金曜日, 12月 30, 2005

12月30日

Mochi Tsuki JPG

今日は我が家恒例のもちつきでした。心配していた天気もまずまずの好天にめぐまれ、幸い寒さも緩んで(もっとも都会からの参加者は震えてましたが)なによりのもちつき日になりました。いつものように綿作りの田畑さん宅から臼を運び、滋賀県彦根の草野武さんから送ってもらった無農薬玄米もち米10キロをつぎつぎと庭で蒸し上げて、みんなで搗きました。そうですね、全部で8臼くらいでしたか。それをまずおろしもち、安倍川、お雑煮、いそべまき、お汁粉で全員で満喫。そして伸し餅、これは田畑さんから伝授されたビニール袋に入れて伸す方法が我家では定着しています。これだとまずもち粉がいりません。空気を遮断するのでカビない、という利点があります。

Mochi Tsuki JPG


もちつきをするとやっと今年も終わりという雰囲気になり、いよいよ正月を迎える気分になります。こうやって今年1年、家族ともども健康で、大した事故も無く過ごせたことに感謝です。みなさんありがとうございました。

ところで、せっかくの年越し気分に入ろうとしていたら、今夜非常に嫌なニュースが入ってきました。それも我が母校、早稲田大学でのことです。文学部校内でビラを配ろうとしていた学生が、不法住居侵入の疑いで警察に逮捕され、いまだに勾留されているというのです。先日、自衛隊官舎内で同じような事件が起こっていますが、まさか、自由と自立を標榜する早稲田で学生が逮捕されるとは!時代が変わったということでしょうか。ここまで世の中がファッショ的になったかと思わずうなってしまいました。思い起こせば、私が早稲田に入学した途端、学生運動の最大拠点であった早稲田が全国に先駆けて校内封鎖を強行したのです。とにかく学校に行くとあちこちでスピーカーが大きな声で演説をしており、授業が始まったかとおもったら突然生徒が壇上に駆け上がって先生を制止して、これからクラス討論会をすると宣言する、というような毎日でした。学生がビラを撒いて校内で逮捕されるなど、当時の学生たちが聞いたら信じられないでしょう。

また、これはアメリカからの情報ですが、今日のデモクラシーナウで、アメリカの大企業が違法行為をしても政府(法務省)と裏取引で起訴を免れていることを伝えていました。たとえば、軍需企業としても有名な農薬会社モンサントが、インドネシア政府に賄賂を渡して遺伝子組み替え作物を輸入できるようにしたことがアメリカ政府に明らかになったにもかかわらず、起訴されませんでした。もちろんこの行為は違法です。これはほんの氷山の一角で、おなじような例が34社もあるそうです。

倫理という観念がここまで社会のあらゆるレベルで無視されている現状をどう見るべきでしょうか。これは人類の劣化といえるのでしょうか。何かが、劇的に変化しているのでしょうか。

水曜日, 12月 28, 2005

12月28日

今日の読売新聞を読んでいたら、郵政衆議院解散劇のコラムにブッシュ大統領がしばしば小泉首相に電話をかけてきて意見を聞くことがあると書いてありました。何を考えているのかさっぱり分からない無能総理と呼ばれる小泉に相談するくらいなのですからブッシュも相当誰からもあてにされなくなっているのでしょうか。道理で、日本がますますファシズム政治に傾いていく理由がわかります。アメリカでは、ブッシュ政権が違法に(裁判所の許可なく)アメリカ市民を盗聴していることをNYタイムズが報道して大騒ぎになっています。いきり立った民主党議員の中にはブッシュ大統領を弾劾すべきだと発言する者も出てきました。当のブッシュ大統領は、対テロ戦争で全権を委任された以上、超法規的権利を有するんだと開き直っています。こうなるともう手が付けられません。ここにきてNYタイムズが政府に批判的な論調記事を連日載せるようになったことは、イラク戦争開戦時とくらべるとまさに雲泥の差があります。フセインが大量破壊兵器を隠していると主張してブッシュ政権のイラク侵略の根拠をもっとも強力に支えていたのがNYタイムズでしたから、まさに汚名挽回です。

そこで情けないのが日本のマスコミです。読売新聞は大本営直轄としても、小泉政権を正面から批判する勇気がまるでないようです。昨日のNHKニュースで、政府は小泉首相の任期が切れる来年の9月までに防衛庁を防衛省に格上げしたいと希望しているそうです。憲法9条改定のための国民投票計画案など、一般には見えないところでファシズム化が着実に進んでいます。最近読んだ本で「小泉純一郎と日本の病理」(藤原肇著)に、世襲議員のデータ(2003年)として、衆議院の全議席数480のうちの185議席が世襲で、これは全議席の38.5%に相当するという、びっくりする事が書いてありました。国会議員の約半数が、世襲的な既得権に寄生している事実は、確かに民主主義国家と表向きにはなっているけれど、実体は封建社会のままであることです。どうも日本人には、社会とか世界という広い存在のなかの自己という存在を客観的に見る視野が欠けているのではないでしょうか。村くらいの大きさの中での存在は自覚できますが、それが国というようなレベルの社会組織になると、自分がそこにどう関わっているのか分からないのでは。民主主義というのは単に市民ひとりひとりが権利と義務を有するというだけでなく、社会の中の個人としての位置づけでもあると思います。世襲議員が国の行く末を決める政治と民主主義は相容れないと信じます。

月曜日, 12月 26, 2005

12月26日

1年のこの時期になるとだれでも浮き足立ってくるようです。師走ですね。23日は東京・渋谷で国際子ども権利センター主催の「ほっとけない!クリスマス」に友情出演しました。場所は以前ジャンジャンと呼ばれたところで、ここで演奏するのはたぶん30年ぶりになります。カンボジアで人身売買や売春、労働に巻き込まれているたくさんの子どもやストリートチルドレンの救済活動をしているこのセンターの説明に事態の深刻さがよくわかりました。年間3万人の子どもが人身売買の犠牲になり、その多くがセックス産業に強制的に従事させられているそうです。実際に現地で活動している甲斐田真智子さんが、騙されて強制売春させられなんとか逃れて故郷に帰れた15歳の少女の手記を読み上げました。会場にはすすり泣きする人もいました。第三世界での子どもの人身売買は今に始まったことではなく、以前からもありました。一般に、これを貧困ということでわりきって考えてしまいますが、私は環境破壊という視点からその原因を見ています。本来、第三世界の人たちの生活は豊かな自然環境をベースにした自給自足が基本であり、そこはお金という資本経済は無縁だったはずです。私たちが言う貧困という物差しは、あくまでも、例えば1日の賃金とか、国レベルでの生産額といったお金での物差しです。自給自足の暮らしには金銭経済がありませんから生産額などあり得ません。収入がゼロです。でも実際は、非常に豊かな暮らしをしているのです。もちろん、その豊かさも私たちの言う豊かさとは違います。子どもたちが売られていくその背景には、確かに貧困がありますが、それは自給自足の暮らしを支えていた自然環境が破壊されたということがあるのです。ですから、まずすべき最初のことは森を復活させること、植林です。それによって水ができ、土ができるからです。耕す土地と収穫する森を失った人たちが子どもを売らざるを得ない状況になっているのです。

