水曜日, 10月 26, 2005

10月26日

ゆみが17日からロンドンでの平和省会議に出席するためいなくなるので、雨が一段落した13〜14日に稲刈りを済ませました。やはり、イノシシが相当踏みつぶしていて、まずその稲を泥ごと洗いながら刈るという実に手間のかかる作業から始めました。足元はぐちゃぐちゃで時々長靴がハマって身動きできないという場面もありました。土砂崩れした部分を横に眺めながら、ここが出来たらたぶん相当収量があっただろうなあ、とため息もついて。なんとか稲刈りを終え、ゆみがロンドンに飛び立った翌日からまたまた大雨。さらに土砂が流れ、間一髪セーフという感じです。そして、久しぶりの快晴が二日続いて昨日(25日)、アコちゃんが手伝いに来てくれて3人で脱穀を無事に終了。なんと3俵も穫れました。さっそく籾すりした新米をその晩食べました。その美味しいこと!米作りは4月早々の種の芽だしから始まって、苗床つくり、苗とり、田植え、草取り、稲刈りと、7ヶ月にわたる大仕事です。それだけに、ほかの野菜つくりなどとは格別ちがう感慨があります。

月曜日, 10月 10, 2005

10月10日

10月10日

ショックなことが2件ありました。ひとつは、分封(巣分かれ)したミツバチを1週間も巣箱に囲って、さてそろそろいいだろうと思って巣箱の入り口を開けたら、あっという間の逃げられたこと。がっかり。それにしても何が気に入らなかったのでしょう。これで3回目の失敗。この巣箱が嫌なのかしら。2万円の大枚をはたいて買ったのに。もうひとつのショックは畑です。家の畑は元々田んぼだったところを数年掛けてやっとなんとかまともな作物が穫れるようになったところです。その一段上のところに大家さんが昔から耕していた200坪ほどの畑が隣接しています。大家さんはこの2〜3年、ここを使うことを止めてしまい、いつも草ぼうぼうの状態で、私が時折草刈りをしていました。なにしろ、元田んぼの今の畑とは違って土がさらさらで水はけもよく、日当りも一番いいところです。以前から、ここを使えたらさぞいいだろうなあ、と思っていました。今年も相変わらず草ぼうぼうなので、先日大家さんに訊いたら、もうしばらく使うことはないから自由に使ってくださいと言われ、ヤッターと喜んで、すぐコマメ耕耘機で耕しました。案の定、始めて耕す土はさらさらとしていて、下の粘度質の畑とは大違い、機械も簡単に進んで行きます。隣で鶏を飼っている田畑さんから鶏糞をもらってきて混ぜ込みます。と、ここまではよかったのですが。それから急に頭痛が始まり、からだが痺れるようでだるくなってきました。典型的な急性農薬中毒症状です。この畑に長年多量に使用され土中にとじ込まれていた農薬が、一気に外に出てきたためでしょう。それをまともに吸ってしまったわけです。おかげで2〜3日はからだと頭が動かず何も出来ない状態でした。いや、本当に怖いです。さっそく農薬を中和させるROXミネラル液を大量に頼んだので、それを撒けばだいぶ収まるはずです。それにこのところいい雨が続いてたぶん農薬が薄まっているはずです。それにしても、これからどうするか、まだ決めかねています。

水曜日, 10月 05, 2005

10月5日

先週末はひさしぶりに家族で京都に行ってきました。憲法9条・メッセージ・プロジェクト主催の「なんで?なんで?の市民のつどい」に参加するついでに、ちょっと京都見物も兼ねたわけです。この会のオーガナイザーであるジャーナリストの柴野徹夫さんにすっかりお世話になり、普段観光客が行かないような、そして、京都育ちの柴野さんが子どもの頃遊んだという、いわゆる通の場所を案内してくれました。最初に訪れたのは、詩仙堂(丈山寺)。煎茶の開祖といわれ、寛永年間の京の文人と知られる石川丈山が59歳のときに造営した庵です。決して豪華ではない、どちらかというと清貧という言葉が近い門や建物に入って、庭園を眺めるとそこに絵のような景観が現れました。すべての樹木や庵や池などが、考え抜かれたデザインで配置されて、なんともいえないダイナミックな美を構成していました。樹木は楓が重なるように植えられて、驚いたのは樹齢百年以上とも思える巨大な幹の楓があたりを覆うように庭の中央にあったことです。11月が紅葉の絶頂だそうですが、すでにいくらか赤く染まって、さぞかしそのころの景観は息をのむようだろうなと思わされました。つぎに訪れたのは、当時丈山と諸文芸を競い合っていたという本阿弥光悦が造った光悦寺。当時生粋の工芸職人を集めていわゆる芸術村を造ったとされているところです。一見、普通の住宅街と思われる一角に、普通なら何気なく通り過ぎてしむようなさりげない門があって、そこに一歩足を踏み入れると別世界が広がります。楓の並木が連なる石畳を行くと、眼前に北山杉のまるい山を背景に、静寂な美の世界がありました。詩仙堂とは趣を異とするもっと自然的な造園芸の極致。柴野さんは、対極的な江戸時代初期の文人の作品を私たちに見てもらいたかったようです。

