Aloha
みなさまのホリディシーズンが楽しく終了し、日常に戻っていることと思います。私たちはふくしまキッズが12月21日から1月2日までハワイ島に来ていたので、クリスマスもお正月も福島から来てくれた子どもたちと過ごしました。
おかげさまで無事全日程を終了し、すべての支払いも済ますことができたことをご報告いたします。みなさまにはガレージセールやサイレンオークションへのご寄付やイベントへの参加、ホームステイの受け入れなど物心共にご協力をいただきました。また、いろいろアドバイスをくれ、送迎やアクティビティを手伝ってくれたりもしました。何一つが欠けてもプログラムを遂行できなかったでしょう。心から感謝しております。
私たちはまだハワイ島に来てからの日も浅く、何事も試行錯誤です。学び、成長し、より多くの人に賛同していただき、沢山の福島の子どもたちにハワイ島に来てもらえるよう、今後とも努力する所存です。
以下、この冬のプログラム(子ども7名、付き添い人1名)の毎日の様子を報告したブログです。現時点では英語の報告を作成する余裕がありませんが、写真だけでも英語のお友達にシェアしていただけたら、と思います。
ふくしまキッズ、無事到着!(1日目)
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2013/12/blog-post_1673.html
ふくしまキッズ2日目:Hoolokahi教会でクリスマス礼拝
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2013/12/2hoolokahi.html
ふくしまキッズ3日目:ハワイの海でイルカに出会う
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2013/12/blog-post_24.html
ふくしまキッズ4日目:ありがとうジンジャーヒル、アメリカン・ホストファミリーの元へ
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2013/12/blog-post_25.html
ふくしまキッズ5日目と6日目:いろいろな経験を重ねて
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2013/12/blog-post_27.html
ふくしまキッズ7日目:ZUMBA初体験/海辺のカフェで朝食&シマイチでお寿司
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2013/12/zumba.html
ふくしまキッズ8日目:聖地のホナウナウでカヌー/餅つき/歓迎フェス
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2013/12/blog-post_29.html
ふくしまキッズ9日目:地元紙のトップニュースに/プアコでバーベキュー
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2013/12/blog-post_30.html
ふくしまキッズ10日目:最後のカヌー/ペレ拝観/土砂降りの中、パホアへ無事到着
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2014/01/blog-post.html
ふくしまキッズ11日目:天然サウナ/ビッグアイランドキャンディー/アンクル・ロバートのパーティー
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2014/01/blog-post_1.html
ふくしまキッズ12日目:初日の出/コナへ戻ってお別れパーティー
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2014/01/huehue-ranch.html
ふくしまキッズ13日目:帰国 そして・・・
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2014/01/blog-post_3.html
次の夏のプログラムに向けて、すでに数回のミーテイィングを重ねております。夏は7月21日から8月21日で10名の子どもたち(2人の付き添い、合計12名)がハワイ島へ来てくれる予定です。
2月7日(金)、13日(木)、15日(土)に関連イベントがあります。3月8日には日本へファンドレイジングのために旅立ちます。またいろいろとご協力をいただくことになるかと思いますが(ガレージセールは毎月続ける予定です)、無理のない範囲で末永くご協力をいただけたらうれしいです。
どうもありがとうございました。
Mahalo Nui Loa
きくちゆみ 森田玄
co-founders, Fukushima Kids Hawaii
808-334-9616
土曜日, 1月 18, 2014
金曜日, 1月 17, 2014
マシュー君のメッセージ(83)
昨年の10月、私たち家族はワシントン州にあるスージーさん宅を訪れましたが、その際彼女が、”マシューと私とのつながりがずっと過去からつづいていることは本に書いてあるけれど、マシュー自身の過去の転生についてはこれまであまり言ってきませんでしたね。そのことを近い将来言うことになると思います。”と言ったのを覚えています。
ですから、今回のメッセージを読んだとき、”ああ、このことだったんだ”とすぐ思いました。
イエス・キリストや聖書をそれほど身近な存在として育っていない私にとって、このメッセージがどれほどそれを深く信じている人たちにインパクトを与えるのか、正直想像もできませんが、少なくてもイエス・キリストを身近に知っていたという人物がこのように”発言”したということ自体は前代未聞のことでしょう。
また、マシュー君が自分自身の過去の転生をこれほど劇的に生々しく描写したことで、彼の存在が私にはさらに身近なものに感じられるようになりました。もちろん、イエス・キリストの友人だったということもありますが、それはイエスという人にも言えます。
聖書に出てくる12人の使徒たちの名称ですが、日本では原語とされるギリシャ語やラテン語を基にした表記を用いるので、マシューはマタイになります。新約聖書にある福音書を書いたとされる4人の使徒たちは、したがって英語名が日本では以下のようになっています。ルークがルカ、アバラハムがヨハネ、マークがマルコです。
レオナルド・ダヴィンチが描いた「最後の晩餐」に使徒たちとマグダレナのマリアが描かれています。
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2014年1月5日
マシューです。この宇宙領域にいるすべての魂たちからこころからのご挨拶をします。12月の冬至とともに、また強力な光が注ぎ込んで来ました。それはまるで終わろうとする年に敬意を表し、新しい年を歓声で迎えるかのようです。実際、敬意ということであれば、どんなにそれにふさわしいことでしょう。あなたたちが魂レベルからの気づきに従って行動したとき・・あなたたちにはほんの優しい行為や“やるべきこと”に過ぎない思えたことですが・・それらはいつでも世界に光を加えたことになるのです。
たくさんの方法であなたたちの社会が莫大な光を創造していますが、そのいくつかについて僕たちが話したメッセージをきっとあなたたちは読み直してみたいと思うでしょう。あなたたちの世界をより良くするためのたくさんの貢献に対して感謝することも、それ自身の光をさらに大量に送り出すことになります。(これは2013年8月15日のメッセージです。)
ええ、まだやらなければならないたくさんのことがありますが、それらはやがて実行されるでしょう。エネルギーの勢いがあらゆる思考と感情のパワーを増大しつづけているので、ネガティブな状況ばかりを考えて気が重くならないようにという僕たちのガイダンスをここでもう一度繰り返します。その代わりに、地球を白金色の光の中にイメージしてください。そうしてそのイメージとより良い変化を願うこころが宇宙に届き、さらに多くの光をもって戻るようにするのです。一部のこころを閉ざした人たちは現状を維持しようとしていますが、平和と協力とあらゆる人々への豊かさに向かう変化の流れは確実に進んでいます。彼らがより多くの光を受け入れれば、それらが現実になるのがそれだけ早くなるでしょう。
インターネット上にある記事やチャネリング情報を含めて、あらゆる情報はつねにしっかりと見極めてください。ほとんどの主要メディアはいまでもネガティブな出来事やスキャンダル記事ばかりを中心にしていて、コントロールされていますが、草の根から始まった親切さや資源を分かち合うことや成功した試みなどの話が、より多く特集されてきているのはとてもうれしいです。
記者たちも大部分の人々と同じで、北朝鮮が核兵器を発射させて広大な地域を壊滅させるとか、福島からの放射能で最後には何百万の人々が死ぬかもしれないといった、話題になっている起こりうる出来事を僕たちの宇宙ファミリーが防止することなど思いも寄りません。海洋が温暖化であらゆる海洋生物が死に、沿岸線が何百マイルも内陸に移動することなどガイアは望んでいないので、そんなことにはならないことなど彼らは知りません。地球住人のほとんどは、広がっている波動エネルギーが各国の指導者たちに争いではなく対話をするように促していること、経済と外交に関する交渉が水面下でいま進行中であること、あるいは何百万の魂たちがほかの転生とのバランスと進化のために選んだ経験を現在していることなど知りません。
愛するファミリーのあなたたちはそれを知っているのです。ですから、高いポジティブな気持ちでこの新しい1年を前進し世界に光を広めてください。あなたたち自身があなたたちの望む変化なのです。
では、これからはマシューだけとして話します。12月のメッセージへのある質問をここにコピーするように僕の母に頼んであります。
“あなたのメッセージは素晴らしいでしたが、イエスの誕生がこの神聖なる季節の大事な理由であることが抜けていました。私は偏見のない直感力のある人間だと思いますが、イエスが磔にはならなかったとあなたが言ったことについてはまったく信じられません。あなたのような高い進化の存在がそのような重要なことを知らないなどということがあっていいのでしょうか?”