火曜日, 12月 20, 2005

12月20日

ブッシュ大統領が先週、ついに自らイラクには大量破壊兵器がなかったことを公式に認めました。要するに、アメリカのイラク侵略には大義がなかったわけです。理由がない戦争に巻き込まれ命を落とした人たち、負傷した人たち、一生こころの傷を背負った人たち、家族や愛する人を失った人たち・・・この人たちのことを思うと、もう言葉になりません。怒りもあります、もちろん、でも、なにか人間性に対する絶望感のような感情がわたしのこころを覆っています。

そのブッシュ大統領の尻尾にぶら下がって自衛隊を無理やり送り込んでいる日本はどうなのでしょう?総責任者の総理大臣はなにか表明したのでしょうか。また例によって大本営発表の日本のマスコミは知らぬ存ぜぬで押し通すのでしょうか。

アメリカ議会では、民主党のリーダーが、共和党の支配する現議会は史上最悪の腐敗した議会だとこきおろしました。アメリカはチェイニー副大統領補佐官のリビーが起訴されて以来、政府はほとんど死に体になり、メディアは以前のように政府に対するするどい批判記事を連日書いています。やっと本来のジャーナリズムが復活したかのようです。もちろん、政府の締め付けも厳しくなっていますが、以前のような脅しはもう有効ではなくなっています。数日前、国家安全保障局(NSA)が、アメリカ国民の平和活動家などを勝手に(裁判所の許可を得ないで)盗聴したり、リストアップして調べていた事実をNYタイムズが暴露しました。これだけで大統領は弾劾すべきだと主張する議員も出てきています。

一方、イスラエルのシャロン首相がイランの核施設を3月までに攻撃できる態勢をとるよう指示したというニュースが先週流れました。イランのウラン濃縮施設が3月ごろに核兵器に必要な量の濃縮ウランを製造できるようになることをイスラエルの諜報機関が知ったためとされています。

来年、2006年も人類にとって、地球にとって、危うい歳になるのでしょうか。私たちになにができるのでしょうか。今はただ祈るだけ・・・・。

日曜日, 12月 18, 2005

12月18日

いよいよ寒さが本格的になってきました。昨日・今日ろ二日にわたって我家で「平和省をつくろう・ジャンプ」(仮称)の合宿勉強会がありました。総勢16名。冷たいすきま風がひゅーひゅー足元を吹き抜ける環境でよくぞみなさん我慢してくださいました。参加者の並々ならぬ意気込みを反映して、非常に掘り下げた議論が交わされ今後の力強い方向性が示される内容になりました。また、同時に私たちの暮らしぶりを実際体験してもらえたこともうれしいことです。このような素晴らしい方々の参加で、さて来年、この平和省への運動がどう展開していくか楽しみです。

Audience JPG

先日、自慢した人参の写真です。赤嶺さんのなずな農園の人参にはかなわないけれど、いいかたちぶりでしょう?

月曜日, 12月 12, 2005

12月12日

11月27日から12月2日まで、新横浜プリンスホテルで第12回低温核融合国際会議が開かれました。正式にはICCF12(12th International Conference on Condensed Matter Nuclear Science/第12回凝集体核科学国際会議)という何か難しい名前です。たぶんこの会議のことはまったく報道されていなかったようです。私は初日の一般向けクラスに参加しましたが、広い会場にほとんど人がいないのにびっくりしました。もちろんマスコミ関係など皆無です。この問題に対する世間の関心の無さを肌で感じました。(これには、低温核融合をいっさい認めようとしない政府や科学界・企業の体制があります)しかし、会議の内容は、じっさいここまで来たかというほど説得力ある報告ばかりです。世界各地から研究者が20名ほど参加していましたが、どの報告も低温核融合現象は確実に起きていることを確認するものばかりでした。たぶん来年中にも世界がひっくり返るような新しい研究成果がでてくる予感がします。科学そのものの認識が根底から見直されるような、いままでの教科書をすべて書き換えるような、・・・人類のパラダイムシフトです。

昨日から足が痛むので、トゲでも刺したかなとかみさんに見てもらったらなんと踵がアカギレになっていました。痛いものですね。生まれて初めての経験。これはリンパの流れが悪くなっていることが直接の原因です。皮膚の栄養源である脂肪分を運んでいるのがリンパ。でも、そのリンパは脾臓と密接な関係があります。このところ外出で外食が多かったのでそれが影響しているのかな。またここ数日、居間のしきりの障子を板壁にして、ガラス引き戸にする大工仕事にとりかかっていますが、寒い中靴も履かずサンダルで一日中やっていたのが響いたのでしょう。さっそく、ヘンプ(麻)商品を広めている昭くんからもらったヘンプシードオイルを塗り込んでおきました。工事は明日にも完成するでしょう。

金曜日, 12月 09, 2005

12月9日

狂っている経済界?今日のNHKトップニュースは、兜町でみずほ証券の社員が株の発注ミスから株式市場が混乱し全面安となって数百億の損失を出したということ。ニュースでは証券会社の社長が金融財政担当大臣に頭を下げている場面を写していました。なんでしょう。これは?どうして証券会社の社長が、政府幹部に謝らなければいけないのでしょうか。そもそも株式など、思惑で動く実体のないものです。だからこそ、今回のような騒ぎになるのです。そんなこと当たり前のことですし、それを承知で株式という賭博場があるのではないでしょうか。大のおとなが頭を下げて謝ることでもありません。それに、だいたいどうして政府に謝らなければいけないのでしょう?何か狂っている世界です。

それはそうと、今日はジョン・レノンの命日。12月8日というのはアメリカでの日付ですから、実際には日本では今日なのです。もう25年前になるんですね。ビートルズは結成当時から内部に軋轢があったそうです。もちろんこれは後年明らかになった話ですが。ポップスアーティストを目指すポール・マッカートニーと世界情勢に関心を持ちなにか社会的に関わって行こうというジョン・レノンとの間には深い溝があったようです。結局それが解散の原因になりました。ビートルズが初めて1966年にアメリカに来たとき、ジョンが記者会見で「僕たちは戦争は嫌いだ。戦争は間違っている。いつも僕らはそのことを考えているんだ」と発言したのでみんなびっくりしたそうです。当時のポップスターたちは(今でもそうですが)政治的なことに関わることはまったくなかったからです。ロックバンドでもベトナム戦争反対など口にしませんでした。そういう意味でもジョンはまさに先駆的な存在であったし、さらにその後、オノヨーコと一緒になったことで、いっそう社会性が先鋭化して行ったと言えます。ベトナム戦争真っ最中の1971年にジョンとヨーコはニューヨークに乗り込んできました。そこで何をしようとしたかというと、反戦運動を起そうとしたのです。1972年にアメリカでは18歳で投票権を得ることができるようになりました。そこでジョンとヨーコは全米ツアーをやって直接若者に投票に行って戦争を止めようと呼びかけることを考えました。そのことを嗅ぎ付けたFBIは、ニクソン大統領にそのことを伝えました。ニクソン政権はジョンのアメリカでの活動が危険(ニクソン政権にとって不利)と感じ、ジョンを国外退去させてしまいました。それで全米コンサートツアーは実現しなかったのです。でも、ジョンの平和への願いは素晴らしい音楽となって今でも世界中の人のこころに響いていますね。