水曜日, 9月 28, 2005

9月28日

ハーモニクスヒーリングのワークショップは、このところ、というかもうしばらくになりますが、定期的に行ったり、またそのために海外に出かけて行くということもなくなりました。これは、子どもたちのことという家庭的な理由もありますが、911以降、平和ということが、環境問題や健康のことよりも最優先になったからです。もちろん、これらのことはすべて繋がっていて、どれも根は同じだと思います。というわけで、ヒーリングの方は、希望者が集まり次第こちらの都合に合わせてやっています。今週も二家族が健康相談にやってきました。そのご主人は、目が悪く(緑内障)でとても疲れやすいというので、なにか免疫をあげる手当や食事療法をチェックしましたが、なにもみつかりません。おかしいなあ、と聞くと、彼はある精密機械の工場に働いていて、そこではX線を使うそうなのです。会社では安全な範囲だと言っているそうですが、放射線に安全な値など存在しません。ましてや、毎日、たとえ微弱でも浴び続ければ確実に免疫低下を引き起こします。そして、現在のところ、こういった放射線障害に対する手当法は存在しません。唯一できることは、環境を変えること、つまり、会社を辞めるしかないのです。このご主人に、たとえ家族を支える収入が途絶えることがあったとしても、お父さんの命が削られてしまっては元も子もないのですよと言うと、彼は今の仕事はあまり好きではないので、考えてみると答えてくれました。こういった放射線を含む電磁波は、このような特殊な場合だけではなく、じつは私たちの生活環境すべてに存在しています。逃げ場の無い地球で、どういのちのバランスを保って行くか、とても難しいことです。

木曜日, 9月 22, 2005

9月22日

とてもうれしい便りをある方からいただきました。この方は極度の鬱病と慢性疲労などで長年悩んでいたのですが、私とゆみの共著の「ハーモニクスライフ」を読んですっかり気持ちが入れ替わり、自分の田舎に戻って家族にすべてを打ち明けることにしたそうです。自殺を何度も考えたそうですからよほどのことだったのでしょう。なにかお役に立ったようで非常にうれしいですし、このような便りをいただいたことに感謝します。さて、すっかり秋風のひんやりした感触に”おどろかされぬ”季節になってしまいました。なんと今朝は5時に目が覚めてこれを書いています。ゆみがワシントンでの平和省会議に1週間出かけている間に、私が札幌に3日間行くという具合で、9月もなにかと慌ただしい日々が続いて、畑仕事はほとんどできず草ぼうぼうの状態です。あの強力台風のショックでしょうか、きゅうりがみな枯れてしまいました。それまで毎日3〜4本はできていたのでちょっとがっかりです。トマトはなんとか無事でしたが、さすがに涼しくなってきたので毎日10個以上も穫れた8月頃のようにはいきません。今年はおかげでトマトペーストがたっぷりできました。そうそう、一昨日は東京から、ある大きな生命保険会社の会長をやっていらした方が泊まりにいらしたので、子どもたちと一緒にはじめて栗拾いをして、その晩は栗ごはんでした。昨日はやっと大豆の実が育ってきたので枝豆にして、これも今年の初物。そしてつでにサツマイモも掘ったらけっこう育っていたので一緒に夕飯に並びました。モロヘイヤのおひたしも添えて、秋の食卓はこれまた贅沢なものです。

