金曜日, 6月 29, 2007

6月29日5000万人

いま連日国会で大騒ぎしている年金問題。なにしろ5000万人ぶんの年金記録が消失していたのですから、これは大問題であることは明白です。その責任を政府や担当諸官庁に問うことはできます。でも、たぶんそれは虚しい結果しか得られないでしょう。なくなったものはもう戻らないからです。

もうそろそろこの国民は、美しい国日本という幻想から目を覚ます必要があるでしょう。とくに、戦後民主主義という幻想・・・政府は国民の代表するものという幻想から。国民を欺き、コントロールすることしか考えていない権力集合体が実体ではありませんか。

5000万という数字はじつに驚くべき数字です。じっさい、ほとんどの人にはその規模や影響をリアルに想像することさえ難しいでしょう。

そのような数は、民主主義という概念とは両立できません。民主という意味が、5000万という数字に埋まれてしまいます。

人間が、本来あるべき自由で平和な存在であるためには、どのような”民主主義”が必要なのでしょうか。

でも、そのような政治社会システムの概念を探求することよりも、まず、個々の、ひとりひとりの「生きること」の意味をあらためて問い直すことが急務なのかもしれません。

5000万の中のひとりという存在・・そんなちっぽけな人間存在にしてしまったのは、すべて私たちの責任です。

水曜日, 6月 13, 2007

6月13日やっと雨が

この週末にかけて、やっと待ちに待ったまとまった雨が降ってくれました。ありがたい。おかげで、田んぼは息を吹き返し,夏の野菜苗も元気を取り戻しました。先週、一番上の棚田にある苗代が、ついに水がなくなり乾燥しはじめてしまったので、裕太くんと苗を土ごと一番下の田の苗床に移すという”苗救出作戦”をしました。今年の梅雨入りはまだまだのようです。

この二日間、水がたっぷり溜まった田を代掻きし、埼玉からきてくれたコメくん、陽子ちゃんも手伝ってくれて、クロヌリも終えました。これで、いちおう田植えの準備はできました。

でも晴れがつづいたお陰で、収穫した小麦を天日干しできたし、タマネギ、ニンニクの収穫も終えました。きょうは裕太くんが小豆を蒔くために耕耘機で畑の準備をしています。ゆみちゃんは昨日もうすでにポタポタ落ちている梅を拾って、梅干しつくりの準備をはじめました。もうそんな季節なのです。

ハワイで習って来た”ホ・オポノポノ”プロセスを毎朝起きるとすぐ実践しています。これは、主に祈りと呼吸のプロセスです。気のせいか、まだ2週間ですが、心身ともにリフレッシュしているように感じます。この"HA"ブリージングという呼吸法は、簡単なので、まわりの人に教えてあげています。その効果はロスアンゼルスから帰りの飛行機で早くも現われました。レンさんのクラスで、この呼吸法は時差の影響を消してくれると教わったのです。13時間もの長い飛行時間、そしてさらに成田から鴨川まで3時間の電車となれば、どうしたって時差と旅の疲れで体調がおかしくなるのは当然です。ところが、翌日からまったく普段の生活に戻ったのです。ロスアンゼルスとの時差17時間が消えてなくなりました。これには自分もびっくりしました。

レンさんの説明によると、”HA"ブリージングによって聖なるエネルギーがからだに取り込められます。すると、まるでそこだけが周りから隔絶されたエネルギー場になり、時間と空間のエネルギーに影響されなくなるのだそうです。

これは”気”のせいでしょうか。そうです、まさに”気”のせいです。

日曜日, 6月 03, 2007

6月3日麦刈り

昨日からの好天日和を幸い、麦刈りを始めました。今年のアオバ小麦の出来は上々。パン用としてたっぷり1年分は確保できそうです。梅雨に入る前に刈り取って、乾燥させ脱穀しないと大変なことになります。いつだったか、雨続きで結局ほとんど穫れなかった年もありました。このまま天気がつづけば、2〜3日で脱穀できるでしょう。刈るときにもっともやっかいなのは、麦に巻き付いている雑草、カラスノエンドウという蔓科の草を1本1本取り除く作業です。普段から雑草とりをまめにやっていればいいのですが、自称手抜き自然農法でとんとほったらかしだったものですから、今になってツケがまわってきたのです。青空の下での麦刈り、こどもたちも手伝って、とはなかなかいかないけれど、一緒に遊んで、本当に気分最高の一日でした。

でも、田んぼの方は雨がないと困るのです。まだ稲苗は10センチくらい。水がなくなるとピンチです。ということで、この時節はとても複雑な心境になるのです。

今年の春は、思っていたほど暖かくならず、とくにこの山間部は鴨川でも水が冷たいところで有名らしく、先日知り合った地元のおじさんから言われたほどですが、そのせいか苗の成長が芳しくありません。稲の苗を全滅してしまったとある友人は言っていました。でも6月ですから、そろそろ夏日のような日がつづくでしょうからだいじょうぶでしょう。

先週末、たった3日間のあわただしい旅でしたが、ハワイの伝統ヒーリング、ホ・オポノポノのクラスを受けにロスアンゼルスまで行ってきました。この3月にハワイで会ったヒュー・レンさんのクラスがあるというので急遽行くことにしたのです。あれからレンさんに言われたことが頭を外れず、これはもう一度レンさんに会って確かめないとどうしようもないと思っていたからです。

会場はロスアンゼルス郊外のカラバサスという高級住宅地にあるヒルトン・ガーデンというホテルの一室でした。朝10時から午後5時まで、緊張感あふれる二日間のクラスでした。参加者は約50人、なんとなくスピリチュアルな世界の人たちが集まったという雰囲気です。日本からくる人はいないだろうと思っていたら、ベティさんというハーフのひとが友人から勧められたといって来ていました。

レンさんはすぐ僕に気づいて「よく来たね。ありがとう」ととても喜んでくれました。気が詰まるような、非常に内容の濃い、そして驚きと意外な二日間が終わって、本当に来てよかったと思いました。教えてもらったことをどこまで実践できるか、わかりませんが、非常に重要な意味深いメッセージが託されていることは感じています。

クラスの最後に、レンさんにお別れのあいさつを言う際、前から気になっていたことを訊ねました。「3月に会ったときに蘭が私に見えると言っていましたが、それはどういう意味なんですか」「あれは、うす紫という色を象徴しているんだよ。優雅さという意味だ。とても崇高なものだ。君は大きな責任を負っているんだよ」

その責任をどうとるのか?そして、なにに対する責任なのか?まだまだ真理への探究の道のりは険しく先が長いです。

土曜日, 5月 05, 2007

5月5日平湯温泉

この連休は、ゆみちゃんの講演に付き添って富山と長野に家族旅行してきました。そこでもっとも印象に残ったのが、富山のイソップさんがすすめてくれた平湯温泉です。富山市で活躍されている素晴らしい方々との出会いのあと、バスに乗って奥飛騨連峰のそそり立つ谷あいを進んで、雪を抱く山並みの景観を楽しみながら、1時間ほどで当地に到着。よほど冬のあいだに積雪があったのか、町のあちらこちらに山のような雪が残っています。気温は10度以下で、震えるほどではないですが、じっとしていると冷えるといった感じ。近くのカラマツ林の遊歩道を歩くとフキノトウがあちこちに芽を出していました。

いつものように私たちの旅はできるだけシンプルにということで、温泉街でただ一軒しかないという民宿を予約していました。ところが、これが予想に反して大当たり。

その2階にはかけ流しの露天檜風呂が家族貸し切りであって、しかもその隣が私たちの部屋だったのです。温泉とくに露天風呂には目がない私たちは朝から温泉三昧。しかも当夜は満月という設定で、雪山を眺望しつつ、湯に身を浸す・・これ以上の贅沢は、考えられません。日本人に生まれてよかったなあ、と実感したふたりです。

いつも思うのですが、こういった露天風呂を味わうという日本人の伝統文化は、数百年という長い時間をかけて古人が培ってきたものですね。それは、何気ない風呂場の檜の柱や壁板、お湯の流れ出るところの岩や竹、木の巧妙な細工、そして外国では絶対見られない箱庭のような流し場のつくり、どれをとっても歴史の時間の流れに洗練され選択されていった侘び寂びの絶妙なアートです。それが単なる建物とか絵画彫刻ではなく、自然の湧き出る湯を楽しむという風情ある自然との会合に昇華させたのは、先人たちのお陰です。感謝!

