日曜日, 1月 25, 2004

1月25日

昨年の9月、私たちは「デニス・クシニッチに会いにいこうツアー」を呼び掛け、ここサンディエゴにやってきました。そのときの会場がヨランダとベトーというメキシコ系夫妻の自宅です。いま、そこに一昨日からやっかいになっています。クシニッチ選挙運動で奥さんのヨランダはサンディエゴ支部の中心的存在です。ラテン系特有の明るい、物おじしない女性です。今回アメリカに来て以来平和運動の中核をにない、エネルギーの原動力になっているのが圧倒的に女性であることを痛感します。これは日本でもほかの国でもそうですね。先週は民主党集会が最初に開かれたアイオワでクシニッチと一緒に各地区を回りましたが、やはり女性のパワーが求心力になっていました。デモインで泊めてもらいお世話になったマリーベスも一見おっとりした感じを受けるのですが、話をすると彼女の活動ぶりに驚かされます。アメリカは女性の権利が確立されている国だというイメージがありますが、これはとんでもない嘘で実際はまったくの男社会なのです。ワシントン議会の圧倒的男性議員の数を見れば分かるでしょう。法律で建前上男女平等をうたっているだけであり、ジェンダーとしての存在はもう差別と言っていいくらいです。だからこそ、アメリカの女性があらゆる社会問題改革のための運動の駆動力になっているのです。そして裏を返せば、アメリカの男中心社会とは、力(パワー)とマネーの支配する社会であり、それは暴力社会でもあるということです。そうです、だからこそ世界最大の軍事力で自国民と世界を支配しようとしているのです。まさにブッシュはマーチョアメリカの象徴です。でも考えてみると、本当に弱い者、自分に自信がない者が富や武器を持ちたがるのですね。人間的に目覚めていないと言ってもいいくらい。もしアメリカに女性の大統領が出現したら、本当に世界は変わるでしょう。もちろんクシニッチがなればいいですが。

日曜日, 1月 11, 2004

1月11日

ロスアンゼルスで「1月11日1時11分に平和のために音を出す」という企画をやろう、と決めたのはここに着いてから、つまりたった二日前のことです。9−11のテロ事件の直後にグローバルピースキャンペーンを立ち上げたときに、英語のメーリングリストも一緒に立ち上げたので、まず最初はそこで簡単なアナウンスをしました。このリストには世界各地の人が多く参加しているからです。内容は「日本で1月11日1時11分に平和のために音を鳴らそう、という企画があるので、あなたも自分の住んでいる地域で友だちと集まってやってみませんか」、というだけのものでした。1月9日にロスに入ると、たまたま地元のチェリストのピーターさんとお会いし
ました。彼は民主党の大統領選挙に出馬しているデニス・クシニッチの支持者で、クシニッチのパーティーで何度か即興演奏をしたことのある人です。この平和アクションのことを話すと、彼の友人でベニス・ビーチで黒人バンドをリードしている人がいるから、そこでもこのイベントができるかもしれない、ともかく11日はそこに行こう、という話になりました。何の前宣伝もできないまま、ともかく11日はベニスビーチで「1月11日1時11分」の平和アクションを試みることが急遽決まったのです。当日、私たちはマイクもアンプも何も準備できないまま、ベニスビーチに向かい
ました。ボードウォークに着くと黒人バンドのアブラハムさんがすでに演奏をしていました(彼らは毎週ここで演奏している)。初対面の私たちを快く迎えてくれ、私は彼にこの平和アクションのことを説明しました。私が話し終わるや否や彼は「それはグッドアイデア、サポートするよ」とすぐに引き受けてくれました。