火曜日, 12月 06, 2005

12月6日

このところ毎日家の周りと屋内の冬支度に追われています。200年も経った農家ですから、断熱などほとんどありません。冷たい風がヒューヒューいたるところから入り込んできます。早い話、外も内もない。それで、農業用ビニールですっぽりと外を覆ってしまいます。最初ここに来たときは古い雨戸1枚、それも穴だらけ、だけでした。あまりにも暗いので雨戸はすべて薪にしてしまい、代わりに古いガラス戸・窓を捜してきて入れました。ですからビニールで覆う面積も大変なものです。

「自立と平和」について昨日匿名さんから投稿をもらいましたので、ちょっとそのことを考えてみます。平和という言葉には、とても深い意味が含まれていると思います。なんとなく気楽に平和という言葉を使いますが、実際にどのようなことを指しているのでしょう。今の世界や日本は平和でしょうか。事実は、私たちがあらゆるレベルで脅威を煽られ不安と怖れの毎日ではありませんか。不安と怖れのない生活こそ平和です。ですからどのように不安と怖れを無くすかということに集約されます。それには、不安と怖れの正体を把握しなればなりません。

私たちの最大の不安・怖れとはなんでしょう?
収入(お金)、健康、人間関係、自然災害(地震・台風)etc.といったところでしょうか。
もし、これらに対処できるようになれば、少なくともただ漫然と手をこまねいて立ちすくんでいるのではなく、解決に向かって進む道を見出したら、それは平和への道ではないでしょうか。

そこでのキーワードは「自立」です。人間、依存する程度が大きければ大きいほど従属関係による自由の束縛になり、不安や怖れの原因になります。平和への道は、前述の不安の要因に対してそれぞれの自立を確保することと言えます。
ハーモニクスヒーリングは、からだを癒すと同時に地球を癒すこと。からだとは単なる肉体的な意味だけではなく、精神やスピリチュアルな存在も含まれています。そこでの不安・怖れは緊張(ストレス)となって現れています。からだの平和は緊張を取り除くこと、それがヒーリング(癒し)です。自分のからだのヒーリングが平和をもたらすことにつながるのです。

土曜日, 12月 03, 2005

12月3日

いよいよ師走です。この時節になると、東南方面が山に囲まれている我家に朝日が差し込むのは10時ごろになります。寒い朝、寝床から起きだすのは一苦労ですね。畑の半分はもう陽が当たらなくなるので今年はもうなにもできません。でも今年は、人参、小松菜、チンゲンサイ、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、牛蒡、大根、ネギ、春菊、白菜、カブなどがよくできて、毎日の食膳を賑わしてくれます。人参はいままでになくよい形のものが穫れだしたので、やっと土ができてきたのかなと思います。ここは元々田んぼだったところなので、ふかふかの肥えた土になるまで時間が掛かります。そういえば、この夏千葉のくりもと地球村を訪れた際、オーナーの佐藤さんが「やっと堆肥をいれなくても作物が穫れるようになった」と言っていたのを思い出しました。作物つくりは土つくりにつきます。

昨日は農人舎の上野さんの案内で、千倉の製材所に木っ端をもらいにいきました。この辺の製材所は地元の杉材しか扱わないのですが、そこは堅い木材(樫や楠)の木っ端があるのです。大きな束、たぶん1〜2トンはあるでしょう。持って行った軽トラックが載せたとたんズンと沈みましたから。さっそく昨夜はその木っ端で薪ストーブを炊いたら杉材とくらべて暖かさが違うのにびっくり。火持ちももちろんいいし、煤が少ないので煙突があまり汚れません。この冬はこの製材所に何回か通うことになりそうです。 

水曜日, 11月 23, 2005

11月23日

Humanitarian Lawyer(ヒューマニタリアン・ロイヤー)=豊かな人間性や感受性、 幅広い教養と専門知識に裏打ちされた人権感覚に優れ、民主主義と個人尊重の理念の 実現を目指す弁護士。(と、説明書きがありましたが、弁護士はすべてそうあるべきではないでしょうか)サンフランシスコを今回訪れたもうひとつの目的はヒューマニタリアン弁護士のカレン・パーカーに会うことでした。カレンは科学者のローレン・モレや湾岸戦争帰還兵で劣化ウラン被爆者のデニス・カインやダグ・ロッキーたちと劣化ウラン廃絶運動をアメリカで進めています。彼女は10年以上前から劣化ウランは核兵器であり、ジュネーブ条約などの国際法で禁止されていることを主張してきました。実際カレンは国連総長に直訴し国連に専門委員会を開かせて、1997年に38カ国の承認を得て劣化ウランは国際法上禁止という国連報告書を提出させることに成功しました。現在、日本もふくめ国際的に劣化ウランを禁止しようという運動がありますが、すでに国連で禁止されているのにもかかわらず、そう主張することはこれまでは合法だと認めることになり、カレンの法的主張の根拠を失うことになると彼女は警告しています。カレンはどうやら政府側の陰謀ではないかと疑っています。合法ということになればこれまでの人的損害にたいしていっさいアメリカは責任を問われなくなるわけですから。

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Karen Parker

カレンの家はサンフランシスコ市内の小ぎれいな住宅地にありました。いかにも優秀な弁護士という感じですが、子どもを抱える優しいお母さんでもあります。いま、彼女がOAS(米州機構)に提訴している訴訟問題について詳しい説明をしてくれました。イラクのファルージャに対するアメリカ軍の攻撃の中で、病院施設を爆撃したことは違法であると訴訟を起したのです。アメリカは戦争犯罪を規定する国際条約に加わっていないため、戦争犯罪を国内で追求することができません。アメリカの憲法下では軍の行為は基本的にすべて免責ですから、カレンはアメリカが加入しているOASという国際機構の条約規約を盾に訴訟を起したのです。その訴訟の中で、劣化ウランと白燐弾の違法使用も追求すると言っていました。今回の旅でつくづく感じたことは、アメリカの保守体制側があらゆる手段を使って市民の民主的運動を妨害し押さえ込んできているという事実です。ローレンもローレンス・リバモア核兵器研究所で内部告発者になって以来、様々な脅しや妨害を受けてきていますが、カレンも同様に妨害を受けていると言います。せっかく国連で劣化ウラン禁止が認められたのに、そのことはメディアはまったく取り上げません。彼女が公の場所で話をしようとすると必ず妨害が入るそうです。国連小委員会で劣化ウラン禁止の採決までもっていくのに大変な努力と策略が必要だったそうです。あらゆる場面でアメリカが報告書を出させないように妨害してきたのです。カレンがいま一番困っているのはすべて個人の費用でやっていかなければならないことで、資金が足りないので裁判が継続できないと嘆いていました。なんとか日本で呼びかけて裁判資金援助をしてあげたいと思います。

金曜日, 11月 18, 2005

11月18日

この嶺岡山系は、わずか数百メートルのむしろ丘と言っていいほどの場所ですが、低地と違って、このころになると朝晩の冷えは厳しくなります。今朝は5〜6度。今日は、すっかり延び延びになっていたタマネギ苗の移植をしました。そうそう、それと留守番をしていたアコちゃんがアオバ小麦の入手先を見つけてくれたので、久しぶりにアオバ小麦のパンを来年は食べられそうです。アオバ小麦は、国産小麦のなかでもっともグルテン分が多い品種で、いわゆる強力粉になります。パンつくりに最適な原料で、福島県が原産地です。今回は福島の地球村メンバーの山口あきらさんが捜してくださいました。畑はすでに小麦用に耕して、鶏糞を鋤き込んであります。来週には届くので早速蒔きましょう。