翌朝、いつも6時前には目が覚める私は、ざぶんと朝風呂にしゃれこみました。その日はまったくの快晴で、ふと山並みを見上げると昨日は気づかなかったのですが、はるか遠くに天を突き刺すように真っ白に輝く山が目に映りました。エベレストを思い起こさせるその姿があまりにも見事だったので、ゆみちゃんを呼んでふたりでゆっくり観賞させていただきました。

私はかっこからてっきり槍ヶ岳だと思っていたのですが、あとで宿のご主人に訊いたら、笠岳だと教えられました。

露天檜風呂と満月と笠岳。また訪れてみたい思い出の地です。

木曜日, 4月 26, 2007

4月26日ミツバチの受難

それは最初アメリカで昨年の秋から顕著になりました。ミツバチが忽然と姿を消す現象があちこちで発生し、いまでは全米の半数の州で問題になっているのです。西海岸の商業用飼育ミツバチの60%がすでに無くなり、東海岸では70%にもなっています。さらにヨーロッパ(ドイツ、スイス、スペイン、ポルトガル、イタリー、ギリシャ、イギリス)も大きな打撃を受けているようです。

その本当の理由は、まだ誰も分かりません。ダニ、寄生虫、温暖化、遺伝子組み換え植物なども考えられましたがどれも説得力がありません。

これは4月16日のインデペンデンス紙(英国)が報道した記事です。

それによると、ミツバチがいなくなるのは、なんと携帯電話の電波が原因だというのです。
つまり、電磁波が原因だというのです。

じつは、この時期はミツバチの分蜂が盛んになるのですが、我が家には例年ならうるさいほど飛び回っているミツバチの姿さえほとんど見かけません。最初は、気温がまだ低いせいなのかなと思っていましたが、それにしても昨年から急激に群れが減っているのは異常です。

そしてこの記事を読んで合点がいきました。この1〜2年のあいだに携帯電話の発信塔がそこら中に立ち始めたのです。この近くにも昨年ついに立ってしまいました。ミツバチ群が姿を消した時期とぴったり重なるのです。鴨川で養蜂をやっている友人の桑原くんに訊ねたら、やはり数が減っていると言っていました。

ドイツの研究では、以前から高圧電線の近くではミツバチが異常な行動を起こすことが知られていました。じっさい、巣箱の近くに携帯電話を置いておくとミツバチは決して巣に戻らないそうです。すでに90年代に電磁波の影響に関する研究をアメリカ政府と携帯電話会社の依頼で行ったジョージ・カーロという科学者は「今では電磁波が原因だと確信している」そうです。

電磁波の危険性については、以前から多くの科学者たちから警告がなされてきていますが、もちろん政府と業界は危険性は「科学的」に実証されていないと切り捨て、その結果として今全国で例の発信塔がニョキニョキと立ち並ぶという恐ろしい状況になっているわけです。日本にも「電磁波なび」という、市民グループがつくったサイトがあるのを最近みつけました。そこで、電磁波の安全性は科学的実験で実証されているという業界の実験内容を見て唖然としました。細胞に電磁波を40日間浴びせてもなんの異常が起きなかったから人体にも「安全」だと主張しているのです。この研究者と会社は本当に電磁波の安全性がそんな杜撰な実験で実証できるとこころから信じているのでしょうか。

ミツバチの突然の世界的な消滅はもっと深刻な問題に発展する可能性が大きいです。農業植物の受粉はほとんどミツバチの働きによるものだからです。それがなくなったらいったいどうなるのでしょう?

・・・・とここまで書いて、今日なにげなく朝日新聞を手に取ったら、「天声人語」でこのミツバチ大量失踪事件のことが書いてあるではありませんか。ところがその原因は不明として、インデペンデンス紙記事の電磁波の影響ではないかということは書いていませんでした。天声人語の書き手は、この記事のことを知らないはずがありません。ただ、書けなかったのでしょう。電磁波の危険性を少しでもほのめかせば、その余波は大きく、大問題になることは間違いないからです。この人は怖くて書けなかったのですね。

ところが、ふと朝日の同じ1面の上段に目をやると、そこには大きく「送電線の磁界規制へ/経産省・国際基準と連動」と書いてあるではありませんか。送電線など電力設備の周りに生じる磁界について、経産省はWHOなどの基準に合わせて規制する、というものです。これは、言葉を濁しているものの、はっきり言えば、電磁波の人体への影響が各国で問題になりつつあることで、政府も重い腰を上げざるを得なくなったということです。

ミツバチが人間に身を挺して危険を訴えているのですね。

日曜日, 4月 08, 2007

4月8日クロ塗り

今日は雨上がりの素晴らしい春日でした。午前中に杏菜を近くのグラウンドに送って行くと、入り口が満開の桜並木になっていて、通る人を花のトンネルで包み込むような感じで、すごい贅沢な気持ちにさせてくれました。

午後は、しばらく放ったりかしになっていた田んぼでクロ塗りにとりかかりました。田んぼの壁面を土で塗り込めて水止めしますが、房州ではそれをクロ塗りと言います。代掻きをやって柔らかくなった土を鍬ですくうようにして塗り込んで行きます。毎年この作業をやるのが今の時期で、木々の若芽や若葉が陽の光に輝く美しい風景を堪能しながら
のクロ塗りはまさに至福のときです。

稲作りを始めてかれこれ10数年になります。畑で野菜を育てるのも、土や花や虫たちと一緒になって、自然と戯れるという平和な境地になれますが、田んぼで稲をつくる場合は、そのひとつひとつの作業すべてが自然の奥深くと繋がる感覚になれるのです。稲作りと言うとひとびとはどのように収量を増やすかという議論になってしまいがちです。もちろんたくさん穫れることには越したことはありませんが、稲作りはもっと奥の深い、スピリチュアルと呼んでもいい神聖な境地に導いてくれるのです。そんなクロ塗りから始まる一連の田んぼつくりの妙味は、やってみないと分からないでしょう。

木曜日, 4月 05, 2007

4月5日バハカリフォルニア

メキシコ領バハカリフォルニアは未開発の自然溢れる素晴らしい地域で、そこにあるサン・イグナシオ・ラグーン(潟湖)は絶滅が危惧されるコククジラ(Gray Whale)の繁殖場として知られています。ここはコククジラが子どもを産む地球で最後の残された聖域なのです。

Grey Whale JPG

一昨日、アメリカの大きな環境団体である天然資源保護委員会(Natural Resources Defense Council/NRDC)からうれしいニュースが届いていました。メキシコ政府がこのラグーンを含む109,000エーカー(1億3千万坪)という広大な土地を保護地域として提供することを決定したというのです。この団体は絶滅が危惧される動物を保護する運動で世界的に知られていますが、長年のコククジラ保護運動がやっと実ったわけです。これでクジラたちもひとまず一安心。

バハカリフォルニアは以前あることで関わり私にもとても馴染みのあるところなのです。

Baja Map JPG

1990年ころ、私はゴルフ場問題グローバルネットワークという文字通りの国際環境団体の世話人をやっていて、日本はもとより海外のゴルフ場開発問題に関わっていました。おかげで、東南アジアやハワイ、アメリカ、ヨーロッパを旅し自然豊かな地域を訪れ、観光開発問題に取り組む活動家や知識人、そして自然と共存している地域の人たちと交遊できたことは一生の財産になっています。