これを書いてきた人は、聖書の磔の話を信じているたくさんの人々のひとりです。あなたたちが魂レベルで知っている真理を意識レベルで知ることは、進化の非常に大事なところです。また誤った知識に基づく信念に固執することは進化における成長を阻害します。だからこそ、聖書が真実から劇的に異なっていることを僕がどのように知っているのか、あなたたちに言うことが役に立つと思うのです。神が、“そうだね。もういいだろう。”と言ってくれたので話すことにします。
僕は使徒マタイとして・・それが今日では地球での僕の転生の中でもっともよく知られています・・そして、大天使ミカエルの強力なエネルギーがこの宇宙でその最初のパーソネージとして顕現したときに始まったほかの何千という転生として個人的に知っていることを基にいつでも話しています。僕のあらゆるパーソネージたちの集合的な知識によって、使徒マタイとして知られるようになった転生の間には意識レベルで知りようがなかったことについて、僕は話すことができるのです。その知識を呼び起こして僕がイエスと供にいた年月について話しましょう。
僕の母は、20年前に僕たちの会話が始まったときからその転生について知っていました。彼女は僕がメッセージでそのことを話しますか訊ねたので、多分いつかと彼女に答えました。でも、使徒であったということは重要ではありません。大事なことは、彼女が僕とほかの存在たちから受け取る情報そのものを尊重することなのです。マシューブックと僕のメッセージの読者たちは情報の真実性を直感的に知る必要があります。人生でどのような状況にあっても“内なる声”を聴き、信頼し、従えるように導いて行くことが、僕たちの母と子の共同作業の主な目的のひとつです。
さて、多くの人々は聖書に書いてあることはすべて真実だと信じていますが、それはそれが神から啓示を受けた人たちによって書かれた“神の言葉”だと教えられてきたからです。そうではないのです。聖書にはたくさんの誤った箇所があり、それにはアラム語とギリシャ語の記録からの翻訳ミスがあります・・そのひとつが“飼い葉おけの赤ちゃん”です・・また翻訳した人たちが自分たちの信仰に合わせて変えてしまったこともあります。さらにその後同じような翻訳ミスが重なってそれを悪化しました。でも、本来の記録からのもっとも深刻な逸脱は、故意に騙そうという目的でなされた省略と加筆です。
旧約聖書の各部分は初期の教会と国家の指導者たちによるものです。当時人々はそれぞれ神とより近い関係をもっていました。支配と富を求める指導者たちの思惑に人々を順応させるためには、指導者たちは人々を神から遠ざける必要がありました。彼らは、人々にほかの者たちは敵だから行って殺せ、そして父親には神の命令に服従する証しに我が息子を殺せと言う怒りに満ちた恐ろしい神をつくりあげたのです。
その後数世紀の間に、カトリック教会の支配者たちは人民への支配を確立させ、さらに巨大な富を得るために宗教的規則をつくり上げ、それを“神の法”と呼びました。人々と神との距離をさらに遠ざけるために、彼らは何人もの聖者をその間に加えました。また彼ら自身を高位の位置に置くために、法王不可謬説をつくり上げ、独自の国家としてバチカンを創設しました。そしてマリアが懐妊したという処女懐胎説を考え出して、彼女をイエスの処女の母親に仕立て上げ、彼が“唯一の神の子”だと大衆に信じ込ませたのです。
イエスがどこから来たのか話しましょう。計りしれない幾世を経てイエスとして転生した魂は、大天使である最初の魂たちが生まれた創造主にもっとも近い宇宙領域であるキリスト領域から始まりました。その後ある時点で、大天使たちはつぎの天使界と最高神たちと女神たちを創造しました。これらの魂たちは創造主の純粋な愛と光のエネルギー体として留まるか・・多くの人々が神と呼ぶこの宇宙の至高存在はそれを選択しました・・あるいは肉体をもって転生する選択を与えられました。後者を選んだ魂たちのひとつがこの宇宙でサナンダとして知られている存在です。大宇宙コスモスのさまざまな文明社会に転生しているこの魂は、あなたたちがイエスとして知っている人の“親”であり、あるいはもっと正確には集合魂です。
聖書について話をつづけると、その最大の虚偽の情報の多くが4人の使徒に関わるものです。そしていつのまにか、僕たちは聖人の地位を与えられました。一部の学者たちは、ルカと僕が、マルコが彼の福音者に書いたことを写して僕たちのものに加えたと考えています。でも不思議に思うのは、どうして彼らはヨハネを除外したのでしょう・・僕たちの福音書に加えられたとんでもない嘘は彼のものにも入っているからです。一部の最新版の聖書は僕たちの聖人位のことが除外されています。けれども、私の母の持っている使い古した欽定訳聖書(キング・ジェームズ版)では、聖マタイ伝の福音書となっています。彼女は僕が頼むその箇所をコピーしてくれることになっています。
でも、僕がイエスとマリア・マグダレナ(訳注:マグダレナのマリア)のことを話す際にあなたたちが彼らを想像できるように、まずふたりのことから説明しましょう。イエスは社交的でマリアほど陽気ではありませんでしたが、いつでも気持ちのよい性格の人でした。彼は正に堂々とした体つきで・・大抵の男たちより背が高く、細身ですが筋肉たくましく真っすぐな姿勢をしていました。彼の白い肌は長年の太陽のもとで日焼けしていて、その灰色の眼は時折青の色彩を帯びていました。彼の髪は明るい茶色で、当時のスタイルのように長くしていましたが、あご髭と口髭は短く刈っていました。マリアは際立って美しく、明るく魅力的で優しい若い女性でした。その容姿は小柄で、白い肌と輝くような茶色の眼と流れるような茶色の髪をもっていました。
彼らは二人とも尊敬を集めた上流階級の家庭に生まれ、教養があり、当時としてはよい教育を受け、結婚するまでは何年間ももっとも親しい間柄でした。二人は大きく幸せな家庭をもち、そして長く充実した人生を送った後、肉体を離れてこの宇宙のほかの場所で神への奉仕の転生へと移行して行きました。でも、彼らの愛と光のエネルギーのパワーはほかのどの場所でも同じように、いつでも地球の魂たちと供にあります。
でも、まず僕自身のことから、それも聖マタイの福音書のずっと前のことから始めましょう。僕は若いときに、興味ある出会いを日誌に書くことを始めました。僕がイエスに会う前の記録もそうですが、その後のことも単に参考として、また老後に読む楽しみとしてだけのつもりでした。