Marion, Lauren and Gen JPG

Marion Fulk, Lauren Moret & Gen

今月は札幌(1泊)からアメリカ・サンフランシスコ(3泊)、成田に帰国したその足(車)で東京を通り越して長野県と山梨県の県境にある小淵沢(2泊)に行き、1週間ぶりに我家に戻りました。いやはや、目の回るような行程でしたが、どこでも充実した時間を得ることができました。久しぶりのサンフランシスコ。今回は劣化ウランや低レベル放射能の危険性を世に訴えている平和活動家のローレン・モレの招待で、バークレーの彼女のアパートに泊めてもらいました。彼女はバークレー市環境委員にもなっています。着いたその足で、サンホセに近いデ・アンザ大学での「戦争犯罪法廷」に参加しました。その晩は、前国務長官コリン・パウウェルの講演がその大学であるので、パウウェルの戦争犯罪歴を糾弾する市民団体が、同じ大学でそのような集会を企画したのです。お陰で、今度発売された劣化ウランのビデオ「Beyond Treason」の製作者のジョイス・ライリーや湾岸戦争帰還兵で劣化ウラン被爆を受けながらも平和活動を果敢にやっているデニス・カインに会えることができました。集会のあと、みんなでコリン・パウウェルの講演する講堂の前でデモをやりました。どうしてパウウェルがそこに来たかというと、最近彼がシリコンバレーのナノテクノロジー・ベンチャー企業のパートナーになったからなのです。シリコンバレーはこの大学からすぐのところにあります。ところで、このナノテクノロジー。日本でも盛んに未来の技術などともてはやされていますが、今回の旅でその知られざる危険な側面を知ることができました。ローレンは、サンフランシスコ郊外にある国立核物理研究所ローレンス・リバモア研究所の元研究員でした。ここがマンハッタンプロジェクト(原爆開発研究)の中枢です。二日目はリバモア研究所の元研究主任でスターウォーズ計画の生みの親であるマリオン・ファルクを訪ねました。マリオンは劣化ウランの危険性を科学的に訴えている科学者です。歳を訊くのを忘れましたが、たぶん80歳くらいでしょう。彼は、劣化ウランが10分の1ミクロンという微小粒子(これはナノというレベル)になると、放射性物質というだけでなく想像できないような危険性を帯びることを警告しています。このような微小物質の危険性に関する研究はまだまだ誰も本格的にやっていません。その経済的な有効性ばかりが強調されているのが実態です。もちろん、政府も企業も安全だと主張していますが。そのナノテクノロジー開発会社の社長にコリン・パウウェルがなったわけです。やはり正真正銘の戦争犯罪人ですね。

月曜日, 11月 07, 2005

11月7日

昨日の朝、床の中で親子がぐだぐだしているときの会話。
親「世の中にはお父さんがいない子どもがたくさんいるんだよ」
杏菜(娘5歳)「へぇー。おとうさん、迷子になったの?」
親「???」

土曜日, 11月 05, 2005

11月5日

今日のNYタイムズは、イラクのフセイン大統領がナイジェリアからウラニウムを密輸入しようとしていたという偽公文書がイタリアの秘密工作員の作であったことを報じています。たぶんこのニュースは日本のマスコミは無視するでしょう。このような事はいま世界の政治ではまさに氷山の一角です。嘘と欺瞞、脅し、おべっか、追従、という人間として最低のモラルが世界を席巻している現状をわたしたちはどう見て行けばいいのでしょう。なにも信用できない、というのが正直な気持ちです。まさに現代民主主義という看板はまったく過去のものになってしまいました。
世界の近代史から見てみると、人間の自由や人権という概念は、科学の進歩とともに生まれてきたようです。自然科学は、自然を客観的な対象と捉える事で進歩してきました。それまでは、自然と人間は区別されない存在だったからです。そして、人間性という本来は非常に捕らえ所の無い概念を「科学的」に言葉で表現したものが、自由とか人権、そしてそこから育まれた民主主義ではないでしょうか。そのような科学的根拠に基づいた民主主義が21世紀に入って最大の危機を迎えています。近代科学は17世紀のニュートンから始まったと言われます。ニュートンの万有引力の発見が、それまでの目の見えない形而上学的世界観を根底からひっくり返しました。それまでは、宗教的神秘的世界観が主流であり、宇宙や世界の運動は神のみえざる力で支配されているとされていました。すべての存在は、なにかしらの力でつながっていると考えられていました。万有引力は、それを否定し、物質そのものが引力という力を有していると説明し、それを数学的に証明したのです。それ以来、すべては数理で世界が説明され、それが人類の価値観の基礎になりました。多数決は民主主義の基本概念です。でも、人間性というものを数で表せるでしょうか。人間と人間がいっしょになったら1+1=2となるのでしょうか。そして1から1を引くとゼロ、無になってしまうのでしょうか。そもそも一人という概念を数だけで表せるでしょうか。ニュートンの万有引力説は、人間と物質(自然)との概念を根底から変えました。宇宙や自然からから神秘的な要素をはぎ取ったのです。ところが
生命(いのち)は、このような近代科学観では捉えきれない、まさに神秘そのものですね。そこに霊性(スピリチャリティ)という概念を考えざるを得ません。現代民主主義がどのように霊性を取り込んでいけるか、それはまた、ニュートンから始まった近代科学が、もう一度原点に戻って、プラトン哲学の真意を問い直し、自然という概念を問い直す時期にきていることを端的に示しているのです。  

水曜日, 11月 02, 2005

11月2日

わたしたちは、築200年といわれる茅葺農家をあちこち手直ししながら住んでいます。夏場はそれこそ涼しくて別天地ですが、最大の難敵は寒さです。南房総というと、ひとは暖かい所に住んでいるんですねえ、と言いますが、それは太陽が燦々と照る海岸地域のこと。ここ山間地の冬は、驚くような寒さが訪れるのです。真冬には零下5〜6度まで下がります。茅葺き家屋は暖かいと何となく思っていましたが、大違い。11月に入って、昨日の朝の室内気温は8度でした。そこで、この季節になると冬支度を始めます。もっとも使用頻度の高い居間は、まったく陽が入らないうえ、夏向きにガラスばりにしたものですから、断熱効果ゼロ。毎年農業用ビニールをすっぽりと外側から覆うようにしていますが、どうもきれは見栄えがよくありません。今年はかっこよく二重窓にしようと昨日から作業を始めました。納屋に貯めておいた古いガラス戸をうまく加工して。窓にはめ込むという仕事ですが、なかなか手間がかかる作業です。古民家というのは、はしらの間隔がすべて違うので、ひとつ一つ加工していかなければいけません。今日は、いろいろと雑用が入って結局できたのは1枚だけ。あと6枚もあるのです。はて、冬の到来までに間に合うでしょうかね?