1時まで時間があったので、私もジャンベを叩いてしばらく一緒にセッションを楽しみました。1時になるとアブラハムさんはボードウォークでの散歩を楽しんでいる人たちに向かって、こう伝えました。「みんな、聞いてくれ。今日は地球平和のイベントが行われる特別の日なんだ。1時11分になったら、地球上のあらゆる場所で平和のために祈り、音楽を奏でるんだ。そのために日本から来ているゆみを紹介する」と言って私にマイクを渡してくれました。1時11分のちょうど2分前にマイクをもらった私は、「こんにちは。ここにいる人で平和を求めている人は手を挙げて。(ばらばら、と手が上がる)今日は地球上で1時11分に平和のために音を鳴らそう、というアクションが行われています。ここアメリカではベニスビーチを選びました。音楽をするのに最もふさわしい場所ですから。私たちは今平和の大切さを伝えにアメリカを旅しています。あと30秒で1時11分。時間が来たらLast Night I had The Strangest Dreamを歌いますので、ご存知の方は一緒に歌ってください」と短いスピーチをして、いつもアメリカの平和集会で歌っている「世界中がもう二度と戦争をしないと決めたとても不思議な夢をみた」という内容の歌を歌いました。ベニスビーチは若者や家族連れでにぎわう海辺の散歩道で、ロスアンゼルスの観光名所でもあります。おしゃれなカフェやレストランやショップのほかに、地元のアーティストが作品を展示販売したり、ストリートミュージシャンが腕を披露したりするホットスポットです。観客はいくつもあるパフォーマンスの中から自分の気に入ったものを見つけて足を止めます。私たちが歌い始めると、散歩をしていた人たちが足を止め始め、観客の輪ができました。観客の輪の向こう側にはおしゃれなレストランがあり、そこの客もこちらに耳を傾けてくれています。一番前にいた老婦人と若い女の人が一緒に歌っています。ほのかな喜びが私を満たします。いくつもの偶然が重ならなければ、ベニスでのこのアクションは不可能でした。みえない運命の不思議さに驚きを感じています。地球上のどこにいても、そしてどんなに小さなアクションでも、平和の種を撒き、平和のメッセージを伝え続けることを大切にしたいです。

このイベントは東京から始まり、ここロスまで地球の自転とともに巡ってきました。何の準備もなく、まったく即席のイベントでしたが、ベニスビーチに集った数十名の人々と1月11日・1時11分の地球規模の平和アクションを分かち合うことができました。ステージの並びでは『戦争中毒』を出版したフランク・ドリルさんたちがテーブルを出し、いつものようにマンガ本『戦争中毒』とビデオ『第三世界に対する戦
争』を販売していました。演奏の後は、そこで日暮れどきまで売り子を手伝いまた。明日から「One Dance Summit」に参加するために、サンタ・クルーズへ向かいます。私たちの平和の旅は、3月まで続きます。

ロスアンゼルスにて  ゆみ

木曜日, 1月 01, 2004

2004年1月1日

アメリカの西の端・ハワイから、あけましておめでとうございます。今朝は初日をハワイ島の北端にある聖地ポロルで拝みました。太陽と海とハワイの大地に祝福されているのを感じました。生きているだけで、私たちは祝福されているのだ、と。

午後はJAが関わった大型ゴルフリゾート開発で注目されたホクリア開発のすぐ真上に住んでいる友人宅で新年会に参加。つきたての黒米のお餅が入った極上のお雑煮と黒豆や煮しめなどをいただきました。独創的な女神を描き続けている画家である友人は、ハワイで自給のための畑を持ち、ハワイの先住民の人たちとスピリチュアルな道を歩み続けている素敵な女性です。おいしいおせち料理をいただいたあとは、20名ほどの前で、玄さんと一緒に「花はどこへいった」「Last Night I had the Strangest Dream」などの歌を歌い、デニス・クシニッチの「平和の大統領候補」というビデオを見てもらいました。6−7名ぐらいが彼の名前を聞いたことがない、という人でした。クシニッチのことを知らないアメリカ人に、彼のビジョンを直接伝えることができて、うれしい2004年の幕開けです。

12月にアメリカに入ってから、会う人ごとにクシニッチのことを伝えていますが、彼のことを知っている人はやはり少ないです。アメリカのメディアはほぼ完全に彼のことをシャットアウトしているかのようです。仮に知っていても「クシニッチの政策は素晴らしい。だけど(BUT)・・・」と必ず続きます。理由はさまざまですが、彼は当選するはずがないので、投票は別の人(たいていがディーンかクラークの名前を挙げます)にするんだ、というのです。クシニッチの政策は素晴らしい、と言っている人が全員クシニッチに投票すれば、当選するのに、と私は思うのですが・・・。

カントリーシンガーの大御所のウィリー・ネルソンが、新しい平和ソングを1月3日にデニス・クシニッチのためのコンサートが行われるテキサス州オースティンで発表します。その歌詞の一部を分かち合いますね。

ウィリー・ネルソンがクシニッチをサポートするのは、クシニッチは小規模農家を支援する政策を打ち出しているから、と言っています。

「地球の平和はいったいどうなった」

世界じゃいろいろ起こっている

赤ん坊は死んで

母親はおろおろだ

人のいのちは石油にするとどのくらいなんだ

いったい世界平和はどうなった

お偉方の言葉をみんな信じてさ

やつらにやられる前に

やっちゃおうぜ

だが 聖書じゃこう言ってるんじゃないかい

「汝殺すことなかれ」                       

それでもみんな信じてるさ

生まれたときから言われてるんだ

ウソなんかつくかい

テレビなんかで

ひとのいのちは石油でどのくらいかい

いったい世界平和はどうなった                        

きくち ゆみ