土曜日, 8月 27, 2005

8月27日

一昨日の台風11号は房総半島を直撃、そして我家は過去最大の被害を被りました。自然を甘く見てはいけませんね。前回の台風も鴨川を直撃したのですが、あまりにも風雨が微小だったため今回はまったく油断しておりました。いちおうの対策はして寝たのですが、夜半すぎ3時頃、すごい風と雨脚に目が覚めた途端、バタンという音が外でしました。すぐ起きてサンルームに行くともうすでに床はびしょびしょで、ぽっかりと大きな暗闇が空いています。外を見るとガラス戸が庭に吹き飛んでいました。さあ大変、はやくなんとかしないと風と雨がどんどん部屋に入ってきます。外はすごい暴風雨。家全体がうなりを上げているような感じです。家族も全員起きてきました。寝てなんかいられません。雨合羽を着て、とりあえずガラスが半分割れてなくなった戸を戻し、どうにか外から板を打ち付けました。この作業を強風と土砂降りの中でやったのですが、もう合羽など役にたたず、あたまからずぶぬれです。足元の庭を見るとまるで川のよう。それにしても今から思うと、あの風雨でよくあれだけの被害で済んだものだと思います。しかし、田んぼは今日見たら唖然とさせられました。棚田の畦が3段も大きく地崩れを起して、稲が土に埋まっていたからです。苦労して育て、やっと今年は水が入って豊作だと喜んでいたのに。ざっと見たところ20〜30%の稲がだめになったようです。不幸中の幸いと言えば、もう穂が出そろっているのでもう水がいらないことです。でも、来年からどうするか?とても人力で修復できる規模ではないのでユンボで大掛かりな土木工事になるでしょう。台風の傷跡はそのほか多々に及んでいます。水も出なくなってしまいました。これはなんとか午前中に解決。大木が畑に倒れていたので、チェーンソーで処理しました。野菜類はこれはなんとか事前にある程度の支えなどの処理をしてあったので被害は軽微でした。山に住むということは、こういう時に、自然の力を肌に受け止めるということです。

金曜日, 8月 19, 2005

8月19日

昨夜、我家の露天風呂から柿の木の枝を通して見えた月があまりにも素晴らしかったので、明日が満月だけれど、海からの月の出をどうしても見たくなり一家で出かけました。月の出の時間を調べると(インターネットは本当にこういうとき便利です)6時28分となっています。鴨川と太海の海が一望できる青年の家に着いたのが6時33分、すでに月は海からすっかり昇っていました。その神々しいほどの輝きが波面に反射し、ちょうど小さな岩島の上に、まるで絵画のように月がまんまると浮いています。みんな「すごーい」と息をのみました。

木曜日, 8月 18, 2005

8月18日

このところ我が家は千客万来で、最大は15人もの滞在客がありました。もっとも3家族で大半はこどもたちでしたが、それでも食事の用意だけでも大仕事です。また海外からのゲストも多数ありました。ほとんどが広島・長崎原爆60周年記念式典に参加するために来日した人たちです。「Hibakusha」というドキュメンタリーフィルムのクルーもボストンから来て、ゆみをインタビューしていきました。

Hibakushaという言葉はだいぶ国際的に認知されてきたと思っていましたが、彼らに聞くとアメリカではほとんど誰も知らないということです。カリフォルニアからはウィリアム・カリーという「平和のための退役軍人会」のメンバーがやってきました。彼は70年代後半原子力潜水艦に2年間乗ってソナー探知機を操縦する役目だったそうです。主にソ連の原子力潜水艦の行動を探知するのが目的で、北海道沖にも来たことがあると言っていました。もちろん核ミサイルを搭乗させていて、わずか数十センチのところで寝たこともあるそうです。原子炉からの高濃度放射能排水は陸地からわずか10マイル(16キロ)で、こっそり海面に捨てているそうです。廃油と違い目に見えないからと理由です。ウィリアムは何かの問題で兵役を止めたいアメリカ兵を外から援助する仕事をやっています。やはり軍隊ではいじめが相当あるらしい。若干20歳前後の若者にどんな権利があるか分かるはずがありません。ほとんど脅かされて泣き寝入りです。ウィリアムは日本のアメリカ軍基地内部にもなんとか援助の手を広げたいと考えています。たくさんの資料を置いていったので私たちも基地問題に関わっている人たちに手渡したいと思います。オーストラリアからは「世界女性平和自由連合」のクリスがやってきました。今年の冬にブリスベーンで会っているので話が弾みました。

今年は、適当に雨があり、しかも低温にならずお天気がつづいているので夏野菜が豊作です。とくにトマトは連日りっぱなのが籠に入りきれないほど穫れています。毎日食べていますが、その美味しいこと。まるで甘いシャーベットと言った感じ。トマトソースも最高なのが出来ました。失敗したのはトウモロコシ。と言ってもこれもりっぱなのがたくさん出来たのですが、もったいないという変なケチ根性が出てすぐ食べなかったために身が固くなってしまいました。やはり旬のときにタイミングを逃すといけませんね。そのほかキュウリ、なすなども豊かに実っています