僕の記録は、アブラハムからイエスの父親のジョセフまでの系列からは始まっていません。でも聖マタイはそうしているので、そのことを話しましょう。僕がイエスに出会ってから数ヶ月後、ある人からその家系図を見せられましたが、その人は誰かの記録からそれを写したのであって、その誰かも他の人のものを写したのであり、そのようにずっとつづくのです。僕はそのリストを日誌に書き込み、そこにその正確さは実証できないと聴いているというメモをつけました。当時の社会は読み書きがまだ一般的ではなかった時代であり、言い伝えや伝説が代々承け継げられていました。ですから、よく代々の語り部によって話が誇張されたり、細部が忘れられたりするのは当たり前だと思われていました。それでもそれが聖書の“歴史”になったのです。
つぎに聖マタイが登場します。“イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。彼の母マリアはヨセフと婚約していたが、彼らが一緒になる前に、精霊によって身重になった”・・“ヨセフは彼女が最初の男の子を産むまで彼女と関係することはなかった。そして彼はその子をイエスと名づけた。”
このどれも僕の記録にはありません。そうであるはずがないのです。僕がイエスに会ったのはその後何年も経ってからです。彼も彼の両親もそのようなことは何も僕に言いませんでした。それにもかかわらず、イエスの誕生についてのカトリック教会の説は僕が書いたことになったし、ほかの福音書でも同じように書いてあったのです。
さらに、僕の記録メモはすべてエマヌエルについてでした。その名前で誰でも彼を呼んでいたからです。それが聖書では彼の名前をイエスにするとどうして決めたのか知りません。そして、変ですし、あるいはミスなのですが、これもまたその章に入れられたのです。“・・・そして彼らは彼の名前をエマヌエルと呼ぶであろう。”あなたたちが彼をイエスだと知っているので、僕はいつでもその名前で呼んでいるのです。
それは本当に厳しい、残酷な時代でした。男の子どもや幼子たちを殺すことは実際あったことです・・でも、僕の日誌にはそれを書きませんでした・・イエスの家族のエジプトへの逃避と、安全になって彼らの故郷へ戻ったことも本当です。そのときの彼らが経験したことについて彼らが僕に話したことや、僕がイエスと彼の兄弟姉妹たちと彼らの両親と過ごしたたくさんの楽しい夕べの間に起きたほかのたくさんの家族の出来事について書き残しました。マリアもそこによくいて、会話が弾みました。僕たちはアラム語で話していましたが、時折ふさわしい表現がないとギリシャ語になっていました。いつも深刻なことばかり話していたわけではなく、笑いに溢れていました。イエスは誰の話にも熱心に耳を傾けていましたが、マリアがいろいろなことに興奮して喋っていると、彼がよく眼を丸くしていたのを僕は見ています。
小学生と学力のある生徒たちのパートタイムの教師だったので・・当時は個別指導教員という言葉がありませんでした・・税の徴収吏としてもっとも起こりうることは、男たちが机の上で忙しく金銭を集計している通りでイエスと出会うことでした。僕はたまたまその前の晩に出会った小さなグループの中にいる彼の顔を覚えていました。それで、彼に挨拶すると一緒に加わらないかと彼に誘われたので、僕はそうしました。僕たちは歩きながら話しました。僕たちの出会いの様子、それに加えて二人とも水上スポーツが好きで、共通の友人を持っていたこと、そして最近人々の前で話し始めたとイエスが語ったことについて書きました。それが、僕たちの友情が始まったという記録がある僕の日誌の箇所でした。そのことを僕は一人称で書きました・・僕自身の経験だったからです。
けれども、マタイ福音書によると、“さて、イエスはそこから進んで行かれると、そこにマタイという男が収税所に座っているのを見て、「私に従ってきなさい」と彼に言われた。するとその男は立ち上がってイエスに従った。”となっています。人々は、マタイが自分の人生を変えるような経験をそのように変に素っ気なく書くなどおかしいと思うだろうし、僕たちの出会いが、“僕”がそれより前に福音書で書いた“山上の垂訓”後にあったというのももっとおかしいと思うだろうことなど、明らかに僕の記録を改ざんした人間には思い至らなかったようです。でもそれは、僕がどうして弟子になった収税吏として思われているのかという説明になっています。
イエスは僕たちを使徒とは呼びませんでした。彼がその教えで知られるようになってから、サンヘドリン(訳注:ユダヤ教の最高法院)の一部の人たちが彼の話を聴く集会に参加した人々のことを“彼の使徒たち”と呼び始めたのです。聖書が定めている12人の使徒たちについては、イエスが僕たちにそれぞれ会ったのは彼がガラリア海の周りを旅したときで、そこで友情関係ができました。でも彼は僕たちのだれに対しても暮らしを捨てて彼に“従う”ように頼んだことはありませんでした。とても幸いなことに僕は彼のそばで暮らすことができたので、他の“使徒たち“よりもはるかに多く彼と供にいる喜びを持てました。
マタイ福音書によれば:“イエスはこの12人をつかわし、彼らに命じた・・病人を癒し、らい病人を浄め、死人を甦らせ、悪霊を追い払うように。”それによって、僕たちの誰も持っていなかった能力を、僕たちが持つようになったのです。でも僕たちはイエスの能力と彼がどのようにそれを得たかについては知っていました。ですから、僕が舟で一緒に出掛けたときに、“風と海でさえ彼に従う”と僕たちが“驚愕した”などと僕の日誌に書くはずがないし、実際そうしませんでした。
マタイ福音書では、イエスが“悪霊につかれた”二人の男と会った後、彼は悪霊を追い払い、彼らを豚の群れの中に入れた。すると群れは崖から海へなだれ打って駆け下り、水の中で死んでしまった。・・すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくれるように頼んだ。“イエスがその出来事を僕に詳しく話してくれたことによれば、その男たちのこころを苦しめていた存在を光に導いた後、彼と僕が会うまでは彼は独りでずっといました。そのようにその話を僕は書き留めました。