水曜日, 10月 26, 2005

10月26日

ゆみが17日からロンドンでの平和省会議に出席するためいなくなるので、雨が一段落した13〜14日に稲刈りを済ませました。やはり、イノシシが相当踏みつぶしていて、まずその稲を泥ごと洗いながら刈るという実に手間のかかる作業から始めました。足元はぐちゃぐちゃで時々長靴がハマって身動きできないという場面もありました。土砂崩れした部分を横に眺めながら、ここが出来たらたぶん相当収量があっただろうなあ、とため息もついて。なんとか稲刈りを終え、ゆみがロンドンに飛び立った翌日からまたまた大雨。さらに土砂が流れ、間一髪セーフという感じです。そして、久しぶりの快晴が二日続いて昨日(25日)、アコちゃんが手伝いに来てくれて3人で脱穀を無事に終了。なんと3俵も穫れました。さっそく籾すりした新米をその晩食べました。その美味しいこと!米作りは4月早々の種の芽だしから始まって、苗床つくり、苗とり、田植え、草取り、稲刈りと、7ヶ月にわたる大仕事です。それだけに、ほかの野菜つくりなどとは格別ちがう感慨があります。

月曜日, 10月 10, 2005

10月10日

10月10日

ショックなことが2件ありました。ひとつは、分封(巣分かれ)したミツバチを1週間も巣箱に囲って、さてそろそろいいだろうと思って巣箱の入り口を開けたら、あっという間の逃げられたこと。がっかり。それにしても何が気に入らなかったのでしょう。これで3回目の失敗。この巣箱が嫌なのかしら。2万円の大枚をはたいて買ったのに。もうひとつのショックは畑です。家の畑は元々田んぼだったところを数年掛けてやっとなんとかまともな作物が穫れるようになったところです。その一段上のところに大家さんが昔から耕していた200坪ほどの畑が隣接しています。大家さんはこの2〜3年、ここを使うことを止めてしまい、いつも草ぼうぼうの状態で、私が時折草刈りをしていました。なにしろ、元田んぼの今の畑とは違って土がさらさらで水はけもよく、日当りも一番いいところです。以前から、ここを使えたらさぞいいだろうなあ、と思っていました。今年も相変わらず草ぼうぼうなので、先日大家さんに訊いたら、もうしばらく使うことはないから自由に使ってくださいと言われ、ヤッターと喜んで、すぐコマメ耕耘機で耕しました。案の定、始めて耕す土はさらさらとしていて、下の粘度質の畑とは大違い、機械も簡単に進んで行きます。隣で鶏を飼っている田畑さんから鶏糞をもらってきて混ぜ込みます。と、ここまではよかったのですが。それから急に頭痛が始まり、からだが痺れるようでだるくなってきました。典型的な急性農薬中毒症状です。この畑に長年多量に使用され土中にとじ込まれていた農薬が、一気に外に出てきたためでしょう。それをまともに吸ってしまったわけです。おかげで2〜3日はからだと頭が動かず何も出来ない状態でした。いや、本当に怖いです。さっそく農薬を中和させるROXミネラル液を大量に頼んだので、それを撒けばだいぶ収まるはずです。それにこのところいい雨が続いてたぶん農薬が薄まっているはずです。それにしても、これからどうするか、まだ決めかねています。

水曜日, 10月 05, 2005

10月5日

先週末はひさしぶりに家族で京都に行ってきました。憲法9条・メッセージ・プロジェクト主催の「なんで?なんで?の市民のつどい」に参加するついでに、ちょっと京都見物も兼ねたわけです。この会のオーガナイザーであるジャーナリストの柴野徹夫さんにすっかりお世話になり、普段観光客が行かないような、そして、京都育ちの柴野さんが子どもの頃遊んだという、いわゆる通の場所を案内してくれました。最初に訪れたのは、詩仙堂(丈山寺)。煎茶の開祖といわれ、寛永年間の京の文人と知られる石川丈山が59歳のときに造営した庵です。決して豪華ではない、どちらかというと清貧という言葉が近い門や建物に入って、庭園を眺めるとそこに絵のような景観が現れました。すべての樹木や庵や池などが、考え抜かれたデザインで配置されて、なんともいえないダイナミックな美を構成していました。樹木は楓が重なるように植えられて、驚いたのは樹齢百年以上とも思える巨大な幹の楓があたりを覆うように庭の中央にあったことです。11月が紅葉の絶頂だそうですが、すでにいくらか赤く染まって、さぞかしそのころの景観は息をのむようだろうなと思わされました。つぎに訪れたのは、当時丈山と諸文芸を競い合っていたという本阿弥光悦が造った光悦寺。当時生粋の工芸職人を集めていわゆる芸術村を造ったとされているところです。一見、普通の住宅街と思われる一角に、普通なら何気なく通り過ぎてしむようなさりげない門があって、そこに一歩足を踏み入れると別世界が広がります。楓の並木が連なる石畳を行くと、眼前に北山杉のまるい山を背景に、静寂な美の世界がありました。詩仙堂とは趣を異とするもっと自然的な造園芸の極致。柴野さんは、対極的な江戸時代初期の文人の作品を私たちに見てもらいたかったようです。

水曜日, 9月 28, 2005

9月28日

ハーモニクスヒーリングのワークショップは、このところ、というかもうしばらくになりますが、定期的に行ったり、またそのために海外に出かけて行くということもなくなりました。これは、子どもたちのことという家庭的な理由もありますが、911以降、平和ということが、環境問題や健康のことよりも最優先になったからです。もちろん、これらのことはすべて繋がっていて、どれも根は同じだと思います。というわけで、ヒーリングの方は、希望者が集まり次第こちらの都合に合わせてやっています。今週も二家族が健康相談にやってきました。そのご主人は、目が悪く(緑内障)でとても疲れやすいというので、なにか免疫をあげる手当や食事療法をチェックしましたが、なにもみつかりません。おかしいなあ、と聞くと、彼はある精密機械の工場に働いていて、そこではX線を使うそうなのです。会社では安全な範囲だと言っているそうですが、放射線に安全な値など存在しません。ましてや、毎日、たとえ微弱でも浴び続ければ確実に免疫低下を引き起こします。そして、現在のところ、こういった放射線障害に対する手当法は存在しません。唯一できることは、環境を変えること、つまり、会社を辞めるしかないのです。このご主人に、たとえ家族を支える収入が途絶えることがあったとしても、お父さんの命が削られてしまっては元も子もないのですよと言うと、彼は今の仕事はあまり好きではないので、考えてみると答えてくれました。こういった放射線を含む電磁波は、このような特殊な場合だけではなく、じつは私たちの生活環境すべてに存在しています。逃げ場の無い地球で、どういのちのバランスを保って行くか、とても難しいことです。

木曜日, 9月 22, 2005

9月22日

とてもうれしい便りをある方からいただきました。この方は極度の鬱病と慢性疲労などで長年悩んでいたのですが、私とゆみの共著の「ハーモニクスライフ」を読んですっかり気持ちが入れ替わり、自分の田舎に戻って家族にすべてを打ち明けることにしたそうです。自殺を何度も考えたそうですからよほどのことだったのでしょう。なにかお役に立ったようで非常にうれしいですし、このような便りをいただいたことに感謝します。さて、すっかり秋風のひんやりした感触に”おどろかされぬ”季節になってしまいました。なんと今朝は5時に目が覚めてこれを書いています。ゆみがワシントンでの平和省会議に1週間出かけている間に、私が札幌に3日間行くという具合で、9月もなにかと慌ただしい日々が続いて、畑仕事はほとんどできず草ぼうぼうの状態です。あの強力台風のショックでしょうか、きゅうりがみな枯れてしまいました。それまで毎日3〜4本はできていたのでちょっとがっかりです。トマトはなんとか無事でしたが、さすがに涼しくなってきたので毎日10個以上も穫れた8月頃のようにはいきません。今年はおかげでトマトペーストがたっぷりできました。そうそう、一昨日は東京から、ある大きな生命保険会社の会長をやっていらした方が泊まりにいらしたので、子どもたちと一緒にはじめて栗拾いをして、その晩は栗ごはんでした。昨日はやっと大豆の実が育ってきたので枝豆にして、これも今年の初物。そしてつでにサツマイモも掘ったらけっこう育っていたので一緒に夕飯に並びました。モロヘイヤのおひたしも添えて、秋の食卓はこれまた贅沢なものです。