水曜日, 8月 10, 2005

8月10日

悲しいお知らせです。我が家の飼い猫であり、リモ農園の主人のリモが、本日午後6時永眠しました。思えば、私が鴨川に住み始めてすぐ、竹林の中に捨てられていた子猫がリモでした。最初は目も見えず、なんて醜い猫だろうなどと言われていましたが、だんだん可愛くなり、なによりも誰にも懐くのでみんなから可愛がられました。リモの一生は、私の鴨川の暮らしの歴史そのものでした。それだけに、いろいろな思い出があります。それをちょっと振り返っただけで胸がいっぱいになります。リモ、長い間どうもありがとう。こころから感謝します。安らかに眠ってください。素晴らしい猫でした。

日曜日, 8月 07, 2005

8月7日

昨日は広島原爆60周年記念日でした。日本の無条件降伏は原爆がなかったらなかったというのが、戦後から一貫してアメリカで一般に信じられていることです。そして100万人のアメリカ兵の命が救われたと。でも真実はそうなのでしょうか。はたして原爆が終戦に必要だったか、これもやはり「プロパガンダ」の臭いがします。日本側からすれば、実際には、多数の市民が犠牲になった原爆よりもその3日後のソ連の参戦の方がはるかにショックだったのです。北方のソ連が中立でいてくれればなんとか本土で持ちこたえられるというのが、戦争継続派の主張だったわけですが、その根拠が崩れてしまったのです。100万人のアメリカ兵が原爆で助かったという話も、事実は、この数字を最初に発表したマックジョージ・バンディが1947年にハーパー誌に「戦争長官のヘンリー・スティムソンに頼まれて架空の数字をあげた」と告白しています。また、原爆製造計画「マンハッタンプロジェクト」の科学主任のロバート・オッペンハイマーは「もう負けている敵に落とされた」と1945年11月に述べました。トルーマン大統領がソ連による日本占領を防ぐために原爆を使ったことは明らかです。8月3日のポツダム会議で日本が和平を求めていることは各国が承知していたのですから。でも、こういう歴史的事実はすべてマスコミから消され、原爆投下を正当化することのみが残りました。そして、核開発が疑問視されることなく今日まで続いているのです。

木曜日, 8月 04, 2005

8月4日

とても残念なお知らせ。せっかく高い樹上で命がけで捕らえたミツバチくんたちが昨日巣箱をのぞいたら1匹残らず逃亡しておりました。ガックリ。これはよくあることらしく。本を読むと逃亡に注意と書いてありました。何か気に入らないとすぐどこかに行ってしまうらしい。なにか恋人に逃げられた風で、それはそれでなつかしい感慨にも似たものでした。まあ、また来てくれるでしょう。さて、1ヶ月まえからゆみと太極拳のクラスに通っています。毎週木曜がその日で今朝も汗を流してきました。一昨年になりますが、ピースボートに乗った際なにげなく参加した太極拳の不思議な世界に魅せられ毎朝船酔いも忘れるほど船上クラスに通いました。その経験があったので鴨川の友人から太極拳の会があるからどうですかと聞かされたときすぐに行きますと返事したのでした。じつは正直言うと、どうせ地元の会だから年寄り連中の慰み程度のものだろうとタカを喰っていたのです。ところがたまたま最初に参加した日は鎌倉から会の代表の山口先生が直接教えてくれる日だったのです。私たちは初めてその先生の華麗とも表現できる流れるような動きに魅せられ、その場で入会を決めました。参加している地元の方々も素人目にみて素晴らしい動きをしているので、会のグレードの高さが分かります。今年の春からちょっと仙腸関節(腰)を痛めていたのですが、太極拳を初めて1ヶ月で痛みも和らいできたようです。あのように流れるような動きができるのにはどのくらいかかるでしょう?