ある日、ロスアンゼルスのプロ・エステロスという環境団体から1通の手紙をもらいました。「メキシコのバハカリフォルニアに日本の鹿児島にある岩崎産業というディベロッパーが、広大な土地を買収しメガゴルフリゾートを開発しようとしている。当地は生態系の聖域で、その広大なエスチュアリ(河口潟)は渡り鳥の貴重な生息地で、とくにラグーンはコククジラの繁殖場でもある。もし、ここが開発されたらそれは全生態系にとって壊滅的な結果をもたらすであろう。私たちはメキシコ政府をはじめ国際的にこの開発計画を止めるために運動しているが、どうか日本人にもこのことを知ってもらい協力してほしい」という内容でした。たまたまロスアンゼルに行く用事があったので、この環境団体の人たちと会って詳しい情報を手に入れることができました。もちろんバハカリフォルニアのことを知ったのはそれが初めてでした。たまたま兄がメキシコ在住だったので、現地やメキシコ政府側の状況なども調べてもらうことができました。

当時の日本はバブル経済で、まさにネコも杓子も土地投機に狂騒していた時代でしたね。私はさっそくゴルフ場開発問題に関わっている鹿児島の仲間にこの岩崎産業という会社を調べてもらい、同時に新聞社やニュースレターにこの情報を流しました。驚いたことに、この会社は奄美大島でゴルフ場開発をしようとしてすでに現地で大騒ぎになっていることがわかりました。いわゆる悪質な乱開発業者だったのです。なんとか朝日新聞の記者が記事にしてくれました。しかし、当時は日本列島総リゾート開発ブームで、なんとゴルフ場開発計画だけでも1000カ所もあったのです。じつは私が住む鴨川市でも5カ所のゴルフ場とマリーナ建設計画が持ち上がっていて(私が環境問題に関わるようになったきっかけがこれでした)、全国そのような似たり寄ったりの状況でしたので、バハカリフォルニアのことは実際にはそれほど人びとの関心を呼ぶことはなかったようでした。あの時代は、今から思うと、環境を守るよりも、バブル経済でいかにお金を儲けるかということの方にひとびとの心が捉えられていたようです。やがてバブル経済が弾け、幸いなことにこの岩崎産業がどうやら経営的に危機に陥ったようで、奄美大島とバハカリフォルニアの開発計画から手を引きました。

実は今回のニュースで知ったことですが、その後あの三菱がここに大製塩工場を建設しようとしていたのです。つまり日本企業が10数年間もの間、この世界で唯一残されたコククジラの生息地を脅かし続けていたのです。日本人がまだまだエコノミックアニマルと思われているのは仕方ないでしょうね。

金曜日, 3月 23, 2007

3月24日クシニッチがブッシュ弾劾?

昨年11月のアメリカ中間選挙で野党民主党が大躍進し、これでブッシュ政権もいよいよ死に体かと期待されたのですが、多くのひとたちの予想に反して、肝心の民主党自身がフラフラとブッシュ政権との直接対決を避けるようなことばかりやるのでがっかりしている、というのが大方の見方です。

ブッシュ大統領とチェイニー副大統領を弾劾しようという声はだいぶ前から議会内でも上がっていて、とくにこんど議会司法委員会の委員長になったジョン・コンヤーズ議員などはその最先端でがんばっています。ところが民主党のペロシ議長が弾劾はあり得ないと中間選挙の直後早々に宣言してしまったので、それで弾劾運動は腰砕けのような感じになっていました。

ところが、一昨日おどろいたことに、あのデニス・クシニッチが「こうなったら戦争を阻止するには、ブッシュたちを弾劾するしか方法がないのかもしれない。どうだろう、みなさんの意見を聞かせてくれ」と呼びかけたのです。

すると、シンディ・シーハンがすぐ以下のような公開書簡をデニスに送りました。(それを訳しました。)

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親愛なるデニス

世界に多大な死と破壊をもたらすことになった「恐怖と畏怖」から4周年記念日にこの手紙を書いています。
わたしたちは、あなたがイラクへの侵略と占領に反対してとった勇気ある行動とイランへの侵攻を止めようとしている努力に感謝します。
3月15日の議会で、あなたはイランへの先制攻撃がいかに間違っているか、いくつかの理由を正しくあげて、さらなる軍事行動も辞さない構えのブッシュ政権を阻止するためには、「弾劾」しかないかもしれないと発言しました。
イラン侵略は避けるべきだと言うあなたのあげた理由は、ジョージ・ブッシュたちがイラクへの不法で社会的倫理に反する侵略と破壊的占領に対して弾劾されるべきという理由とまさに同じです。
弾劾をこの110回議会の最初の優先議題にすべき理由は重々ご承知でしょう。
戦争開始以来5年目にあたり、何十万人が死に、国は破滅状態であるのに、われわれの憲法と人間性に反する犯罪には終わる気配もありません。
じっさい、ブッシュ政権は暴力をさらにエスカレートし、議会にそのためのさらなる大きな予算を要求しています。
この国とこの惑星の関心ある私たち市民は、あなたに一刻も早く弾劾法案を議会に提出して、この統治するだけで奉仕しない政府を阻止することを要請します。
ブッシュ政権の罪を逃れている犯罪のために、アメリカ合衆国は世界中で憎まれ非難されています。この過ちを正し、アメリカをふたたび希望と尊敬をもって迎えられる国にするには、わずかな機会しかありません。
アメリカ国民と世界があなたに期待しています。どうか期待を裏切らないでください。

シンディ・シーハンと関心ある市民たちより

火曜日, 3月 20, 2007

3月20日親業

きょうは、杏菜ちゃんの卒園式でした。ほんのこの前入園式をやったとおもっていたら、もうこんなに成長していたのですね。この数年、毎日送り迎えをしてきた私も卒園式です。

毎朝起きると台所の寒暖計を見るのが日課ですが、このところ毎日零度以下です。3月ってこんなに寒かったのでしょうか。地球温暖化が叫ばれていますが、確かにそうかもしれません。この2月は異常に暖冬だったそうですね。先週アメリカから帰って驚いたのは、いつもは冬になると必ず枯れてしまう庭のレモングラスが青々と茂っているではありませんか。昨年蒔いた小麦もなにか例年に比べると、背が高いようです。今日桃のつぼみがもうふくらんで明日にでも開花しそうになっているのに気づきました。

温暖化問題については、賛否両論があって科学的データの取り方でまったく異なる結果が出てしまいます。地球規模の温度変化測定はじっさい非常に難しいことだそうです。確かに北極の氷山は融けて来ていますが、南極では逆に増えているそうなんです。ただ確実に言えることは、地球規模で気候変動が起きていることだけは確かなようです。

さて、2ヶ月も留守するともちろんやる仕事がたくさん溜まっていて、それこそなにから手を付けていいものやら途方に暮れている状態。毎冬来てくれる留守番役のアコちゃんが、薪をたくさん用意してくれていたのでこれは大助かりです。

田んぼに水を入れる前に、周りの杉の木を切らなければいけないので、これが仕事始め。大家さんがたぶん30年前くらいに植林した杉が大きくなって田んぼの周囲を暗くしているからです。チェーンソーだとものの1分も掛からずに切り倒せてしまいます。何本も切って行くと、さすがになにか罪悪感を感じてしまうので、ときどき休んで、木に話しかけながらやっています。山の急な斜面ですから、足場が悪く、気をつけないと危険な仕事です。

さて、この日曜日は、友人で親業シニアインストラクターの瀬川文子さんの講演を鴨川の城西大学キャンパスに聴きに行きました。親業というのは、親とこどものコミュニケーションを効果的にとっていくための親のトレーニングと言っていいでしょう。