土曜日, 8月 27, 2005

8月27日

一昨日の台風11号は房総半島を直撃、そして我家は過去最大の被害を被りました。自然を甘く見てはいけませんね。前回の台風も鴨川を直撃したのですが、あまりにも風雨が微小だったため今回はまったく油断しておりました。いちおうの対策はして寝たのですが、夜半すぎ3時頃、すごい風と雨脚に目が覚めた途端、バタンという音が外でしました。すぐ起きてサンルームに行くともうすでに床はびしょびしょで、ぽっかりと大きな暗闇が空いています。外を見るとガラス戸が庭に吹き飛んでいました。さあ大変、はやくなんとかしないと風と雨がどんどん部屋に入ってきます。外はすごい暴風雨。家全体がうなりを上げているような感じです。家族も全員起きてきました。寝てなんかいられません。雨合羽を着て、とりあえずガラスが半分割れてなくなった戸を戻し、どうにか外から板を打ち付けました。この作業を強風と土砂降りの中でやったのですが、もう合羽など役にたたず、あたまからずぶぬれです。足元の庭を見るとまるで川のよう。それにしても今から思うと、あの風雨でよくあれだけの被害で済んだものだと思います。しかし、田んぼは今日見たら唖然とさせられました。棚田の畦が3段も大きく地崩れを起して、稲が土に埋まっていたからです。苦労して育て、やっと今年は水が入って豊作だと喜んでいたのに。ざっと見たところ20〜30%の稲がだめになったようです。不幸中の幸いと言えば、もう穂が出そろっているのでもう水がいらないことです。でも、来年からどうするか?とても人力で修復できる規模ではないのでユンボで大掛かりな土木工事になるでしょう。台風の傷跡はそのほか多々に及んでいます。水も出なくなってしまいました。これはなんとか午前中に解決。大木が畑に倒れていたので、チェーンソーで処理しました。野菜類はこれはなんとか事前にある程度の支えなどの処理をしてあったので被害は軽微でした。山に住むということは、こういう時に、自然の力を肌に受け止めるということです。

金曜日, 8月 19, 2005

8月19日

昨夜、我家の露天風呂から柿の木の枝を通して見えた月があまりにも素晴らしかったので、明日が満月だけれど、海からの月の出をどうしても見たくなり一家で出かけました。月の出の時間を調べると(インターネットは本当にこういうとき便利です)6時28分となっています。鴨川と太海の海が一望できる青年の家に着いたのが6時33分、すでに月は海からすっかり昇っていました。その神々しいほどの輝きが波面に反射し、ちょうど小さな岩島の上に、まるで絵画のように月がまんまると浮いています。みんな「すごーい」と息をのみました。

木曜日, 8月 18, 2005

8月18日

このところ我が家は千客万来で、最大は15人もの滞在客がありました。もっとも3家族で大半はこどもたちでしたが、それでも食事の用意だけでも大仕事です。また海外からのゲストも多数ありました。ほとんどが広島・長崎原爆60周年記念式典に参加するために来日した人たちです。「Hibakusha」というドキュメンタリーフィルムのクルーもボストンから来て、ゆみをインタビューしていきました。

Hibakushaという言葉はだいぶ国際的に認知されてきたと思っていましたが、彼らに聞くとアメリカではほとんど誰も知らないということです。カリフォルニアからはウィリアム・カリーという「平和のための退役軍人会」のメンバーがやってきました。彼は70年代後半原子力潜水艦に2年間乗ってソナー探知機を操縦する役目だったそうです。主にソ連の原子力潜水艦の行動を探知するのが目的で、北海道沖にも来たことがあると言っていました。もちろん核ミサイルを搭乗させていて、わずか数十センチのところで寝たこともあるそうです。原子炉からの高濃度放射能排水は陸地からわずか10マイル(16キロ)で、こっそり海面に捨てているそうです。廃油と違い目に見えないからと理由です。ウィリアムは何かの問題で兵役を止めたいアメリカ兵を外から援助する仕事をやっています。やはり軍隊ではいじめが相当あるらしい。若干20歳前後の若者にどんな権利があるか分かるはずがありません。ほとんど脅かされて泣き寝入りです。ウィリアムは日本のアメリカ軍基地内部にもなんとか援助の手を広げたいと考えています。たくさんの資料を置いていったので私たちも基地問題に関わっている人たちに手渡したいと思います。オーストラリアからは「世界女性平和自由連合」のクリスがやってきました。今年の冬にブリスベーンで会っているので話が弾みました。

今年は、適当に雨があり、しかも低温にならずお天気がつづいているので夏野菜が豊作です。とくにトマトは連日りっぱなのが籠に入りきれないほど穫れています。毎日食べていますが、その美味しいこと。まるで甘いシャーベットと言った感じ。トマトソースも最高なのが出来ました。失敗したのはトウモロコシ。と言ってもこれもりっぱなのがたくさん出来たのですが、もったいないという変なケチ根性が出てすぐ食べなかったために身が固くなってしまいました。やはり旬のときにタイミングを逃すといけませんね。そのほかキュウリ、なすなども豊かに実っています

水曜日, 8月 10, 2005

8月10日

悲しいお知らせです。我が家の飼い猫であり、リモ農園の主人のリモが、本日午後6時永眠しました。思えば、私が鴨川に住み始めてすぐ、竹林の中に捨てられていた子猫がリモでした。最初は目も見えず、なんて醜い猫だろうなどと言われていましたが、だんだん可愛くなり、なによりも誰にも懐くのでみんなから可愛がられました。リモの一生は、私の鴨川の暮らしの歴史そのものでした。それだけに、いろいろな思い出があります。それをちょっと振り返っただけで胸がいっぱいになります。リモ、長い間どうもありがとう。こころから感謝します。安らかに眠ってください。素晴らしい猫でした。

日曜日, 8月 07, 2005

8月7日

昨日は広島原爆60周年記念日でした。日本の無条件降伏は原爆がなかったらなかったというのが、戦後から一貫してアメリカで一般に信じられていることです。そして100万人のアメリカ兵の命が救われたと。でも真実はそうなのでしょうか。はたして原爆が終戦に必要だったか、これもやはり「プロパガンダ」の臭いがします。日本側からすれば、実際には、多数の市民が犠牲になった原爆よりもその3日後のソ連の参戦の方がはるかにショックだったのです。北方のソ連が中立でいてくれればなんとか本土で持ちこたえられるというのが、戦争継続派の主張だったわけですが、その根拠が崩れてしまったのです。100万人のアメリカ兵が原爆で助かったという話も、事実は、この数字を最初に発表したマックジョージ・バンディが1947年にハーパー誌に「戦争長官のヘンリー・スティムソンに頼まれて架空の数字をあげた」と告白しています。また、原爆製造計画「マンハッタンプロジェクト」の科学主任のロバート・オッペンハイマーは「もう負けている敵に落とされた」と1945年11月に述べました。トルーマン大統領がソ連による日本占領を防ぐために原爆を使ったことは明らかです。8月3日のポツダム会議で日本が和平を求めていることは各国が承知していたのですから。でも、こういう歴史的事実はすべてマスコミから消され、原爆投下を正当化することのみが残りました。そして、核開発が疑問視されることなく今日まで続いているのです。

