天皇が神の子孫であるというように書き換えられ、教科書にもそう書くよう強制したのです。東大は政府の意のままになる官僚生産の場として、常にその中心にありました。またそれ以上に、ナショナリズムに煽られた国民が帝国主義(侵略主義、領土拡張主義)の道に邁進する先導役を務めたのも東大だったのです。

ここで驚かされるのが、それまでお上といえば徳川将軍様で、京都の天皇などはほとんど無視されていたのに、一般国民がいとも簡単に一夜のうちに神の国という宣伝に洗脳されてしまう事実です。日本人ほどポピュリズムに熱狂的に反応する国民はほかにも類をみないのではないでしょうか。いまの小泉人気はまさにそうです。国際貢献などという極めてあいまいな説明で国民を納得させる手法は、はっきり言って国民を愚弄するやり方です。この国の大衆は、300年の鎖国のあいだにすっかり従順さを身につけ、せっかく文明開化で人権主義が広まる気運が生まれたのに、わざわざ自分たちでそれを捨てて卑下たる身分に戻って行ったのです。

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