瀬川さんの話しには、身につまされるような非常にためになる言葉がちらばめてありました。親業は親とこどものコミュニケーション技術ですが、もちろんそれだけではなく、夫婦や他人とのコミュニケーションにも同じように適応できます。

私たちはなにかこども(相手)の行為を見て嫌だ、困ったと感じたとき、それをこども(相手)の問題だとして、反応しますね。「まあ、どうしてこんなことをするのか」と、まず怒りがきます。でも、それはよく考えると困っていて嫌だと思っているには、私本人なのですね。それを「ダメ!」とか「なぜするのか」というように言ってしまうと、その瞬間こどもとのコミュニケーションは途絶されてしまうのだそうです。

そこで大事なのは、相手の行動によって、私がどのように影響を受けるのか、そして、これが最も大切ですが、私がどのような気持ちになっているのかを伝えることだと言うのです。あなたがどうこうしたから、のではなく、私がどう感じているのかを伝えることで、つまり怒りの前の感情ですが、こどもが安心して心をひらきコミュニーションが途絶えることなく続いて行くのだそうです。
要点は、いかにこどもとの会話をつづけるかがポイントだそうです。こどもに命令、説教、提案、理屈、脅迫、非難、ほめる、激励、尋問、ごまかす、などという対応をするとその瞬間コミュニケーションが止まってしまいます。
それではどうしたらいいのかと言うと、それが実に簡単なことで、相手の言ったことを繰り返す、だけでいいのだそうです。

こどもが、「こんなにたくさん宿題できないよ」と悩みを訴えて来たら、「勉強するのがあなたのするべきことでしょう」など頭ごなしに意見や命令などするのでなく、「そう、たくさん宿題がでちゃったんだ」とそのまま返してやるのです。
するとこどもは、話しを聴いてもらえると思って安心しほっとします。そしてなにが次に起きるかと言うと、聞いてもらえることで、こどもは自分の悩みを整理しやすくなり、こころが落ち着いてきて、自ら解決の糸口をみつける力を発揮できるようになるそうです。

「うん、でもなんとかやってみるよ」というふうに、こどもは自分で解決法を考えられるのです。

悩みの答えは、悩みそのものの中にあるのです。子どもが安心して親と会話する中で自然と解決法がこどもに見えてくるのですね。

そこには、たぶん、こどもの能力を信頼するという気持ちも必要でしょう。

瀬川さんは、子連れのご主人と結婚されたので、いわゆる継母だったわけです。もう思春期の娘を突然もつ母親役を演じることになって、彼女は精一杯母親として出来る限りのことをやったつもりですが、娘さんは反発し、完全な親子断絶になって口もきかなくなってしまいました。瀬川さんは愛情が足らなかったのではないかと深刻に悩んだそうです。そして幸いなことに親業と出会うことで、親子のコミュニケーションがとれるようになり、それ以来人も羨むようななんのわだかまりもない親子関係が維持できているそうです。

瀬川さんは、じつは愛情が足りなかったのではなくて、愛情を伝えるコミュニケーションのスキルが足りなかったのだと後で気づいたそうです。そして、過去と相手は変えられないが、自分と未来は変えれることにも気づいたそうです。

こどもはいろいろな悩みを抱えるものです。それを忍耐強く聴いてあげることが大事だと言います。

我が子たちを観察していると、感情は一過性だとつくづく思います。そこを思いやって肯定的な感情表現をしてやると、こども(相手)は即変化して行きます。
「そうしてくれるとパパは助かるよ。うれしいな!」というふうに。

そういえば、日本の男性はいかに感情表現が下手か思い知らされます。
誰もが、心の悩みを聞いてくれる相手を求めているのだと思います。この親業は人間関係を上図にはかっていくための貴重なテクニックです。平和省プロジェクトでも瀬川さんの話しをしてもらいたいですね。

土曜日, 3月 10, 2007

3月9日イラン問題

アメリカのブッシュ政権がイランとの戦争を準備しているとさまざまな論評が飛び交っていますが、今日のガーディアン紙に掲載されたノーム・チョムスキーの記事に興味ある視点が書いてありました。

ブッシュ政権とメディアは、イランのアフマディネジャド大統領を悪の権化のように非難しています。例えば、彼がイスラエルは存在すべきではないと言ったという記事が大きくセンセーショナルに西側メディアでは報道されています。
ところが、イランの大統領という立場は、私たちが一般に考えている大統領とは、ずいぶん違うことを理解しないといけません。これはイスラム教国家の政治文化を理解しないと分からないことですが、イスラム教では、アラーの神の教えを日常社会に実践することがもっとも崇高な生き方とされています。イスラム社会では政教分離などという思考はありません。したがって、政府とは、それ(神の教え)を手助けする機関であって、もっとも権威を持つのはイスラム教の最高組織なのです。
現在その最高位にいるアヤトラ・アリ・カメネイ師が最高権力者と言っていいでしょう。そのカメネイ師が、イスラエルがパレスティナとの紛争問題に国際的なコンセンサス案を受け入れるのであれば、イスラエルとアラブ諸国との関係正常化に務めると、イスラエルの存在を認める発言を公式にしているのです。
ところが、西側のメディアはいっさいこのことは報道しないで、アフマディネジャド大統領の挑発的な言葉ばかりを取り上げています。
これらの相反する発言は、イランの政治内情を考えれば推測できることですが、たぶん経済不振で国内問題を抱えるイラン政府は国民に対してはタカ派的スタンスを取らざるを得ないのではないでしょうか。政治外交レベルと宗教外交レベルの二枚舌外交でバランスをとっているのでしょう。イラン人はなかなかしたたかです。

事実イランは2003年に、経済制裁を課して敵視外交をつづけるアメリカ政府に対し、核問題やイスラエル・パレスティナ問題などすべての懸案事項に対して交渉をする用意があるとワシントンにアプローチしているのです。ところが、ブッシュ政権はこの提案を握り潰してしまいました。
2004年には、今度はEUがイランとの交渉で、イランが核濃縮プロジェクトを放棄する代わりに、EUは、アメリカ・イスラエルのイラン攻撃を阻止するという一種の安全保障協定を取り決めました。しかし、あきらかにアメリカの圧力でこの約束は反古にされ、イランは核濃縮を再開してしまいました。

チョムスキーは、イランの核兵器開発を本当に避けたいと思うのなら、このEUとイランとの取り決めをワシントンに納得させ、実質的な外交交渉のテーブルにつかせることが大事だと締めくくっています。そうすることで、イランが国際経済の仲間入りを果たすことができると。

金曜日, 3月 09, 2007

3月8日ハワイの歴史

ハワイの滞在もあと数日になりました。ハワイがどのようにアメリカに合併されたのか、その真相を知る人はアメリカや地元ハワイでもあまり多くありません。最近出版された"Overthrow"(ステファン・キンザー著)という本がその詳しい過程を教えてくれています。

19世紀末まで、ハワイ諸島(当時はサンドウィッチ諸島と呼ばれていた)がハワイ王朝が支配する独立国だったことはよく知られています。そこにアメリカのニューイングランド地域から、キリスト教布教にたくさんの宣教師(ミッショナリー)たちがやって来ました。彼らとその子どもたちは、ハワイ先住民たちがやっていたサトウキビ栽培が大きな利益を生むことに目をつけ、巨大なプランテーションを作り上げて、アメリカに輸出することで巨大な富を築きました。

ところが1980年代はじめにアメリカが砂糖輸入に高関税を課したため、ハワイの砂糖は事実上売れなくなってしまい、プランテーションのオーナーたち(宣教師たち)は財産を失う危機に瀕し大騒ぎになりました。