火曜日, 8月 02, 2005

8月2日

今朝、エイミー・グッドマンの「デモクラシーナウ」を数日前聞こえるようになったPodcast Radioで聞いていたら、アフリカのナイジェリアが干ばつとイナゴ大発生で大飢饉に見舞われているというニュースを報じていました。多分これは日本のメディアでは報道されていないんではないかなあ。300万人が飢餓で死に直面していて、そのうち100万人は子どもらしい。イラクのバグダッドも水がなくて大変そうだし、いったいこんなときに戦争やっている輩の神経はどうなっているんだろう。ところで、ラジオのことを言いましたが、私たちもインターネットラジオを始めました。でもこれはPodcastというマックだけのものなのでウィンドウズの人にはすすめられませんが。YumiのBlogに行けば方法が書いてあります。今日はアメリカのガン(銃)規制問題について話しました。興味あるひとはぜひ聞いてみてください。

さて、そうそうミツバチの話。昨年の秋だったかな。台所の外壁の隙間にミツバチが巣を作っていることを発見しました。最初は恐る恐る覗いていたのですが、それがめったに刺さないおとなしい性格の日本ミツバチだとわかると、飼ってみようという気になったのです。それから岩手県盛岡に「日本在来種ミツバチの会」というのがあることを知り、さっそく会員になりました。送ってもらった資料を斜め読みして、なんとか養蜂家になる準備をしていたところ、この5月末、運良く最初の分封を取り込むことに成功したのです。(分封とは巣分かれすること)そして一昨日の朝、真生がハチがいっぱいいるよとまた分封が始まったことを教えてくれました。ところが見上げるとはるか梢の上で乱舞していて竿を延ばしてもとても届くような高さではありません。これは無理だと諦めてゆみを君津のバスターミナルまで送っていき、帰ってハチが乱舞していたあたりを山の上からみると、いましたいました高い樹上の枝に直径30センチくらいの固まりになってぶら下がっています。そこで梯子で樹の途中まで登り、必死の思いでその固まりをうまくビニールのトラップに取り込みました。いやはやちょっと足をすべらしたら真っ逆さまに落ちてしまうところだったので全身汗でびっしょり。でも、ハチたちは今、巣箱で落ち着いて巣作りに励んでいます。今度はいよいよ蜜の採取です。楽しみですね。

月曜日, 8月 01, 2005

8月1日

さて、なんと7ヶ月ぶりのダイアリーです。こんなに時間が経ってしまったのにはいろいろ理由があるのですが、単に忙しかったこと以外に、このホームページを新しく作り直す作業が意外と時間が掛かってしまったということがあります。やっと今日再スタートできました。と言ったところで、たぶんもうこのダイアリーを読むひとはいないかな?

まず、リモ農園の近況:6月16日に田植えを終え、今年は久しぶりの本格的な梅雨に恵まれて田んぼには今もたっぷりと水が入っています。去年の今頃はひどい日照りの真っ最中で田んぼは地割れしていました。どうやら今年は豊作が見込まれます。稲の品種は、滋賀県彦根で広大な無農薬農業を営んでいる草野武さんから「はえぬき」籾を今年も送ってもらいました。いま、食べているのは昨年穫れたものですが、たしかに美味しいです。田んぼの作業は草取りがいちおう秋の収穫までありません。畑はトマト、キュウリ、茄子が毎日たくさんとれています。ほかに、春から続いているソバ菜、ねぎ、ごぼう、そしてそろそろトウモロコシも食べ頃ですね。小麦は6月に収穫(まあまあの収量でした)し、その後にいま青大豆を移植中。小豆は昨日蒔きました。フルーツは、ことしも桃がたわわに実り、まいにちぽとぽとと落ちるので、食べるのが追いつかず、最初は興奮して食べていた子どもたちもついに顔を背ける状況になってしまいました。それにしても、桃には虫(なんか蛾の幼虫でしょうね)がほとんど必ずついてしまうので、完全に虫にやられていないものはほんの僅かです。ですから、商品として無農薬の桃などまず不可能かもしれません。もっとも袋をかぶせればいいのかもしれませんが。今年のヒットはいちじく。巨大なのがたくさんとれました。自家製カスピ海ヨーグルトといっしょに食べると誠にオツな味です。そうそう、はじめて梨ができました。まだ直径5センチくらいですが、秋が楽しみです。明日は、今年から始めた日本ミツバチ養蜂のことを書きましょう。じつは昨日、また1群のミツバチの捕獲に成功したのです。

11月1日

友人のダミアンは一見どこの国の人かわからない容貌です。国籍はオーストラリアですが、お母さんはスリランカ人、お父さんはイギリス人というミックスだからです。ダミアンは、根っからの平和主義者。まず食べ物からして完全ベジタリアン。そしてマック・コンピュータの天才。彼がいなかったら私たちは何も出来ません。このブログもかれのお陰です。私たちが去年制作した「911ボーイングを捜せ」の重要性をいち早く察して、以来ボランティアサポートを惜しげも無く与えてくれています。英語のホームページやブログも彼なしでは不可能です。ダミアン、ありがとう。

