水曜日, 10月 26, 2005

10月26日

ゆみが17日からロンドンでの平和省会議に出席するためいなくなるので、雨が一段落した13〜14日に稲刈りを済ませました。やはり、イノシシが相当踏みつぶしていて、まずその稲を泥ごと洗いながら刈るという実に手間のかかる作業から始めました。足元はぐちゃぐちゃで時々長靴がハマって身動きできないという場面もありました。土砂崩れした部分を横に眺めながら、ここが出来たらたぶん相当収量があっただろうなあ、とため息もついて。なんとか稲刈りを終え、ゆみがロンドンに飛び立った翌日からまたまた大雨。さらに土砂が流れ、間一髪セーフという感じです。そして、久しぶりの快晴が二日続いて昨日(25日)、アコちゃんが手伝いに来てくれて3人で脱穀を無事に終了。なんと3俵も穫れました。さっそく籾すりした新米をその晩食べました。その美味しいこと!米作りは4月早々の種の芽だしから始まって、苗床つくり、苗とり、田植え、草取り、稲刈りと、7ヶ月にわたる大仕事です。それだけに、ほかの野菜つくりなどとは格別ちがう感慨があります。

月曜日, 10月 10, 2005

10月10日

10月10日

ショックなことが2件ありました。ひとつは、分封(巣分かれ)したミツバチを1週間も巣箱に囲って、さてそろそろいいだろうと思って巣箱の入り口を開けたら、あっという間の逃げられたこと。がっかり。それにしても何が気に入らなかったのでしょう。これで3回目の失敗。この巣箱が嫌なのかしら。2万円の大枚をはたいて買ったのに。もうひとつのショックは畑です。家の畑は元々田んぼだったところを数年掛けてやっとなんとかまともな作物が穫れるようになったところです。その一段上のところに大家さんが昔から耕していた200坪ほどの畑が隣接しています。大家さんはこの2〜3年、ここを使うことを止めてしまい、いつも草ぼうぼうの状態で、私が時折草刈りをしていました。なにしろ、元田んぼの今の畑とは違って土がさらさらで水はけもよく、日当りも一番いいところです。以前から、ここを使えたらさぞいいだろうなあ、と思っていました。今年も相変わらず草ぼうぼうなので、先日大家さんに訊いたら、もうしばらく使うことはないから自由に使ってくださいと言われ、ヤッターと喜んで、すぐコマメ耕耘機で耕しました。案の定、始めて耕す土はさらさらとしていて、下の粘度質の畑とは大違い、機械も簡単に進んで行きます。隣で鶏を飼っている田畑さんから鶏糞をもらってきて混ぜ込みます。と、ここまではよかったのですが。それから急に頭痛が始まり、からだが痺れるようでだるくなってきました。典型的な急性農薬中毒症状です。この畑に長年多量に使用され土中にとじ込まれていた農薬が、一気に外に出てきたためでしょう。それをまともに吸ってしまったわけです。おかげで2〜3日はからだと頭が動かず何も出来ない状態でした。いや、本当に怖いです。さっそく農薬を中和させるROXミネラル液を大量に頼んだので、それを撒けばだいぶ収まるはずです。それにこのところいい雨が続いてたぶん農薬が薄まっているはずです。それにしても、これからどうするか、まだ決めかねています。

水曜日, 10月 05, 2005

10月5日

先週末はひさしぶりに家族で京都に行ってきました。憲法9条・メッセージ・プロジェクト主催の「なんで?なんで?の市民のつどい」に参加するついでに、ちょっと京都見物も兼ねたわけです。この会のオーガナイザーであるジャーナリストの柴野徹夫さんにすっかりお世話になり、普段観光客が行かないような、そして、京都育ちの柴野さんが子どもの頃遊んだという、いわゆる通の場所を案内してくれました。最初に訪れたのは、詩仙堂(丈山寺)。煎茶の開祖といわれ、寛永年間の京の文人と知られる石川丈山が59歳のときに造営した庵です。決して豪華ではない、どちらかというと清貧という言葉が近い門や建物に入って、庭園を眺めるとそこに絵のような景観が現れました。すべての樹木や庵や池などが、考え抜かれたデザインで配置されて、なんともいえないダイナミックな美を構成していました。樹木は楓が重なるように植えられて、驚いたのは樹齢百年以上とも思える巨大な幹の楓があたりを覆うように庭の中央にあったことです。11月が紅葉の絶頂だそうですが、すでにいくらか赤く染まって、さぞかしそのころの景観は息をのむようだろうなと思わされました。つぎに訪れたのは、当時丈山と諸文芸を競い合っていたという本阿弥光悦が造った光悦寺。当時生粋の工芸職人を集めていわゆる芸術村を造ったとされているところです。一見、普通の住宅街と思われる一角に、普通なら何気なく通り過ぎてしむようなさりげない門があって、そこに一歩足を踏み入れると別世界が広がります。楓の並木が連なる石畳を行くと、眼前に北山杉のまるい山を背景に、静寂な美の世界がありました。詩仙堂とは趣を異とするもっと自然的な造園芸の極致。柴野さんは、対極的な江戸時代初期の文人の作品を私たちに見てもらいたかったようです。