そこで彼らはワシントンに出向き、ときのベンジャミン・ハリソン大統領に直訴して、ハワイ王朝への反乱を支持するよう取り付けました。ハワイに戻った「革命支持者たち」(プランテーション宣教師たち)は、アメリカ大使とアメリカ海軍と示し合わせて、王政の政情不安定という口実を唱えて勝手に新政府宣言を行い、ハワイ市民の安全擁護のためという理由で海兵隊を招き入れてしまいました。当時のハワイ王朝の女王が対抗手段を取る前に、アメリカ政府は即このハワイ新政府を承認してしまったため、事実上ハワイ王朝政府は消滅し、ハワイはアメリカ軍に擁護されたプランテーションのオーナーたちが牛耳る新しい独立国となったのです。

しかし、この革命騒ぎの真相がワシントンに明らかにされたことから、連邦議会は強引にハワイをアメリカ合衆国の植民地にするハリソン大統領のハワイ併合法案を却下してしまいます。ハワイはその後数年間独立国として存在せざるを得ませんでした。というのは、次の民主党グローバー・クローブランド大統領が反帝国主義者でハワイ併合に反対して協定を破棄してしまったからです。そして,次の共和党大統領マッキンレーの代になると、フィリピンを取ろうとするアメリカが、スペイン・アメリカ戦争を始めていて、ハワイはカリフォルニアとフィリピンとの中間に位置する重要軍事拠点とみなされ、革命事件から5年経ってやっとハワイは併合されることになります。

この"Overthrow"(転覆)という本は、アメリカが関わった政府転覆の仕方には、ひとつのパターンがあることを主張しています。それは、通常考えられている、軍が何らかのかたちで介入して、あとからアメリカのビジネスが入って行くと言うのではなく、その逆だと言っています。ハワイ、キューバ、フィリピン、グアテマラ、チリ、ホンデュラス、南ベトナム、アフガニスタン、イラク、パナマ、イラン,プエルトリコを例にとってアメリカがどのように外国政府を転覆させてきたか、その構造を分析し、その結果として、それがどのように世界情勢に影響を与えてきたか述べています。

日曜日, 3月 04, 2007

3月3日ホーポノポノ

ハワイ島コナにいます。

ここは火の神ペレがいるところ。そのお膝元のボルケーノに先週行きました。ハワイ先住民に伝わる癒しの秘術ホーポノポノを教えているDr. ヒュー・レンさんと会うためです。

レンさんはもともと精神科医で、精神医療を必要とする犯罪者の州立病院で働いていました。

「私は大学や病院で25年間精神学を勉強してきました。しかし、ショックなことに、実際にそれらの知識や技術は、現実の病院の囚人たちにはまったく意味を成さなかったのです。そして、ハワイの伝統的な癒し、ホーポノポノを教えるカフナ・シメオナに出会い、人生が一変したのです」

なにが起こったのでしょう。レンさんがホーポノポノを始めてから奇跡が起きたのです。つぎつぎと犯罪者たちが精神的に立ち直り、一人去り二人去りして、ついにはその病院が閉鎖されてしまったのです。

現われたレンさんはどうみても日本人にしか見えません。温和な言葉付きでユーモアにも溢れています。

「いま起きているすべてのことはあなたが起こしているんです。あなたにすべて責任があるんです。ですから、すべてを引き受けなさい。ただ、"I'm sorry. I love you."と言えばいいんです。あとは「永遠なるもの」がすべてうまくいくようにやってくれます」と語りはじめました。

「魂はだれでも純粋無垢。だから誰にでもそこに神を見なければいけません。汝の敵を愛するんです」

ホーポノポノのホームページには、以下のように書いてあります。

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Dr. イハレアカラ・ヒュー・レンさんの言葉

ホーポノポノは本当はまったくシンプルです。
太古ハワイ人にとって、問題は考えにありました。
でも、考えそのものは問題ではありません。では、何が問題なのでしょう?
それは、私たちの考えはすべて人や場所や物事のつらい過去を背負っているからです。
知性だけではその問題を解決することはできません。知性はただ管理するだけだからです。
物事を管理することは問題解決にはなりません。それらを無くしたいのです。
ホーポノポノを行うと、聖なる存在がそのつらい考えを浄めてくれるのです。
あなたが人や場所や物事を浄めるのではありません。
あなたが、その人や場所や物事に関わるマイナスのエネルギーを中和させるのです。
ホーポノポノの最初のステップはそのエネルギーの中和作用です。
すると素晴らしいことが起きます。
そのマイナスエネルギーが中和されるだけではありません。
それは帳消しされて、新しい出直しになるのです。
仏教ではこれを「虚空」と呼びます。
そして最後のステップは、聖なる存在にその「虚空」を光で満たしてもらうことです。
ホーポノポノでは、何が問題か誤りか知る必要はありません。
肉体的、精神的、感情的に、どのようであれ、いま経験している問題に気づいていればいいのです。
それに気づいていれば、すぐクリーニングを始めることがあなたの責任です。
それは、「ごめんなさい。どうか許してください」と、そのマイナスエネルギーが浄化されるまで言い続けるのです。

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レンさんに会って以来、その言葉がいつも頭を巡っています。

するとあるアフリカの部族の風習が書かれた記事が目に留まりました。

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南アフリカのバベンバ族の癒し方

ある者が無責任な行為や不正を犯すと、その者は村の真ん中にひとり何も繋がれずに置かれる。

村人はあらゆる仕事や行事を中止し、大人も子どもも、すべて村の真ん中に集まり、問題を起こした者を囲んで大きな輪をつくる。

そして、村の者たちは年齢に関係なくひとりひとり、大きな輪の中心にいる問題を起こした者に対して、その者がそれまでの人生で行ったすべてのよい行為を、大きな声で述べ立てる。

思い出せるかぎりの出来事や経験をあらゆる細部にわたって正確に話すことが求められる。

その者のすべての善行、優しさ、勇気さが注意深く事細かに述べられる。

その者の成し遂げたことや良い面について、誇張したりねじ曲げることは許されない。

すべての村人が、問題の者について思い出せるかぎりのあらゆる良いことを完全に述べ終わるまでこの儀式は終わらず、ときおり何日も掛かることもある。

儀式が終わると、部族の輪が外されて喜びの儀式がとり行われる。

問題を起こした者は、象徴的にまた実質的に部族に迎え入れられる。

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まだやっとスピリチュアルな世界を覗き始めているところです。

木曜日, 3月 01, 2007

2月28日アリアス大統領

1948年に憲法で軍隊を破棄した国ということで、戦争や内紛の歴史に彩られる他の南アメリカ諸国とはコスタリカは確かに一線を画していると言えます。同じ平和憲法を保持しているのに、どうして日本とこうも違うのでしょう。それは日本の場合、新憲法が制定されてすぐ実質上の軍隊である自衛隊が創設され、当然撤退するはずだったアメリカ軍がアメリカの戦略上の理由からそのまま居座ってしまっているからです。日米軍事同盟を日本が固守するかぎりそれは変わらないでしょう。

President Arias JPG

オスカー・アリアス大統領

コスタリカに来てよく耳にしたことは、コスタリカ人がとてもPassiveつまりおとなしい国民だということ。また気づいたことは、この国には英雄が存在しません。どの国にもかならず国民的英雄の銅像があちこちあっていやでも目につくのですが、コスタリカにはどこにも見当たらないのです。それは取り立てて目立つことを非常に嫌うとともに、誰かが特出することもよく思わない、という国民性があるからだとラスール・ファンデーションのリタさんが言っていました。そういう国が、70年代と80年代の内乱と紛争が吹き荒れた中南米の国際情勢にいかに巻き込まれずに平和にくぐり抜けて来れたのでしょうか。それこそ非暴力による紛争解決の鍵なのでしょう。とくに隣国ニカラグア内戦の際は、ニカラグア反政府軍(コントラ)を後押しするアメリカ政府がコスタリカに基地を作ろうといろいろ圧力を掛けて来たのですが、コスタリカ政府はきっぱりと”憲法に則って”拒否しました。このおとなしい国民のどこにそんな気概が隠されていたのか驚きです。