11月1日

友人のダミアンは一見どこの国の人かわからない容貌です。国籍はオーストラリアですが、お母さんはスリランカ人、お父さんはイギリス人というミックスだからです。ダミアンは、根っからの平和主義者。まず食べ物からして完全ベジタリアン。そしてマック・コンピュータの天才。彼がいなかったら私たちは何も出来ません。このブログもかれのお陰です。私たちが去年制作した「911ボーイングを捜せ」の重要性をいち早く察して、以来ボランティアサポートを惜しげも無く与えてくれています。英語のホームページやブログも彼なしでは不可能です。ダミアン、ありがとう。

水曜日, 3月 09, 2005

3月9日

なんとまあ、一月以上もダイアリーを留守にしてしまいました。この1ヶ月はハワイでさまざまなイベントに参加し、また後半は日本から5人が参加したアロハトラストツアーがあり、その間ハプニングもあり、帰国の前日までコンサートなど、とにかく忙しい日々でついつい日記が後回しになってしまいました。まあ、この間のことはまたおいおい思い出しつつ書くつもりです。一昨日、3ヶ月のアメリカ・ハワイ旅行を無事に終え、関西空港に着きました。いつもはもう少し長くハワイに滞在するのですが、昨日(8日)の国際婦人デー大阪集会にぜひ出演してほしいという強い要望があって、急きょ戻って来たのです。驚いたのは日本の寒さ、なんと雪が降っているではありませんか。いやはや、すっかりハワイの温度にゆるんでいた私たちのからだはちじこまってしまいました。昨夜の講演・コンサートは中ノ島中央公会堂です。この建物は明治44年に着工、当時最高の技術とデザインで5年をかけて完成したもので、今あるものは5年前に再建されたもの。よくある現代ハイテク建築がすっかり失った人間的空間や肌触りが随所に感じられる素場らしい建造物です。劇場内に入ると一瞬時代が戻ったような錯角に襲われます。何よりも感心したのは、これは自分が音楽を専門にしていることからですが、音響のよさでした。こんなに気持ちよく歌いやすいステージはひさしぶりでした。もっともPAさんの仕事もよかったからですが。1000人入る会場はほぼ満員、もちろん女性ばかりです。アロハトラストツアーに参加したシンガーの桑名晴子さんも駆けつけてくれました。今回のツアーが最高に盛り上がったのは彼女のその強烈なキャラクターとアロハマインドのよるところが大きかったのです。さて、これからしばらく関西地域での講演・コンサートツアーが続きます。今日はひさしぶりの奈良行きです。まだまだ私たちの旅は続きます。鴨川に戻るのは21日。

夜6時半。今、奈良県大和郡山市平和地区公民館での「教職員のための平和について語ろう会」が始まりました。そして驚くべきビデオが紹介されました。防衛庁が作成した小・中学生向け広報ビデオ「ディフェンス3」です。今回この会を企画してくれた日教組郡山執行委員長の細谷佑司さんが、教職員しか入手できないこのビデオを私たちのために用意してくれていました。はじめてこれを見てまずこういう自衛隊の存在をアピールするものが子どもたちを対象に作られていること自体に驚きとショックを受けました。まだ学校までこれが配付されてはおらず(奈良県では)先生の中でこのビデオの存在を知って人はわずかなようですが、これが出回るようになったらきっと大きな社会問題に発展するでしょう。さて、今見たこのアニメビデオですが、カセットの裏に書いてある説明を読むと、「ある日マモル、ダイスケ、ユリコに届いたテレビゲーム「ディフェンス3」。そのゲームの目的は、平和な国をつくりあげること。しかし、どうすれば良いのか戸惑う3人。ゲームを進めていくうちに、自衛隊の活動や日本の防衛力、そして平和について学んでいく。陸・海・空3つの防衛力でユリエ国の平和を守れ!ピース!」とあります。そして中身は、自衛隊の幹部とおぼしき戦闘服を着た隊員が、こどもたちに呼び掛ける設定になっています。ある架空の国カラカラ国は戦闘的な国で巨大な軍事力を保持し外交的交渉をいっさい否定している。その隣のグリーン国には防衛力(軍隊)がない。さて、カラカラ国が問答無用に攻めてきたらどうするか、防ぎようがないではないか。そのためには最低限の自国を守る防衛力が必要だ。それでこそ、平和が達成され、国際貢献ができるのだ、という論調です。いかに軍備することが平和につながるのだと巧みに子どもたちを誘導するやり方には確かに感心させられました。なるほど、これを見たらこどもたちは戦力を持つことに何も疑問を持たないようになるかもしれません。さらにビデオは国際的な軍事協力も大切だと言い、中でもアメリカと協力することの意義がが強調されています。つまりこれは、今回のアメリカのイラク侵略を正当化し、自衛隊のイラク派遣は平和のための国際貢献だということを子どもたちに洗脳する広報ビデオなのです。いったいアメリカが過去どのように他国(弱小第三世界国)を侵略し支配してきたかについては、もちろん、いっさい言及しません。ましてや、大日本帝国が過去自国の自衛という名目でどんなに中国やその他の国に対し戦争を起こし支配してきたかについても言及しません。はっきり言って、いまの日本はアメリカの軍事基地だと言っても過言では無いでしょう。なにしろ、この国には米軍基地や演習場、関連施設など300以上もあるのです。しかも核ミサイル装備されていることはもう常識になっています。それが日本の周辺国にとってどんなふうに写っているか、どんなに脅威か、日本人ほど鈍感な国民はいないかもしれません。早く私たちも戦争中毒アニメフィルムを完成させなければ。