イエスが荒野に40日間過ごして、悪霊に惑わされることを拒んだいう福音書の話は、僕の日誌にある短いメモの手の込んだとんでもないつくり話です。イエスは自然と供に独りで時を過ごすことを好みました。そこで彼は神と語らい、気を散らすことなく物思いにふけることができたからです。彼のことをよく知っている人たちがしたように、僕もそれを尊重してなるべく離れているようにしていました。
“山上の垂訓”として知られるようになったのは、イエスが話し人々が質問し彼が答えるという多くあった小さな集会での僕のたくさんの記録メモを誰かが寄せ集めたものです・・初めの頃は聴衆との相互の交流がたくさんありました。でも彼の教えのことが広がり聴衆が増えてくると、人々は遮ることなくただ聴くようになり、彼が話した多くのことが“垂訓”になったのです。僕がそう呼んだわけではありません。イエスは説教師ではなく、自分の知識を分け与えることに情熱を注いだ教師でした。彼はそれをするために生まれてきたことを知っていました。それが彼とほかのすべての人たちとの大きな違いでした・・彼は意識レベルでつねに自分の魂とつながっていて、それにしたがって生きたのです。
垂訓には彼の叡智と気づきがたくさん残されています。そのことはもちろんうれしいのですが、僕の日誌に記録した彼の重要な教えの一部が抜けています。それは、いくつもの転生の目的、あらゆる魂たちは不可分であること、神は世界に存在するすべてであること・・人々、動物、植物、水、大気、土はすべて神の分身であり、神性なる存在です・・などです。イエスはその教えを何も記録しなかったので、僕がそれをしたことをとても喜んでいました。
けれども、僕の日誌の中で腐敗した指導者たちの支配を批判するようなことはすべてマタイ福音書から外されました。その福音書にあるほとんどのことは僕の記録からではなかったのです。だれでも“・・地獄の火に投げ込まれるだろう”とか、“・・離婚された女を娶る者は姦淫を行なうのである。”とイエスが言うのを僕が聞いたことは決してありませんでした。彼は神性な考えと行為が人生に恩恵をもたらし、それは“恥ずべき”行為によるものではないと言いました・・それは裁くことであり、彼が、“人を裁いてはいけない、自分が裁かれないためである。”と言っていたのと矛盾するからです。また罪が許されるということを彼が言ったのを聞いたことも決してありませんでした・・彼は、“罪”は価値観や行いの間違いだと言い、他人を許すことの大切さを聴衆に何度も言って聴かせました。“地上に平和をもたらすために私が来たと思ってはいけない。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのだ。”などと彼が言うはずがありません・・それは彼の教えのすべてと矛盾したからです。
“寓話”は、まるでイエスが怒って話していたように聞こえます・僕が何度も参加した大小の集会で彼が怒ったことは一度もありませんでした。寓話にあることとは異なって、彼は聴衆が理解するように率直、明確に話しました・・彼は気づきをもたらしたかったのであって、惑わそうとしたのではなかったのです。幸いなことに・・というか、むしろ彼の言おうとしたことに気づいていなかったからのようですが・・僕の記録を大幅に変えた人たちは、“あなたがたは世の光である”、“あなたがたの光を輝かさせなさい・・”とイエスが光について語ったほかの多くの部分を残したのです。
僕の記録とマタイ福音書との違いをすべて指摘するためには、その福音書全部を通して僕の注釈が必要になるでしょう。でも、最大の重要な加筆は、“最後の晩餐”とイエスの磔と復活です。稀にあったことですが、イエスと僕たち12人全員が同じ場所にいて素晴らしい祝いの晩餐をもったことがありましたが、そのひとつについての僕の記録からその夕食のことが来た可能性があります。それは彼とマリアが結婚した後のことで、彼女もそこにいました。でもそれは磔が起きたとされている時よりも何ヶ月も前のことでした。イエスは“聖体拝領”と知られるようになった儀式を行ったことはないし、“とくにあなたがたに言っておくが、あなたがたの一人が私を裏切るだろう”と言ったこともありません。それ以降のマタイ福音書にあることもすべて作り話です。
数ヶ月後、僕が寺院の近くで小耳にした二人の男たちの話を書き留めました。それはサンヘドリンが、イエスを磔にすると彼を殉教者にしてしまい、彼の教えに弾みを与えるようなものだから、彼にむち打ちの刑を与えて国から追放することにしたというものでした・・そうすれば人々の目には彼が信用を失ったと見えるだろうし、やがて彼のことなど忘れてしまうだろうと考えたのです。
僕がこのことをイエスに話すと、彼はむち打たれて追放されるのは避けられないだろうと言いました・・僕の日誌にも書いたのですが、彼はそうなることが重要だと感じている様子でしたと。実際にそうなり、その後まもなく彼とマリア・マグダレナは東方に向けて去って行きました。そこでは彼らが喜んで迎えられることを彼は知っていたのです。僕たちの最初の頃の会話で何度か彼はそこで過ごした若い頃のことを僕に話してくれました。そこで彼は聖書にある“奇跡”を起こす方法をマスターたちから学んだのです。でもイエスが大勢の人々に言ったように、彼の出来ることはすべて彼らも出来ることだったのです。
何年にもわたって僕たちは時折手紙で連絡を取り合っていました。僕は手紙が来るたびにそれを日誌に書き留めました・・それらがそれまでに何十にもなっていました。新しい生徒たちを捜すために、僕はときどき引っ越ししなければならなかったのですが、そのお陰で、僕がイエスを知っていることを聞いて、彼の教えを聴きたいという人たちに会う機会がとても増えました。時折、僕はルカと会いましたが、彼はたまに“使徒たち”のだれかの消息を知っていました。でも僕たちの共通のつながりはイエスだったので、彼が去った後は僕たちがそれぞれ別の道を歩みつづけるのは自然なことでした。
年老いた僕が死んだ後、宿屋の主人が僕の日誌の入っているタンスを売ってしまいました。それは最後には政府のだれかの手に入り、焼却される前に、マタイ伝福音書となったのです。