当時その平和外交を国際的に展開したのが後にノーベル平和賞を受賞したアリアス大統領です。その類いなる指導力を買われて現在再び大統領に選ばれています。日本を出る時は、さぞアリアス大統領は絶対的な国民の人気を集めているのだろうと思っていました。ところが、驚いたことにコスタリカではまったく不評なのです。期待していたのにまったく裏切られたという声があちこちで聞かれました。どうやらその理由は、最近アリアス大統領が積極的に進めようとしているアメリカとの自由貿易協定のようです。もしそれが調印されたらコスタリカの文化経済に打撃的な影響を及ぼし、独立性が脅かされるというので、国民の大半が反対しています。

アリアス大統領は現在でも国連を舞台に非武装・軍縮外交を積極的に進めています。もちろん、それは自国の平和憲法を実践している実績があるからこそできることで、実質骨抜きにされた平和憲法をもつ日本が、同じ平和外交をやろうとしても確かに説得力がないでしょう。でも、そのアリアス大統領がどうして国民の大半が反対している自由貿易協定をアメリカと強引に結ぼうとしているのでしょうか。私はそこに、彼が置かれている立場上の苦渋の選択があるのではないかと想像しています。平和と経済を天秤にかけているのではないかと。実際コスタリカには豊かな熱帯林があるだけで、これといった資源も産業もありません。(そのわりには車が多いのには驚きですが、あとで聞いたらみんな見栄で無理して買っているそうです。自動車は100%の関税が掛かるので超贅沢品)そのような貧しい国はおしなべて観光業つまりツーリズム、そしてコーヒーといった換金作物で経済を支えているのが通常です。そしてメディアが決して取り上げないことがあります。それはアメリカ軍基地の存在です。貧しい第三世界の国々を見渡すと、ほとんどの国にアメリカの軍基地があります。言い換えれば、アメリカ軍に土地を提供することで経済が成り立っているところが多いのです。世界のどこを見渡しても、貧しい国は軍事基地とツーリズムでなんとかやっているのが通常です。軍事産業とツーリズムはそのように密接につながっています。でもコスタリカは平和憲法上それができません。アリアス大統領の苦渋の選択はそんなところではないでしょうか。きっとすごいアメリカ政府からの圧力があるんだと思います。基地をとるか、経済をとるか。

Cecilia JPG

コスタリカのアリエス大統領の姉(妹?)・セシリア・アリエスさんときくちゆみ


さて、改憲問題に揺れる日本のことを思うとこころが重たくなりますが、コスタリカでアリアス大統領の妹さんのセシリアさんに会いました。憲法9条が無くなってしまうかもしれないという日本の事情を伝え、なんとかアリアス大統領に日本に来てもらって国会で演説してもらえないかと訊ねると協力しましょうと言ってくれました。実現するよう祈りましょう。

土曜日, 2月 10, 2007

2月9日

中南米コスタリカ首都サンホセのちょっと郊外にあるサンタアンナという小さな町の宿に来ています。山肌のうっそうとした熱帯雨林の中に建てられているすべて木造りのこのマラニョンというホテルはオーガニックで有名だと説明されました。つまり環境にもやさしいホテルというわけです。零下5〜6度だったワシントンDCからこの国へ着いたのですから、もちろんからだは喜んだのですが、なによりもここの大自然とそれに寄り添うように生きているコスタリカ人の雰囲気に、いっぺんに馴染んだと言うのが本当のところです。なんだか鴨川に帰ったような村のたたずまいが懐かしい感じです。

3面がガラス張りの部屋から遠くに山並が見えます。空は真っ青。気持ちよい風がすきまから吹き込んできます。まわりはバナナ、マンゴー、アボカド、パパイヤなどの緑と花でいっぱい。そこをハチドリが鋭い鳴き声で飛んで行きます。昨日はサンホセ中心部に出てレンタカーを借り、にぎわう街を歩きました。最初は普通車を予約していたのですが、地元の人が田舎の道は穴がいっぱいあって車の下をこすっちゃうよと言うものですから、結局スズキ・ジムニという4輪駆動車になりました。ちょっとショックアブザーバーが疲れているようですがまあこんなところでしょう。9日間で保険も込みで375米ドルです。

コスタリカでもっとも感激した食べ物はパイナップル。これまで食べたどのパイナップルよりも味が濃く思わずサラ一杯食べてしまいました。野菜、といっても乾期で数は限られているようですが、どれも新鮮で美味しい。アメリカのサラダはなんとなく物足りなかったのですが、コスタリカの野菜はエネルギーが溢れているといった感じ。

ゆみちゃんは別にスペイン語を習ったわけでもなく、若い頃ちょっとスペインを旅行したくらいなのに、コスタリカ人とぺらぺらしゃべっているんです。これはじつは本人もびっくりしているくらいで、どういうわけかスペイン語がすっと頭に入ってくると言うのです。スペインを旅していたとき、ああここにいつかいた、というDe Javu経験があったそうですが、おかげで大助かりです。なんしろ通訳代が節約できるから。

話は、アメリカでのことに飛びますが、ワシントンDCを離れる最後の日。朝6時のマイアミ行きのフライトだったため、その晩はほぼ徹夜で、朝3時に子どもたちを起こし(もっとも杏菜はなんとか起きましたが真生は眠りから醒めず抱いて)てタクシーに乗せるまでがまず大変でした。前夜から雪が降り出していて道路は真っ白。タクシーはのろのろと慎重に動いて行きます。雪になったため温度が上昇したのか幸い凍っていないのでそれほどスリップする様子はありません。ゆっくりと運転する運ちゃんの「こどもは大変だよねえ。どこからだい?」という会話からはじまって「俺はカメルーンから出稼ぎに来たんだよ。こどもは10人だ」にびっくり。よく聞いてみると奥さんが3人いると言います。「アフリカじゃねえ、かみさんが一人だけなんていうのは馬鹿にされちゃうんだよ。俺のとうさんには20人のこどもがいたよ」「もっともアメリカでも2〜3人ワイフをもっているじゃないかい。秘密にね」「アフリカでは子どもも大人もみんな一緒に仲良く暮らしているよ」

そしてもっともこのアフリカから来たタクシーの運ちゃんにびっくりしたのは、なんとデニス・クシニッチを知っているというのです。普通のアメリカ人でさえもしらないのに。しかも私たちが参加した平和省会議のことも、ゲストのディーパック・チョプラまでも知っているのです。ゆみちゃんは話のなりゆきにびっくり、この運ちゃんはよほどのインテリだと、早速インタビューする価値ありだとコンピュータを取り出しました。
というわけで空港までの雪道ハイウェイーをのろのろ走りながら大笑いの道中になりました。

「カメルーンの田舎はすべて自給自足だよ。そして村の真ん中にかならず大きな木があるんだ。その幹にちいさな小屋がある。食べ物があまったら村人はそこに置いていくんだ。食べ物がない人のためにだ。そうやってみんな助け合って暮らしているのがアフリカだ。それに比べてアメリカ人はどうだい?狂っているとしか言えないね。それも根本的なところで」

運ちゃんの話はどれも納得することばかり。アメリカに来てもっとも感動する場面だったかもしれません。住所ももらったのでいつかカメルーンに行こうという話になりました。

さて、今日はこれからモンテズマというビーチに向います。そこに1週間滞在する予定で、そこからいろいろ探索しようというわけです。平和憲法を持つ軍隊のないコスタリカ。そうはいっても隣のコスタリカから難民が流入して犯罪などいろいろと問題になっているようです。経済問題も大変そうです。副大統領との会見を予定していたのですがどうやら難しいらしいので、とりあえず、この国をできるだけ見て回ることにしましょう。