木曜日, 1月 13, 2005

1月13日

オーストラリア・シドニーから書いてます。多分外の気温は30度を越すでしょう。湿気が無いせいか日当たり以外はそれほど暑くるしいという感じではありません。いまお邪魔している家は、シドニーの郊外、ペナントヒルズという中級から上級の住宅街にあります。医療研究者のフィリップとビデオ監督のマーサ夫妻、そして息子さんのルシアンの3人が住んでいます。日本からインターネットで受け入れ先を呼びかけたらこころよく引き受けてくれた平和活動家一家です。今回のオーストラリア旅行の第一目的は911のビデオをなるべく多くの人に広めること、そしてもちろんいろいろな素晴らしい人と出会うこと、これがもっともうれしいことですね。フィルとマーサはまさに自由に生き、積極的に活動している人たちです。今晩、さっそく知り合いを集めて上映会を企画してくれました。夏休みでみんなバケーションでるすなのよ、とマーさが申し訳なさそうに言っていましたが、10人くらいは集まりそうでみなさんの反応が楽しみです。昨夜はひさしぶりに蚊に悩まされました

日曜日, 1月 09, 2005

1月9日

渦(うず)理論というのがあります。世界(宇宙)が無から生じたとき、もとに戻ろうとする力が渦になった、と言われます。だから渦はつねに中心に向かおうとする。その力、エネルギーが生命を生んだのだそうです。ですから、渦はすべての根源的なかたちです。原子も素粒子も、電気、雲、アミノ酸、虫、ウイルス、ピラミッド、地球、銀河系・・・・すべて、渦なのです。私たちの意識も渦だそうですよ。これを最初に発見したのは、数千年前の中国人です。易学です。つまり陰陽論ですね。これがいま行き詰まった現代科学文明を根底から救ってくれる哲理だという予感が今しています。

木曜日, 12月 30, 2004

12月30日

ひさしぶりのダイアリーです。ついに今年も終わりに近づきました。来年のことを言うと鬼が笑いますが、1月からはこのダイアリーをしっかり書いていこうと思います。お楽しみに。