僕があなたたちに言ったことで、イエスのパワーや彼の正確な教えがわずかでも損なわれることはまったくありません。彼の人生の真実は・・妻と子供たちがいたこと、そして彼が普通の人々のように願望、理想、希望、友人、反対者、失望、こころの痛み、喜びをもっていたこと・・彼が“唯一の神の子”だという宗教的欺瞞にくらべれば、はるかに彼の教えをそのままに表わしています。
また、僕の言うことが何であれ、聖書は神の言葉だと信じている人々は善良さに欠けると言う意味ではありません・・その人たちがただ誤った情報を受けているだけのことです。あらゆる魂には真理の光の中へ向かうそれぞれ自身の旅があり、そこにタイムリミット(期限)はありません・・魂の一生は永遠です。あなたたちのこころから愛する人たちがあなたたちと同じ道程にいなかったとしても、自信をもって自分自身の道を進んでください。そしてその人たちが自分の道を選ぶ神性な権利を尊重してください。
では、愛する地球のファミリー。この宇宙領域にいる僕たちすべてに代わって話します。どの瞬間でも、僕たちのこころはいつも無条件の愛であなたたちと一緒にいます。
______________________
愛と平和を
スザンヌ・ワード著
原文: Matthew's Messages
訳文責: 森田 玄
(転載自由: 原典を明記して頂けるとうれしいです。)
ですから、今回のメッセージを読んだとき、”ああ、このことだったんだ”とすぐ思いました。
イエス・キリストや聖書をそれほど身近な存在として育っていない私にとって、このメッセージがどれほどそれを深く信じている人たちにインパクトを与えるのか、正直想像もできませんが、少なくてもイエス・キリストを身近に知っていたという人物がこのように”発言”したということ自体は前代未聞のことでしょう。
また、マシュー君が自分自身の過去の転生をこれほど劇的に生々しく描写したことで、彼の存在が私にはさらに身近なものに感じられるようになりました。もちろん、イエス・キリストの友人だったということもありますが、それはイエスという人にも言えます。
聖書に出てくる12人の使徒たちの名称ですが、日本では原語とされるギリシャ語やラテン語を基にした表記を用いるので、マシューはマタイになります。新約聖書にある福音書を書いたとされる4人の使徒たちは、したがって英語名が日本では以下のようになっています。ルークがルカ、アバラハムがヨハネ、マークがマルコです。
レオナルド・ダヴィンチが描いた「最後の晩餐」に使徒たちとマグダレナのマリアが描かれています。
中央のイエスの隣にいるのがマリアだとされています。使徒マタイは向かって右から3人目です。 |
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2014年1月5日
マシューです。この宇宙領域にいるすべての魂たちからこころからのご挨拶をします。12月の冬至とともに、また強力な光が注ぎ込んで来ました。それはまるで終わろうとする年に敬意を表し、新しい年を歓声で迎えるかのようです。実際、敬意ということであれば、どんなにそれにふさわしいことでしょう。あなたたちが魂レベルからの気づきに従って行動したとき・・あなたたちにはほんの優しい行為や“やるべきこと”に過ぎない思えたことですが・・それらはいつでも世界に光を加えたことになるのです。
たくさんの方法であなたたちの社会が莫大な光を創造していますが、そのいくつかについて僕たちが話したメッセージをきっとあなたたちは読み直してみたいと思うでしょう。あなたたちの世界をより良くするためのたくさんの貢献に対して感謝することも、それ自身の光をさらに大量に送り出すことになります。(これは2013年8月15日のメッセージです。)
ええ、まだやらなければならないたくさんのことがありますが、それらはやがて実行されるでしょう。エネルギーの勢いがあらゆる思考と感情のパワーを増大しつづけているので、ネガティブな状況ばかりを考えて気が重くならないようにという僕たちのガイダンスをここでもう一度繰り返します。その代わりに、地球を白金色の光の中にイメージしてください。そうしてそのイメージとより良い変化を願うこころが宇宙に届き、さらに多くの光をもって戻るようにするのです。一部のこころを閉ざした人たちは現状を維持しようとしていますが、平和と協力とあらゆる人々への豊かさに向かう変化の流れは確実に進んでいます。彼らがより多くの光を受け入れれば、それらが現実になるのがそれだけ早くなるでしょう。
インターネット上にある記事やチャネリング情報を含めて、あらゆる情報はつねにしっかりと見極めてください。ほとんどの主要メディアはいまでもネガティブな出来事やスキャンダル記事ばかりを中心にしていて、コントロールされていますが、草の根から始まった親切さや資源を分かち合うことや成功した試みなどの話が、より多く特集されてきているのはとてもうれしいです。
記者たちも大部分の人々と同じで、北朝鮮が核兵器を発射させて広大な地域を壊滅させるとか、福島からの放射能で最後には何百万の人々が死ぬかもしれないといった、話題になっている起こりうる出来事を僕たちの宇宙ファミリーが防止することなど思いも寄りません。海洋が温暖化であらゆる海洋生物が死に、沿岸線が何百マイルも内陸に移動することなどガイアは望んでいないので、そんなことにはならないことなど彼らは知りません。地球住人のほとんどは、広がっている波動エネルギーが各国の指導者たちに争いではなく対話をするように促していること、経済と外交に関する交渉が水面下でいま進行中であること、あるいは何百万の魂たちがほかの転生とのバランスと進化のために選んだ経験を現在していることなど知りません。
愛するファミリーのあなたたちはそれを知っているのです。ですから、高いポジティブな気持ちでこの新しい1年を前進し世界に光を広めてください。あなたたち自身があなたたちの望む変化なのです。
では、これからはマシューだけとして話します。12月のメッセージへのある質問をここにコピーするように僕の母に頼んであります。
“あなたのメッセージは素晴らしいでしたが、イエスの誕生がこの神聖なる季節の大事な理由であることが抜けていました。私は偏見のない直感力のある人間だと思いますが、イエスが磔にはならなかったとあなたが言ったことについてはまったく信じられません。あなたのような高い進化の存在がそのような重要なことを知らないなどということがあっていいのでしょうか?”