水曜日, 1月 31, 2007

1月30日ロスにて

長寿の秘薬

『最近、警察は永遠に若さを保てるという「長寿の秘薬」を売っている男を逮捕した。
警察が調べると、この男は過去に4回も同様な薬事詐欺行為で捕まっていた事が判明した。
1794年、1856年、1928年、1983年に・・・・・?』

アメリカ人はジョークが大好きですね。毎日こんな話をお互いやりあって喜んでいる、まあ陽気な国民です。

この日曜日の反戦デモも、これがそうなの?と思えるほど参加者が趣向を凝らした衣装や気の効いたプラカードで思いっきり楽しんでいる風でした。これなら誰でも参加したいと思えます。ワシントンでは約30〜50万人も参加したそうです。私たち家族は、ひさしぶりに再開した友人家族と現地で合流して、1時間のサンフランシスコ・デモ行進をしました。1万人ほどいたようです。ちょうど3年前にも、同じ場所でイラク参戦反対のデモに参加したのですが(このときは25万人)、真生はまだ2歳で乳母車を押しての行進でした。ですから子どもたちも慣れたもので文句も言わず行進を楽しんでいましたが、さすがに最後の方は疲れて抱っこになってしまいました。

今回のアメリカへの旅で感じるのは、国民がおしなべて反戦になっていることです。3年前にくらべれば大きな違いです。いままでノンポリで政治的なことには無関心という主婦たちが、ブッシュは間違っていると言い始めています。国民の意見と政府がこれほど乖離してきたことは、近年稀ではないでしょうか。

ところが、ブッシュやチェイニーは強硬です。なんとしても戦争はつづけると言っています。一方で、ブッシュ政権を支えていた側近たちが、CIAエージェント漏洩事件の連邦裁判で追いつめられ真実を語り始めているので、いつ爆弾逮捕が起きてもおかしくない緊迫した状況にもなっています。さて、議会がどこまで政府を糾弾し行動できるのか、これから目を離せません。国民の関心を逸らすためにイラン攻撃をすることも考えられます。まあ、とんでもない大統領をもったものです。

明日は、注目のワシントンDCに行きます。アメリカ平和省会議に参加するのが目的ですが、もうひとつ、エディーという自然エネルギー研究者を訪ねることになっています。彼は永久磁石とレーザーを利用して永久エネルギー装置を開発中の天才です。

土曜日, 1月 27, 2007

1月26日サンフランシスコ

アメリカに来て早いものでもう10日になります。いまはサンフランシスコ郊外のサンブルノという松林に囲まれた小さな町に滞在しています。比較的温暖なロスアンゼルスから車で海岸線を北上してやってきましたが、さすがにここは寒く、たぶん気温は8〜10度くらいでしょう。今日は朝から冷たい雨が降っています。

ここから西へ、サンフランシスコ湾を越えたところにローレンスリバモア核兵器研究所があります。最近、そこが驚くべき発表をしました。劣化ウランの爆発実験を野外でやるというのです。問題は、このニュースを誰も知らないことです。私は、長年放射能の危険性を訴えているジャーナリストのボブ・ニコルズにバークレーで会って知りました。彼が書く記事はほとんどサボタージュされてしまうそうです。核問題に関してはまったく知らぬ存ぜぬのアメリカのメディアがこの発表を記事にする事はありません。イラクや各地でたくさんの被害者を出している核兵器が、目と鼻の先で爆発実験されるというのに、その影響を確実に受ける700万のサンフランシスコ市民は何も知らされないのです。ボブは、サンフランシスコ選出のもっとも革新リベラルとされるバーバラ・リー下院議員にこのことを訴えましたが、いまのところ何の返事もないそうです。

なによりも驚かされるのは、サンフランシスコという大都市の郊外(車で30分)に核兵器研究所があるという事実、それがもう半世紀以上にわたって核物質を環境中にばらまいてきている事実、そして、誰もそのことを問題にしないという事実です。劣化ウラン問題を国際的に訴えているローレン・モレは、かつてこのリバモア研究所員でした。研究所の周りの放射線汚染を調べてびっくりしたそうです。リバモア市でも一時それが問題になったのですが、結局安全値以内ということになったそうです。

じつは今日ローレンスリバモア研究所を見学に行こうかなと思っていたのですが、ゆみがそんな危険なところはごめんだというのでやめにしました。

明日は、全米で反戦平和デモが計画されています。私たちもサンフランシスコ市内へ地下鉄で行きます。雨でなければいいのですが。ちょうど3年前同じ反戦デモに参加しました。25万人のデモです。アメリカはいまでも戦時下です。市民のほとんどはもう止めようと言っているのに、ブッシュ政権は2万3千人のイラク増兵を決めました。さて、明日はどのくらいの人が参加するでしょう。

月曜日, 1月 15, 2007

1月15日沖縄

1月7日からの沖縄滞在も、あっという間に帰る日になってしまいました。ここでの楽しみはいろいろありますが、食い道楽の私たちにはなんといっても沖縄料理。普段は肉を食べる事はほとんどないのですが、じっくり野菜と煮込んで脂分を落とした豚肉料理には目がありません。ラフテー、てびち汁、ソーキ汁(そば)など沖縄独特の他では味わえない料理です。もちろんゴーヤ料理も大好物。沖縄は冬が野菜の旬なので、本土ではないものがここでは豊富に手に入ります。おかげでゆみも私もだいぶ体重が増えたようです。そうそう、ソーキとは沖縄語で肋骨のこと。沖縄の神話伝説を読むと、キリスト教聖書と同じ事が書いてあるのにびっくり。この世に男が最初に現われて、その肋骨のひとつから女が生まれて来たと。フランシスコ・ザビエルよりもっと前にキリスト教をこの島に伝えた人がいたのでしょうか。沖縄、とくに那覇の町を歩くと、教会がやたらと多いのにきづきます。それにひきかえ仏教寺院はほとんど目にしません。沖縄は神の国という意識がそうさせているのかもしれません。一昨日は、いつも那覇でお世話になるオペラシンガーの金城久美子の案内で、もっとも聖なる島とされている久高島に船で渡りました。ここは女性の神人たちによるさまざまな神事で有名です。久美子さん自身も久高島でスピリチュアルな経験を来るたびにすると言います。小さな島をみんなでレンタルした自転車でゆっくり回りました。穏やかな陽気のもと、植物の緑と海の青さそして珊瑚の砂の白さの絶妙な配色におもわず思考停止になります。ここが初めて神が地上に降りた、いわゆる天孫降臨の地だと言われるのももっともだと思いました。ありがたい命のエネルギーをいっぱいもらって船で那覇にもどりました。今回も沖縄の素晴らしい人たちに出会い、助けられ、楽しい旅ができました。ありがとう。さあ、これから寒い国へもどります。

金曜日, 1月 12, 2007

1月11日日本の教育費

1月7日の朝日新聞、日曜版の「あっと@データ」記事から。経済協力開発機構(OECD)が去年発表した、大学の学費など高等教育費の家計負担率を加盟国各国と比較した表が載っていました。ちょっと驚きです。というのは、どうやら私たちは、日本が歴史的に教育に国をあげて力を注いでいる国というイメージをもっていると思うからです。ところが、実際はどうでしょう。

加盟国の中でもっとも教育費の家計負担率が高いのが日本で60.3%なのです。そして2番目が韓国、次にアメリカ、オーストラリア、イタリア、イギリス、フランス、トルコ、デンマーク、ギリシャ(なんと100%公費で賄っている)となっていました。公費負担、つまり国が教育に掛ける割合は、日本は39.7%で最下位の韓国についで2番目。でも、ここ数年で公の負担率はさらに減りつづけているそうです。