金曜日, 8月 13, 2004

8月13日

1週間の慌ただしい旅行でしたが、3日からロスアンゼルス・ポートランド・シアトルに行ってきました。ロスでは、『戦争中毒』出版人のフランク・ドレルのところにやっかいになり、到着したその日に、さっそくマイケル・ムーアの『華氏911』を観にいきました。日中だったので館内はまばらの観客でした。7月4日にロードショーですから、もうそれほど混んではいないと思ってましたが、ちょっと意外でした。時差で眠たい目をこすりながらでしたが、さすがに空前のヒット作品です、ブッシュがいかに大統領として落第か、ブッシュ家が中東アラブ国とどんなつながりがあるか、などショッキングな映像が続きます。イラクで被災した子どもたちの惨い映像がアメリカ国民の前にこれだけ見せられたのはたぶん初めてでしょう。それだけでもこの映画はすごい影響力です。この旅の最大の目的はこの映画を観ることだったので、ひとまず満足。5日はオクシデンタルカレッジでキャシー・ケリーの講演を聞きました。キャシーは去年11月、フォートベニングのデモで陸軍基地に侵入した罪で4ヶ月も刑務所に入れられた、筋金入りの平和活動家です。今までも何回も投獄された経験があります。そんなことできっとすごそうなおばさんだとイメージしていましたが、会ってびっくり、なんと可愛らしい、と言っては失礼か、こがらな愛嬌のある女性でした。彼女の今回の投獄劇の話題が中心で、刑務所で最初の日に大男に羽交い締めにされ、あげくに上に乗っかかられ息もできなかったなど、ひどい扱いだったと語りました。以前、投獄された時、15年20年の刑期の女性は刑務所ではほとんど稀だったが、今回まわりの人はみんなそのくらい長い刑期のひとばかりで驚いたそうです。たしかクリントンの時だったと記憶していますが、犯罪に対する刑罰を重くしたため、アメリカ中の刑務所に犯罪人が溢れるということになってしまいました。ほとんどが麻薬関係の軽い罪ですが、3回捕まると問答無用で20年くらいの長期刑になってしまうのです。なにしろ刑務所作りがビジネスになっているくらいで、現在200万もの人が刑務所に入っているのです。キャシーは、これからイラクとパレスチナに向かうと言っていました。アメリカのすごさはこのようなスケールの大きいひとがウジャウジャいることですね。そしてそのような人たちと知り合えることはいつでも私たちの大きな喜びです。6日はフランクと一緒にオレゴン州ポートランドに行きました。広島原爆メモリアルデーにいろいろとイベントがあり、そのうちの一つとして『テロリストは誰?』に出てくるベトナム退役軍人で活動家のブライアン・ウィルソンの講演会がその夜予定されていたのです。今回の旅はブライアンと会うのが最大の目的でした。大きな教会が会場で、フランクと私は入り口で『戦争中毒』とビデオの販売しました。なんと2ケースもってきた分が30分ほどで完売。多くのひとが数冊あるいは10册も買っていくのです。ここの人びとの関心の高さに感心しました。ブライアンの話は、ベトナム従軍で彼の世界観がひっくり返ったこと、このまま過大な消費文化を続けていけば近い将来大きな破局がやってくるだろう、では何をすべきか、など実にこころにせまってくる話でした。フランクはブライアンが彼の先生だよといつも言っていますが、なるほどと思わせるスピーチでした。翌日、あるアーティスト夫婦の家で平和のための退役軍人会のパーティにブライアンたちと参加しました。そこでブライアンといろいろ話したのですが、もっとも驚いたことは、最後にこう言ったことです。アメリカ人がこれほど怒っていることはかつてなかった。ベトナム戦争のときでもこれほどではなかった。ひとびとはもう今の選挙というシステム自体に何も期待していない。問題はブッシュかケリーかということではない。どちらになろうとこの金と権力のシステムは変わらないからだ。きっと近い将来、なにかが起こるだろう。それがどんなものかはまだわからないが、きっと驚くようなことであることには間違いない。というような話でした。いったい何が起こるのでしょう。ところでロスでミズーリからちょうど来たデービッド・ボンクライストという元ロックシンガーで今はラジオプロデューサーに会い、彼の製作した驚くべきビデオをもらいました。『911 In Plane Site』というビデオで9・11のニューヨーク世界貿易センタービルにつっこんだ飛行機の胴体になにかあり、それが衝突直前に発火している証拠ビデオなのです。つまり、ビルに激突したのは言われているアメリカン航空の旅客機ではなく、軍用機だったという証拠ビデオなのです。しかもこのもとの映像はCNNのニュースで、彼はひょんなことからふとコマ落としにしてみたらそのような画面があらわれたそうです。CNNはこのビデオ配給に許可を出さないので、彼は訴えられるかもしれないけれど、その覚悟はできている、それより世界の人たちがこの事実を知ることのほうが重要だと言いました。このビデオを今回私は持って帰ってきたので、さっそくテレビ局に持っていくつもりです。デービッドに日本に来ないかと言ったら、行きたいけれどまず帰って来られなくなるだろう、と言いました。

鴨川の田畑は相変わらず日照りつづきで土がコンクリートになっています。大家さんはこんなひどいのは昭和59年ぶりだ、あのときは竹も枯れたと昨日言っていました。でも、稲はなんとか健気に穂を出し始めました。こんなひどい条件でも死なない稲の生命力には改めて驚かされると同時に、感謝です