これを書いてきた人は、聖書の磔の話を信じているたくさんの人々のひとりです。あなたたちが魂レベルで知っている真理を意識レベルで知ることは、進化の非常に大事なところです。また誤った知識に基づく信念に固執することは進化における成長を阻害します。だからこそ、聖書が真実から劇的に異なっていることを僕がどのように知っているのか、あなたたちに言うことが役に立つと思うのです。神が、“そうだね。もういいだろう。”と言ってくれたので話すことにします。
僕は使徒マタイとして・・それが今日では地球での僕の転生の中でもっともよく知られています・・そして、大天使ミカエルの強力なエネルギーがこの宇宙でその最初のパーソネージとして顕現したときに始まったほかの何千という転生として個人的に知っていることを基にいつでも話しています。僕のあらゆるパーソネージたちの集合的な知識によって、使徒マタイとして知られるようになった転生の間には意識レベルで知りようがなかったことについて、僕は話すことができるのです。その知識を呼び起こして僕がイエスと供にいた年月について話しましょう。
僕の母は、20年前に僕たちの会話が始まったときからその転生について知っていました。彼女は僕がメッセージでそのことを話しますか訊ねたので、多分いつかと彼女に答えました。でも、使徒であったということは重要ではありません。大事なことは、彼女が僕とほかの存在たちから受け取る情報そのものを尊重することなのです。マシューブックと僕のメッセージの読者たちは情報の真実性を直感的に知る必要があります。人生でどのような状況にあっても“内なる声”を聴き、信頼し、従えるように導いて行くことが、僕たちの母と子の共同作業の主な目的のひとつです。
さて、多くの人々は聖書に書いてあることはすべて真実だと信じていますが、それはそれが神から啓示を受けた人たちによって書かれた“神の言葉”だと教えられてきたからです。そうではないのです。聖書にはたくさんの誤った箇所があり、それにはアラム語とギリシャ語の記録からの翻訳ミスがあります・・そのひとつが“飼い葉おけの赤ちゃん”です・・また翻訳した人たちが自分たちの信仰に合わせて変えてしまったこともあります。さらにその後同じような翻訳ミスが重なってそれを悪化しました。でも、本来の記録からのもっとも深刻な逸脱は、故意に騙そうという目的でなされた省略と加筆です。
旧約聖書の各部分は初期の教会と国家の指導者たちによるものです。当時人々はそれぞれ神とより近い関係をもっていました。支配と富を求める指導者たちの思惑に人々を順応させるためには、指導者たちは人々を神から遠ざける必要がありました。彼らは、人々にほかの者たちは敵だから行って殺せ、そして父親には神の命令に服従する証しに我が息子を殺せと言う怒りに満ちた恐ろしい神をつくりあげたのです。
その後数世紀の間に、カトリック教会の支配者たちは人民への支配を確立させ、さらに巨大な富を得るために宗教的規則をつくり上げ、それを“神の法”と呼びました。人々と神との距離をさらに遠ざけるために、彼らは何人もの聖者をその間に加えました。また彼ら自身を高位の位置に置くために、法王不可謬説をつくり上げ、独自の国家としてバチカンを創設しました。そしてマリアが懐妊したという処女懐胎説を考え出して、彼女をイエスの処女の母親に仕立て上げ、彼が“唯一の神の子”だと大衆に信じ込ませたのです。
イエスがどこから来たのか話しましょう。計りしれない幾世を経てイエスとして転生した魂は、大天使である最初の魂たちが生まれた創造主にもっとも近い宇宙領域であるキリスト領域から始まりました。その後ある時点で、大天使たちはつぎの天使界と最高神たちと女神たちを創造しました。これらの魂たちは創造主の純粋な愛と光のエネルギー体として留まるか・・多くの人々が神と呼ぶこの宇宙の至高存在はそれを選択しました・・あるいは肉体をもって転生する選択を与えられました。後者を選んだ魂たちのひとつがこの宇宙でサナンダとして知られている存在です。大宇宙コスモスのさまざまな文明社会に転生しているこの魂は、あなたたちがイエスとして知っている人の“親”であり、あるいはもっと正確には集合魂です。
聖書について話をつづけると、その最大の虚偽の情報の多くが4人の使徒に関わるものです。そしていつのまにか、僕たちは聖人の地位を与えられました。一部の学者たちは、ルカと僕が、マルコが彼の福音者に書いたことを写して僕たちのものに加えたと考えています。でも不思議に思うのは、どうして彼らはヨハネを除外したのでしょう・・僕たちの福音書に加えられたとんでもない嘘は彼のものにも入っているからです。一部の最新版の聖書は僕たちの聖人位のことが除外されています。けれども、私の母の持っている使い古した欽定訳聖書(キング・ジェームズ版)では、聖マタイ伝の福音書となっています。彼女は僕が頼むその箇所をコピーしてくれることになっています。
でも、僕がイエスとマリア・マグダレナ(訳注:マグダレナのマリア)のことを話す際にあなたたちが彼らを想像できるように、まずふたりのことから説明しましょう。イエスは社交的でマリアほど陽気ではありませんでしたが、いつでも気持ちのよい性格の人でした。彼は正に堂々とした体つきで・・大抵の男たちより背が高く、細身ですが筋肉たくましく真っすぐな姿勢をしていました。彼の白い肌は長年の太陽のもとで日焼けしていて、その灰色の眼は時折青の色彩を帯びていました。彼の髪は明るい茶色で、当時のスタイルのように長くしていましたが、あご髭と口髭は短く刈っていました。マリアは際立って美しく、明るく魅力的で優しい若い女性でした。その容姿は小柄で、白い肌と輝くような茶色の眼と流れるような茶色の髪をもっていました。
彼らは二人とも尊敬を集めた上流階級の家庭に生まれ、教養があり、当時としてはよい教育を受け、結婚するまでは何年間ももっとも親しい間柄でした。二人は大きく幸せな家庭をもち、そして長く充実した人生を送った後、肉体を離れてこの宇宙のほかの場所で神への奉仕の転生へと移行して行きました。でも、彼らの愛と光のエネルギーのパワーはほかのどの場所でも同じように、いつでも地球の魂たちと供にあります。
でも、まず僕自身のことから、それも聖マタイの福音書のずっと前のことから始めましょう。僕は若いときに、興味ある出会いを日誌に書くことを始めました。僕がイエスに会う前の記録もそうですが、その後のことも単に参考として、また老後に読む楽しみとしてだけのつもりでした。