教育財政支出削減で大騒ぎしているアメリカでさえ半分は公費です。国内総生産(GDP)比でも日本は0.6%で最低なのです。要するに、世界の標準から見て、日本ほど国が教育に不熱心なところはないのです。実質的には、国民の家計で教育が支えられているわけです。

国の将来を担う子どもたちの教育を公費で賄うのは当然というのが世界の常識です。ところが日本ではそれが無視され、そして誰も文句を言わない。なんと異常な国でしょう。

日本ほど私立大学が多いのはほかにないそうです。大学生の72.4%が私立大に通っています。専門学校も90%以上が私立で、結局、進学者の80%以上が学費の高い私立に通っているのです。

これで日本が世界有数の高い大学進学率を誇っているなどと自慢しているけれど、私たち国民(親たち)が乏しい家計から、泣く泣く子どものために学費を支払っているのが実態なのです。

あの教育基本法改正騒動はいったい何だったのでしょう。政府は実質的に世界最低の教育予算をさらに削って、子どもたちに国を愛する教育を指導するのだそうです。

こんなメチャクチャの教育政策に翻弄されている国民を情けないと思うべきなのでしょうか?

月曜日, 12月 25, 2006

12月26日人類のライフスタイル

今年の紅葉は見事です。とくに、紅葉(もみじ)がこれほど色鮮やかに緑から黄色そして深紅に変化して目を楽しませてくれたことはかつてなかったかもしれません。ときどき目を見上げるような枝振りのりっぱな紅葉に出会うともうほれぼれして、思わず車を止めて眺めいってしまうほどです。いやいや鴨川の初冬も素晴らしいと見直しました。でも、これって温暖化現象のはしりなのかも。

さて、我が家の道路はあいかわらずすごいことになっていて、この前も初めて訪れたひとが目の前の土のかたまりに絶句していました。市役所がパイプをつないで橋を作ってくれたのですが、それもだいぶ山崩れに押されて歪んでしまい、からだを斜めにしないと通れない状態です。困るのは、夜中遅く帰ってきたとき、しかもだいたい子どもたちはぐっすり車で眠ってしまっていますから、抱いて橋を渡って他の車に移すという大変な作業になります。きょうは朝からひどい雨、もう橋の下が濁流になっています。今夜から本降りになるとラジオがいってましたが・・・

日本の政治状況を深刻に悩んでいます。教育基本法改正(改悪)法案と防衛庁の省格上げ法案があっさりと国会を通過してしまったからです。このふたつは憲法に抵触するものだけに、国民とメディアの関心の無さには、驚きまたがっかりしました。法案が強行採決された翌日、朝日新聞はわずか3面にあまり大きくない記事を載せただけでした。こんなことでいいのでしょうか。いったいみんなは何を考えているのでしょう。もうこの国には自身で変えようというエネルギーがないのでしょうか。無関心でいられるはずがないと思うのですが。

それは、煎じ詰めると、ひとびとの生き方、ライフスタイルに行きつくではないかと思います。ハイテク、ハイコマーシャル、スーパー情報化社会にどっぷり漬かって、マネーゲームと格差社会に振り舞わせれたひとびとに、何かを協力し合って未来社会を創ろうなどという思い入れはもう期待できないのでしょう。

世界を観れば、来年は人類史上、画期的な年になるそうです。それは歴史上はじめて人類の大半が都市に住むことになるからです。世界の各地で人口が1000万を越えるメガ都市が多く出現しています。ほんの200年前には、ひとりの人間が一生のあいだに出会う人間の数は平均して200〜300人でした。それが今では毎朝東京駅で行き交う人の数といったらもう何万人になります。

19世紀以前、100万都市は世界でローマだけでした。近代都市で100万の人口を抱えた最初の都市は、1820年のロンドンでした。今日では、世界には414の100万(以上)都市があります。近代の都市人口の爆発的増加は、地球生態系と自然生息域の犠牲のうえに成り立っています。メガ都市の大人口を養い、その活動を維持するためには、莫大な地球エネルギーの消費が必要です。シカゴのシアーズタワーが1日に消費する電力は、近郊にある人口15万2千人の小都市の電力消費量に相当するそうです。人類は、地球上の純一次生産量、つまり太陽エネルギーが光合成で植物有機物質に変換される量、のほぼ40%を消費している計算になります。ほかの生物の分まで略奪しているわけです。

高層オフィスビルやレジデンス、それにガラス、セメントと人工照明と電子ネットワークシステムの陰で確実に失われて行くもの・・それは自然です。毎日50から100種の生物種が絶滅しています。1年間では18,000から55,000種です。2100年には地球上の3分の2の種が絶滅することになります。

もうこれ以上地球を汚し、資源や生物を搾取するばかりの都市人口集中化を止めないと大変なことになります。それには、これまで征服対象だった自然とどうやって向き合い、お互いが共存できるか真剣に問い直す事に人類種の運命がかかっているでしょう。

日曜日, 12月 03, 2006

12月4日ポロニウム210

24日からほんの数日ですが、サンフランシスコに格安チケットで行ってきました。折しも感謝祭ホリデーで、いつもは学生たちで賑わう滞在先のバークレーはしーんとしていました。木々がすっかり色づいてとても鮮やかに街を飾っていたのが印象的でした。もうすっかりクリスマスムードです。

当地の新聞サンフランシスコ・クロニクルでトップニュースになっていたのが、先週、世界を震撼させたロシアの元KGBスパイ、アレキサンダー・リトビネンコの暗殺事件です。さて、暗殺に使われたとされる放射性物質ポロニウム210についてはいろいろと議論が沸騰しています。NYタイムズにタバコに含まれるポロニウムについての記事がありました。それによると、この事件でもっともうろたえているのはアメリカのタバコ業界だというのです。じつは1960年代からすでに相当量のポロニウムがタバコに入っている事実をタバコ業界は知っていたというのです。昨日、放射線科学者のローザリー・バーテルが、ポロニウムはウラニウムとラドンガスの崩壊生成物で、リン酸塩と強い親和性があるので、リン酸化学肥料に多く含まれていると教えてくれました。タバコの葉には大気中の汚染物質を吸着する部分があるそうで、リン酸肥料(化学肥料)を多く使うタバコ栽培ではラドンガスを吸着しそれがポロニウムに崩壊すると考えられます。

実際にタバコにどのくらいのポロニウムが含まれているかというと、アメリカンタバコカンパニーが1968年に極秘調査した結果によると、タバコ1本につき.04pCi(ピコキューリー)のポロニウム210を吸うことになるといいます。フィルターはまったく役に立たない事もわかったそうです。当然ですが。

ところで、ポロニウムは、キューリー夫人が発見した最初の放射性物質で当初はラジウムと呼ばれていました。放射線量単位のキューリーはそこからきています。

これは非常に微量なようですが、半減期138日のポロニウム210は肺がんを起こすのに十分なアルファ粒子を放出するのでプルトニウムよりも危険だと言えます。

一日1箱半のスモーカーは、毎日約300回のレントゲン照射を胸に浴びていることになるそうです。本当かしら?

問題は、このNYタイムズ記事ではポロニウムがいったいどうやってタバコに混入したのかということに口を濁していることです。リン酸肥料に含まれているから土中から吸収されたと推測していますが、ローザリー・バーテルが指摘しているように、ウラニウムから崩壊したラドンガスがタバコの葉に吸収され、さらに崩壊してポロニウム210になったと考えられるのです。つまり、大気中のウラニウムが元凶なのです。ということは、この60年間、数多くの核実験と世界中の原発そして最近の戦争で使われた劣化ウラン兵器によって世界中で拡散したFallout(放射性降下物)が、まわりまわってタバコに入ったのです。このことは誰も口に出しませんね。本当の問題はタバコだけのことではないからです。