木曜日, 8月 04, 2005

8月4日

とても残念なお知らせ。せっかく高い樹上で命がけで捕らえたミツバチくんたちが昨日巣箱をのぞいたら1匹残らず逃亡しておりました。ガックリ。これはよくあることらしく。本を読むと逃亡に注意と書いてありました。何か気に入らないとすぐどこかに行ってしまうらしい。なにか恋人に逃げられた風で、それはそれでなつかしい感慨にも似たものでした。まあ、また来てくれるでしょう。さて、1ヶ月まえからゆみと太極拳のクラスに通っています。毎週木曜がその日で今朝も汗を流してきました。一昨年になりますが、ピースボートに乗った際なにげなく参加した太極拳の不思議な世界に魅せられ毎朝船酔いも忘れるほど船上クラスに通いました。その経験があったので鴨川の友人から太極拳の会があるからどうですかと聞かされたときすぐに行きますと返事したのでした。じつは正直言うと、どうせ地元の会だから年寄り連中の慰み程度のものだろうとタカを喰っていたのです。ところがたまたま最初に参加した日は鎌倉から会の代表の山口先生が直接教えてくれる日だったのです。私たちは初めてその先生の華麗とも表現できる流れるような動きに魅せられ、その場で入会を決めました。参加している地元の方々も素人目にみて素晴らしい動きをしているので、会のグレードの高さが分かります。今年の春からちょっと仙腸関節(腰)を痛めていたのですが、太極拳を初めて1ヶ月で痛みも和らいできたようです。あのように流れるような動きができるのにはどのくらいかかるでしょう?

火曜日, 8月 02, 2005

8月2日

今朝、エイミー・グッドマンの「デモクラシーナウ」を数日前聞こえるようになったPodcast Radioで聞いていたら、アフリカのナイジェリアが干ばつとイナゴ大発生で大飢饉に見舞われているというニュースを報じていました。多分これは日本のメディアでは報道されていないんではないかなあ。300万人が飢餓で死に直面していて、そのうち100万人は子どもらしい。イラクのバグダッドも水がなくて大変そうだし、いったいこんなときに戦争やっている輩の神経はどうなっているんだろう。ところで、ラジオのことを言いましたが、私たちもインターネットラジオを始めました。でもこれはPodcastというマックだけのものなのでウィンドウズの人にはすすめられませんが。YumiのBlogに行けば方法が書いてあります。今日はアメリカのガン(銃)規制問題について話しました。興味あるひとはぜひ聞いてみてください。

さて、そうそうミツバチの話。昨年の秋だったかな。台所の外壁の隙間にミツバチが巣を作っていることを発見しました。最初は恐る恐る覗いていたのですが、それがめったに刺さないおとなしい性格の日本ミツバチだとわかると、飼ってみようという気になったのです。それから岩手県盛岡に「日本在来種ミツバチの会」というのがあることを知り、さっそく会員になりました。送ってもらった資料を斜め読みして、なんとか養蜂家になる準備をしていたところ、この5月末、運良く最初の分封を取り込むことに成功したのです。(分封とは巣分かれすること)そして一昨日の朝、真生がハチがいっぱいいるよとまた分封が始まったことを教えてくれました。ところが見上げるとはるか梢の上で乱舞していて竿を延ばしてもとても届くような高さではありません。これは無理だと諦めてゆみを君津のバスターミナルまで送っていき、帰ってハチが乱舞していたあたりを山の上からみると、いましたいました高い樹上の枝に直径30センチくらいの固まりになってぶら下がっています。そこで梯子で樹の途中まで登り、必死の思いでその固まりをうまくビニールのトラップに取り込みました。いやはやちょっと足をすべらしたら真っ逆さまに落ちてしまうところだったので全身汗でびっしょり。でも、ハチたちは今、巣箱で落ち着いて巣作りに励んでいます。今度はいよいよ蜜の採取です。楽しみですね。

月曜日, 8月 01, 2005

8月1日

さて、なんと7ヶ月ぶりのダイアリーです。こんなに時間が経ってしまったのにはいろいろ理由があるのですが、単に忙しかったこと以外に、このホームページを新しく作り直す作業が意外と時間が掛かってしまったということがあります。やっと今日再スタートできました。と言ったところで、たぶんもうこのダイアリーを読むひとはいないかな?

まず、リモ農園の近況:6月16日に田植えを終え、今年は久しぶりの本格的な梅雨に恵まれて田んぼには今もたっぷりと水が入っています。去年の今頃はひどい日照りの真っ最中で田んぼは地割れしていました。どうやら今年は豊作が見込まれます。稲の品種は、滋賀県彦根で広大な無農薬農業を営んでいる草野武さんから「はえぬき」籾を今年も送ってもらいました。いま、食べているのは昨年穫れたものですが、たしかに美味しいです。田んぼの作業は草取りがいちおう秋の収穫までありません。畑はトマト、キュウリ、茄子が毎日たくさんとれています。ほかに、春から続いているソバ菜、ねぎ、ごぼう、そしてそろそろトウモロコシも食べ頃ですね。小麦は6月に収穫(まあまあの収量でした)し、その後にいま青大豆を移植中。小豆は昨日蒔きました。フルーツは、ことしも桃がたわわに実り、まいにちぽとぽとと落ちるので、食べるのが追いつかず、最初は興奮して食べていた子どもたちもついに顔を背ける状況になってしまいました。それにしても、桃には虫(なんか蛾の幼虫でしょうね)がほとんど必ずついてしまうので、完全に虫にやられていないものはほんの僅かです。ですから、商品として無農薬の桃などまず不可能かもしれません。もっとも袋をかぶせればいいのかもしれませんが。今年のヒットはいちじく。巨大なのがたくさんとれました。自家製カスピ海ヨーグルトといっしょに食べると誠にオツな味です。そうそう、はじめて梨ができました。まだ直径5センチくらいですが、秋が楽しみです。明日は、今年から始めた日本ミツバチ養蜂のことを書きましょう。じつは昨日、また1群のミツバチの捕獲に成功したのです。

11月1日

友人のダミアンは一見どこの国の人かわからない容貌です。国籍はオーストラリアですが、お母さんはスリランカ人、お父さんはイギリス人というミックスだからです。ダミアンは、根っからの平和主義者。まず食べ物からして完全ベジタリアン。そしてマック・コンピュータの天才。彼がいなかったら私たちは何も出来ません。このブログもかれのお陰です。私たちが去年制作した「911ボーイングを捜せ」の重要性をいち早く察して、以来ボランティアサポートを惜しげも無く与えてくれています。英語のホームページやブログも彼なしでは不可能です。ダミアン、ありがとう。