僕の記録は、アブラハムからイエスの父親のジョセフまでの系列からは始まっていません。でも聖マタイはそうしているので、そのことを話しましょう。僕がイエスに出会ってから数ヶ月後、ある人からその家系図を見せられましたが、その人は誰かの記録からそれを写したのであって、その誰かも他の人のものを写したのであり、そのようにずっとつづくのです。僕はそのリストを日誌に書き込み、そこにその正確さは実証できないと聴いているというメモをつけました。当時の社会は読み書きがまだ一般的ではなかった時代であり、言い伝えや伝説が代々承け継げられていました。ですから、よく代々の語り部によって話が誇張されたり、細部が忘れられたりするのは当たり前だと思われていました。それでもそれが聖書の“歴史”になったのです。
つぎに聖マタイが登場します。“イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。彼の母マリアはヨセフと婚約していたが、彼らが一緒になる前に、精霊によって身重になった”・・“ヨセフは彼女が最初の男の子を産むまで彼女と関係することはなかった。そして彼はその子をイエスと名づけた。”
このどれも僕の記録にはありません。そうであるはずがないのです。僕がイエスに会ったのはその後何年も経ってからです。彼も彼の両親もそのようなことは何も僕に言いませんでした。それにもかかわらず、イエスの誕生についてのカトリック教会の説は僕が書いたことになったし、ほかの福音書でも同じように書いてあったのです。
さらに、僕の記録メモはすべてエマヌエルについてでした。その名前で誰でも彼を呼んでいたからです。それが聖書では彼の名前をイエスにするとどうして決めたのか知りません。そして、変ですし、あるいはミスなのですが、これもまたその章に入れられたのです。“・・・そして彼らは彼の名前をエマヌエルと呼ぶであろう。”あなたたちが彼をイエスだと知っているので、僕はいつでもその名前で呼んでいるのです。
それは本当に厳しい、残酷な時代でした。男の子どもや幼子たちを殺すことは実際あったことです・・でも、僕の日誌にはそれを書きませんでした・・イエスの家族のエジプトへの逃避と、安全になって彼らの故郷へ戻ったことも本当です。そのときの彼らが経験したことについて彼らが僕に話したことや、僕がイエスと彼の兄弟姉妹たちと彼らの両親と過ごしたたくさんの楽しい夕べの間に起きたほかのたくさんの家族の出来事について書き残しました。マリアもそこによくいて、会話が弾みました。僕たちはアラム語で話していましたが、時折ふさわしい表現がないとギリシャ語になっていました。いつも深刻なことばかり話していたわけではなく、笑いに溢れていました。イエスは誰の話にも熱心に耳を傾けていましたが、マリアがいろいろなことに興奮して喋っていると、彼がよく眼を丸くしていたのを僕は見ています。
小学生と学力のある生徒たちのパートタイムの教師だったので・・当時は個別指導教員という言葉がありませんでした・・税の徴収吏としてもっとも起こりうることは、男たちが机の上で忙しく金銭を集計している通りでイエスと出会うことでした。僕はたまたまその前の晩に出会った小さなグループの中にいる彼の顔を覚えていました。それで、彼に挨拶すると一緒に加わらないかと彼に誘われたので、僕はそうしました。僕たちは歩きながら話しました。僕たちの出会いの様子、それに加えて二人とも水上スポーツが好きで、共通の友人を持っていたこと、そして最近人々の前で話し始めたとイエスが語ったことについて書きました。それが、僕たちの友情が始まったという記録がある僕の日誌の箇所でした。そのことを僕は一人称で書きました・・僕自身の経験だったからです。
けれども、マタイ福音書によると、“さて、イエスはそこから進んで行かれると、そこにマタイという男が収税所に座っているのを見て、「私に従ってきなさい」と彼に言われた。するとその男は立ち上がってイエスに従った。”となっています。人々は、マタイが自分の人生を変えるような経験をそのように変に素っ気なく書くなどおかしいと思うだろうし、僕たちの出会いが、“僕”がそれより前に福音書で書いた“山上の垂訓”後にあったというのももっとおかしいと思うだろうことなど、明らかに僕の記録を改ざんした人間には思い至らなかったようです。でもそれは、僕がどうして弟子になった収税吏として思われているのかという説明になっています。
イエスは僕たちを使徒とは呼びませんでした。彼がその教えで知られるようになってから、サンヘドリン(訳注:ユダヤ教の最高法院)の一部の人たちが彼の話を聴く集会に参加した人々のことを“彼の使徒たち”と呼び始めたのです。聖書が定めている12人の使徒たちについては、イエスが僕たちにそれぞれ会ったのは彼がガラリア海の周りを旅したときで、そこで友情関係ができました。でも彼は僕たちのだれに対しても暮らしを捨てて彼に“従う”ように頼んだことはありませんでした。とても幸いなことに僕は彼のそばで暮らすことができたので、他の“使徒たち“よりもはるかに多く彼と供にいる喜びを持てました。
マタイ福音書によれば:“イエスはこの12人をつかわし、彼らに命じた・・病人を癒し、らい病人を浄め、死人を甦らせ、悪霊を追い払うように。”それによって、僕たちの誰も持っていなかった能力を、僕たちが持つようになったのです。でも僕たちはイエスの能力と彼がどのようにそれを得たかについては知っていました。ですから、僕が舟で一緒に出掛けたときに、“風と海でさえ彼に従う”と僕たちが“驚愕した”などと僕の日誌に書くはずがないし、実際そうしませんでした。
マタイ福音書では、イエスが“悪霊につかれた”二人の男と会った後、彼は悪霊を追い払い、彼らを豚の群れの中に入れた。すると群れは崖から海へなだれ打って駆け下り、水の中で死んでしまった。・・すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくれるように頼んだ。“イエスがその出来事を僕に詳しく話してくれたことによれば、その男たちのこころを苦しめていた存在を光に導いた後、彼と僕が会うまでは彼は独りでずっといました。そのようにその話を僕は書き留めました。
イエスが荒野に40日間過ごして、悪霊に惑わされることを拒んだいう福音書の話は、僕の日誌にある短いメモの手の込んだとんでもないつくり話です。イエスは自然と供に独りで時を過ごすことを好みました。そこで彼は神と語らい、気を散らすことなく物思いにふけることができたからです。彼のことをよく知っている人たちがしたように、僕もそれを尊重してなるべく離れているようにしていました。
“山上の垂訓”として知られるようになったのは、イエスが話し人々が質問し彼が答えるという多くあった小さな集会での僕のたくさんの記録メモを誰かが寄せ集めたものです・・初めの頃は聴衆との相互の交流がたくさんありました。でも彼の教えのことが広がり聴衆が増えてくると、人々は遮ることなくただ聴くようになり、彼が話した多くのことが“垂訓”になったのです。僕がそう呼んだわけではありません。イエスは説教師ではなく、自分の知識を分け与えることに情熱を注いだ教師でした。彼はそれをするために生まれてきたことを知っていました。それが彼とほかのすべての人たちとの大きな違いでした・・彼は意識レベルでつねに自分の魂とつながっていて、それにしたがって生きたのです。