11月1日

友人のダミアンは一見どこの国の人かわからない容貌です。国籍はオーストラリアですが、お母さんはスリランカ人、お父さんはイギリス人というミックスだからです。ダミアンは、根っからの平和主義者。まず食べ物からして完全ベジタリアン。そしてマック・コンピュータの天才。彼がいなかったら私たちは何も出来ません。このブログもかれのお陰です。私たちが去年制作した「911ボーイングを捜せ」の重要性をいち早く察して、以来ボランティアサポートを惜しげも無く与えてくれています。英語のホームページやブログも彼なしでは不可能です。ダミアン、ありがとう。

水曜日, 3月 09, 2005

3月9日

なんとまあ、一月以上もダイアリーを留守にしてしまいました。この1ヶ月はハワイでさまざまなイベントに参加し、また後半は日本から5人が参加したアロハトラストツアーがあり、その間ハプニングもあり、帰国の前日までコンサートなど、とにかく忙しい日々でついつい日記が後回しになってしまいました。まあ、この間のことはまたおいおい思い出しつつ書くつもりです。一昨日、3ヶ月のアメリカ・ハワイ旅行を無事に終え、関西空港に着きました。いつもはもう少し長くハワイに滞在するのですが、昨日(8日)の国際婦人デー大阪集会にぜひ出演してほしいという強い要望があって、急きょ戻って来たのです。驚いたのは日本の寒さ、なんと雪が降っているではありませんか。いやはや、すっかりハワイの温度にゆるんでいた私たちのからだはちじこまってしまいました。昨夜の講演・コンサートは中ノ島中央公会堂です。この建物は明治44年に着工、当時最高の技術とデザインで5年をかけて完成したもので、今あるものは5年前に再建されたもの。よくある現代ハイテク建築がすっかり失った人間的空間や肌触りが随所に感じられる素場らしい建造物です。劇場内に入ると一瞬時代が戻ったような錯角に襲われます。何よりも感心したのは、これは自分が音楽を専門にしていることからですが、音響のよさでした。こんなに気持ちよく歌いやすいステージはひさしぶりでした。もっともPAさんの仕事もよかったからですが。1000人入る会場はほぼ満員、もちろん女性ばかりです。アロハトラストツアーに参加したシンガーの桑名晴子さんも駆けつけてくれました。今回のツアーが最高に盛り上がったのは彼女のその強烈なキャラクターとアロハマインドのよるところが大きかったのです。さて、これからしばらく関西地域での講演・コンサートツアーが続きます。今日はひさしぶりの奈良行きです。まだまだ私たちの旅は続きます。鴨川に戻るのは21日。

夜6時半。今、奈良県大和郡山市平和地区公民館での「教職員のための平和について語ろう会」が始まりました。そして驚くべきビデオが紹介されました。防衛庁が作成した小・中学生向け広報ビデオ「ディフェンス3」です。今回この会を企画してくれた日教組郡山執行委員長の細谷佑司さんが、教職員しか入手できないこのビデオを私たちのために用意してくれていました。はじめてこれを見てまずこういう自衛隊の存在をアピールするものが子どもたちを対象に作られていること自体に驚きとショックを受けました。まだ学校までこれが配付されてはおらず(奈良県では)先生の中でこのビデオの存在を知って人はわずかなようですが、これが出回るようになったらきっと大きな社会問題に発展するでしょう。さて、今見たこのアニメビデオですが、カセットの裏に書いてある説明を読むと、「ある日マモル、ダイスケ、ユリコに届いたテレビゲーム「ディフェンス3」。そのゲームの目的は、平和な国をつくりあげること。しかし、どうすれば良いのか戸惑う3人。ゲームを進めていくうちに、自衛隊の活動や日本の防衛力、そして平和について学んでいく。陸・海・空3つの防衛力でユリエ国の平和を守れ!ピース!」とあります。そして中身は、自衛隊の幹部とおぼしき戦闘服を着た隊員が、こどもたちに呼び掛ける設定になっています。ある架空の国カラカラ国は戦闘的な国で巨大な軍事力を保持し外交的交渉をいっさい否定している。その隣のグリーン国には防衛力(軍隊)がない。さて、カラカラ国が問答無用に攻めてきたらどうするか、防ぎようがないではないか。そのためには最低限の自国を守る防衛力が必要だ。それでこそ、平和が達成され、国際貢献ができるのだ、という論調です。いかに軍備することが平和につながるのだと巧みに子どもたちを誘導するやり方には確かに感心させられました。なるほど、これを見たらこどもたちは戦力を持つことに何も疑問を持たないようになるかもしれません。さらにビデオは国際的な軍事協力も大切だと言い、中でもアメリカと協力することの意義がが強調されています。つまりこれは、今回のアメリカのイラク侵略を正当化し、自衛隊のイラク派遣は平和のための国際貢献だということを子どもたちに洗脳する広報ビデオなのです。いったいアメリカが過去どのように他国(弱小第三世界国)を侵略し支配してきたかについては、もちろん、いっさい言及しません。ましてや、大日本帝国が過去自国の自衛という名目でどんなに中国やその他の国に対し戦争を起こし支配してきたかについても言及しません。はっきり言って、いまの日本はアメリカの軍事基地だと言っても過言では無いでしょう。なにしろ、この国には米軍基地や演習場、関連施設など300以上もあるのです。しかも核ミサイル装備されていることはもう常識になっています。それが日本の周辺国にとってどんなふうに写っているか、どんなに脅威か、日本人ほど鈍感な国民はいないかもしれません。早く私たちも戦争中毒アニメフィルムを完成させなければ。

木曜日, 1月 13, 2005

1月13日

オーストラリア・シドニーから書いてます。多分外の気温は30度を越すでしょう。湿気が無いせいか日当たり以外はそれほど暑くるしいという感じではありません。いまお邪魔している家は、シドニーの郊外、ペナントヒルズという中級から上級の住宅街にあります。医療研究者のフィリップとビデオ監督のマーサ夫妻、そして息子さんのルシアンの3人が住んでいます。日本からインターネットで受け入れ先を呼びかけたらこころよく引き受けてくれた平和活動家一家です。今回のオーストラリア旅行の第一目的は911のビデオをなるべく多くの人に広めること、そしてもちろんいろいろな素晴らしい人と出会うこと、これがもっともうれしいことですね。フィルとマーサはまさに自由に生き、積極的に活動している人たちです。今晩、さっそく知り合いを集めて上映会を企画してくれました。夏休みでみんなバケーションでるすなのよ、とマーさが申し訳なさそうに言っていましたが、10人くらいは集まりそうでみなさんの反応が楽しみです。昨夜はひさしぶりに蚊に悩まされました

日曜日, 1月 09, 2005

1月9日

渦(うず)理論というのがあります。世界(宇宙)が無から生じたとき、もとに戻ろうとする力が渦になった、と言われます。だから渦はつねに中心に向かおうとする。その力、エネルギーが生命を生んだのだそうです。ですから、渦はすべての根源的なかたちです。原子も素粒子も、電気、雲、アミノ酸、虫、ウイルス、ピラミッド、地球、銀河系・・・・すべて、渦なのです。私たちの意識も渦だそうですよ。これを最初に発見したのは、数千年前の中国人です。易学です。つまり陰陽論ですね。これがいま行き詰まった現代科学文明を根底から救ってくれる哲理だという予感が今しています。