垂訓には彼の叡智と気づきがたくさん残されています。そのことはもちろんうれしいのですが、僕の日誌に記録した彼の重要な教えの一部が抜けています。それは、いくつもの転生の目的、あらゆる魂たちは不可分であること、神は世界に存在するすべてであること・・人々、動物、植物、水、大気、土はすべて神の分身であり、神性なる存在です・・などです。イエスはその教えを何も記録しなかったので、僕がそれをしたことをとても喜んでいました。
けれども、僕の日誌の中で腐敗した指導者たちの支配を批判するようなことはすべてマタイ福音書から外されました。その福音書にあるほとんどのことは僕の記録からではなかったのです。だれでも“・・地獄の火に投げ込まれるだろう”とか、“・・離婚された女を娶る者は姦淫を行なうのである。”とイエスが言うのを僕が聞いたことは決してありませんでした。彼は神性な考えと行為が人生に恩恵をもたらし、それは“恥ずべき”行為によるものではないと言いました・・それは裁くことであり、彼が、“人を裁いてはいけない、自分が裁かれないためである。”と言っていたのと矛盾するからです。また罪が許されるということを彼が言ったのを聞いたことも決してありませんでした・・彼は、“罪”は価値観や行いの間違いだと言い、他人を許すことの大切さを聴衆に何度も言って聴かせました。“地上に平和をもたらすために私が来たと思ってはいけない。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのだ。”などと彼が言うはずがありません・・それは彼の教えのすべてと矛盾したからです。
“寓話”は、まるでイエスが怒って話していたように聞こえます・僕が何度も参加した大小の集会で彼が怒ったことは一度もありませんでした。寓話にあることとは異なって、彼は聴衆が理解するように率直、明確に話しました・・彼は気づきをもたらしたかったのであって、惑わそうとしたのではなかったのです。幸いなことに・・というか、むしろ彼の言おうとしたことに気づいていなかったからのようですが・・僕の記録を大幅に変えた人たちは、“あなたがたは世の光である”、“あなたがたの光を輝かさせなさい・・”とイエスが光について語ったほかの多くの部分を残したのです。
僕の記録とマタイ福音書との違いをすべて指摘するためには、その福音書全部を通して僕の注釈が必要になるでしょう。でも、最大の重要な加筆は、“最後の晩餐”とイエスの磔と復活です。稀にあったことですが、イエスと僕たち12人全員が同じ場所にいて素晴らしい祝いの晩餐をもったことがありましたが、そのひとつについての僕の記録からその夕食のことが来た可能性があります。それは彼とマリアが結婚した後のことで、彼女もそこにいました。でもそれは磔が起きたとされている時よりも何ヶ月も前のことでした。イエスは“聖体拝領”と知られるようになった儀式を行ったことはないし、“とくにあなたがたに言っておくが、あなたがたの一人が私を裏切るだろう”と言ったこともありません。それ以降のマタイ福音書にあることもすべて作り話です。
数ヶ月後、僕が寺院の近くで小耳にした二人の男たちの話を書き留めました。それはサンヘドリンが、イエスを磔にすると彼を殉教者にしてしまい、彼の教えに弾みを与えるようなものだから、彼にむち打ちの刑を与えて国から追放することにしたというものでした・・そうすれば人々の目には彼が信用を失ったと見えるだろうし、やがて彼のことなど忘れてしまうだろうと考えたのです。
僕がこのことをイエスに話すと、彼はむち打たれて追放されるのは避けられないだろうと言いました・・僕の日誌にも書いたのですが、彼はそうなることが重要だと感じている様子でしたと。実際にそうなり、その後まもなく彼とマリア・マグダレナは東方に向けて去って行きました。そこでは彼らが喜んで迎えられることを彼は知っていたのです。僕たちの最初の頃の会話で何度か彼はそこで過ごした若い頃のことを僕に話してくれました。そこで彼は聖書にある“奇跡”を起こす方法をマスターたちから学んだのです。でもイエスが大勢の人々に言ったように、彼の出来ることはすべて彼らも出来ることだったのです。
何年にもわたって僕たちは時折手紙で連絡を取り合っていました。僕は手紙が来るたびにそれを日誌に書き留めました・・それらがそれまでに何十にもなっていました。新しい生徒たちを捜すために、僕はときどき引っ越ししなければならなかったのですが、そのお陰で、僕がイエスを知っていることを聞いて、彼の教えを聴きたいという人たちに会う機会がとても増えました。時折、僕はルカと会いましたが、彼はたまに“使徒たち”のだれかの消息を知っていました。でも僕たちの共通のつながりはイエスだったので、彼が去った後は僕たちがそれぞれ別の道を歩みつづけるのは自然なことでした。
年老いた僕が死んだ後、宿屋の主人が僕の日誌の入っているタンスを売ってしまいました。それは最後には政府のだれかの手に入り、焼却される前に、マタイ伝福音書となったのです。
僕があなたたちに言ったことで、イエスのパワーや彼の正確な教えがわずかでも損なわれることはまったくありません。彼の人生の真実は・・妻と子供たちがいたこと、そして彼が普通の人々のように願望、理想、希望、友人、反対者、失望、こころの痛み、喜びをもっていたこと・・彼が“唯一の神の子”だという宗教的欺瞞にくらべれば、はるかに彼の教えをそのままに表わしています。
また、僕の言うことが何であれ、聖書は神の言葉だと信じている人々は善良さに欠けると言う意味ではありません・・その人たちがただ誤った情報を受けているだけのことです。あらゆる魂には真理の光の中へ向かうそれぞれ自身の旅があり、そこにタイムリミット(期限)はありません・・魂の一生は永遠です。あなたたちのこころから愛する人たちがあなたたちと同じ道程にいなかったとしても、自信をもって自分自身の道を進んでください。そしてその人たちが自分の道を選ぶ神性な権利を尊重してください。
では、愛する地球のファミリー。この宇宙領域にいる僕たちすべてに代わって話します。どの瞬間でも、僕たちのこころはいつも無条件の愛であなたたちと一緒にいます。
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愛と平和を
スザンヌ・ワード著
原文: Matthew's Messages
訳文責: 森田 玄
(転載自由: 原典を明記して頂けるとうれしいです。)
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